第10話

久志彦は悩んだ末に、会社には家庭の事情とだけ伝えて有給休暇を申請した。法律上、有給休暇を申請するために理由は必要ないらしいが、上司や先輩たちが心配するかもしれない。試練のことはいえないが嘘をつきたくないため、苦肉の策で詳細はいわず家庭の事情で押し通した。


月曜から金曜まで五日間の休暇を取って、前後の土日と合わせて合計九日間を試練のために確保した。加茂がいった「最短でも一週間が必要」という言葉が気がかりだった。


試練初日の土曜、久志彦は加茂の指示で若宮社(わかみやしゃ)に向かった。若宮社は大神神社(おおみわじんじゃ)の二の鳥居、その手前の道を左へ進んだ奥にある。ホツマツタヱをまとめ上げた、オオタタネコを祭る神社で、大直禰子(おおたたねこ)神社ともいわれる。


明治以前は大御輪寺(だいごりんじ)として、十一面観音像が合わせて祀られていたこともあり、社殿の雰囲気はお寺に近い。


早朝、若宮社の鳥居の下で、二人の神職が久志彦を出迎えてくれた。

「おはようございます、久志彦さん。本日から、よろしくお願いします」

二人そろって丁寧な挨拶をされて、久志彦は身が引き締まる思いがした。一人は前回会った加茂、もう一人は加茂の息子の仲彦だった。


若宮社の社務所で、久志彦は詳しい説明を聞いた。試練の間、この社務所で寝起きをして、まずは心身の穢れを祓う、斎戒(さいかい)を行う。


「斎戒中は飲食だけでなく、不浄な思いや言葉も慎んでいただきます。つまり、目にするもの、耳にするもの、考えること、話すこと、すべてにおいて、穢れに触れないようにしてください。そのため、今から試練が終わるまでは俗世間とのかかわりを、すべて断っていただきます。持ってきた荷物についても、すべて、こちらでお預かりします」


「すべてとは、携帯電話や財布も、ということですか?」


「その通りです。必要なものは、すべてこちらで用意しています。預かった荷物は、鍵付きのロッカーに入れて保管しておきますので安心してください」そういわれた久志彦は、仕方なく荷物をすべて加茂に預けた。


「試練が終わるまでは、息子の仲彦がお世話係をさせていただきます。試練の間は、仲彦以外の人と話すことはもちろん、目を合わせることも慎んでください。困ったことやわからないことがあれば、すべて仲彦にいってください。私からお伝えすることも、すべて仲彦を通じてお伝えします。本日の予定や今後のことについては、仲彦から説明します。それでは私はこれで失礼します」そういって、加茂は久志彦の荷物を持って、社務所を出て行った。


社務所は、久志彦と仲彦の二人きりになった。仲彦は久志彦よりは年上だが、まだ三十代前半に見えた。淡々と落ち着いた口調で説明をしていた父と違って、かなり緊張しているようだった。


「改めまして、よろしくお願いします。本日の予定ですが、試練が終わるまで寝起きをするこの社務所と、若宮社の拝殿の掃除をしていただきます。試練のための本格的な斎戒は、明日の朝からスタートになります。私はお世話係として行動をともにしますが、寝る部屋は別です。明日からは会話も必要最低限にするのが慣例ですので、質問などは本日中にお願いします」仲彦はメモを見ながら、一つずつ確認するように説明を続けた。


久志彦は説明を聞きながら、いつも職場でやっている要領で、仕事の段取りを組むように頭の中で整理していった。やるべきことは、そう多くないが、作業ではないので、どうすれば穢れを祓うことができるのか、それが問題だと思った。


「明日からまずは三日間、主に滝行と瞑想、祝詞の奏上などをしていただきます。その翌朝、フトマニで占って、三輪山に登拝してもよいか、神様の判断を仰ぎます。神様のお許しがあれば、三輪山の山頂で試練に挑んでいただきます。お許しがなければ、斎戒を継続することになります」


「お許しが出なければ、いつまでも斎戒を続けるということですか?」


「はい、そうなります」仲彦は申し訳なさそうな顔をして答えた。


「その占いは、仲彦さんがされるのですか?」


「いえ、私の父が占います。陶邑家の試練において、我が加茂家はその当主が後見役となり、陶邑家の新しい当主が無事に試練を乗り越えられるように全面的にサポートします。試練に挑むタイミングを決めるのも、加茂家当主の役目です。そして、加茂家の次に当主になる者が、お世話係として陶邑家の試練のすべてを記憶し、陶邑家の次の試練では後見役となるのです」


久志彦は仲彦の説明を聞いて、加茂家との深いつながりを感じた。陶邑家が代々伝えてきたものは加茂家に支えられて、また、次の代へと伝えられていく。両家の関係は、当初は血縁関係だったのかもしれない。しかし、今では血のつながりではなく、伝統を守り、次代へ伝えるという思いだけで深くつながっている。


久志彦は仲彦と一緒に、社務所と若宮社拝殿の掃除をしたが、くもの巣や埃などは一切なかった。おそらく、事前に加茂親子が念入りに掃除をしたのだろう。久志彦が掃除をするのは、斎戒を行う場所を自ら清浄にするという儀式に近いものだろうと思った。


斎戒初日の日曜、日の出とともに起床し、社務所の掃除、続いて、若宮社拝殿の扉をすべて開放して掃除を行う。掃除を終えると、再び扉をすべて閉じていった。


普段は参拝者のために扉を開けておくのだが、久志彦が斎戒を行う間は閉め切った拝殿内で、瞑想や神道の作法の習得、祝詞の奏上などを行う。加茂親子だけでなく、神社としても陶邑家の試練を全面的にサポートしてくれている。


掃除が終わると、狭井神社までご神水を汲みに行く。その日の食事や体を洗い清める沐浴(もくよく)に使う水を、朝の内に汲んでおく。水汲みを終えると、滝行を行う。三輪山の二合目と三合目の間に「三光の瀧(さんこうのたき)」と呼ばれる滝がある。


見た目には小さな滝で、水量もそれほど多いようには見えない。一般参拝者の登拝が午前九時から始まるため、それまでに滝行を終える必要がある。久志彦は、初めて滝行をするため、仲彦に丁寧に教えてもらって「祓い給え、清め給え」と、繰り返し唱えながら滝に打たれた。


滝行の後、ようやく朝食を摂る。しかし、仲彦が用意してくれた朝食は、ご神水で炊いた粥のみだった。久志彦は思わず「たった、これだけ?」といってしまった。すると、仲彦が静かに話し始めた。


「斎戒は、心と体の穢れを祓うことが目的です。したがって、体に摂り入れるものは最小限にします。食事は朝夕二回、粥のみです。ただし、狭井神社から汲んできた水は、できるだけ、たくさん飲んでください。体内を浄化するためには、清らかな水が必要です」


仲彦は毅然とした態度ながらも、子どもを諭すような、やさしい口調だった。緊張していた昨日の仲彦とは別人のようで、何か吹っ切れたのかもしれない。久志彦は、自分には、まだまだ迷いがあり、覚悟が足りないと反省しながら黙って頷いた。


温かい粥は、滝行で冷えた体にやさしく染み渡っていくようだった。粥を一口ずつ、ゆっくりと口に運び、普段は意識しない米の甘みを味わった。こんなにも米を味わいながら食べるのは、生まれて初めてかもしれない。


朝食の後は、神道の作法と祝詞の唱え方を仲彦から学び、午後からは瞑想を行った。ろうそくの灯りだけの薄暗い拝殿内で、静かに自分自身と向き合うのだが、起床時間が早く、慣れない水汲みと滝行のせいで、すぐに睡魔との闘いになった。


久志彦は眠りに落ちるたびに、仲彦に起こされた。こんなことでは穢れを祓えないと思いながらも睡魔には勝てなかった。起きているのか、眠っているのか、よくわからないまま瞑想を終えた。夕拝を行い、拝殿を片付けて社務所に戻った。


夕食後は学んだことを復習し、日記を書くようにいわれた。書くことで頭の中を整理して、心を整えるらしい。日記を書くのは小学生のとき以来かもしれない。少し休んでからと思って横になると、そのまま眠ってしまった。


斎戒二日目の月曜、基本的には昨日と同じことを行う。水汲みや滝行は体を動かすので苦ではなかったし、神道の作法や祝詞奏上は難しかったが、楽しくもあった。しかし、瞑想だけは何の手応えもなかった。


薄暗い拝殿の中央に黙って座り、自分自身を見つめ直すために内観をする。意味はわかるが、どうすればいいのか、さっぱりわからない。目を閉じて、何をすべきか考えていると関係ないことが頭に浮かんできて、慌ててそれを打ち消す。それを繰り返しているうちに夕拝の時間になった。


斎戒三日目の火曜、今日も同じことを行うのだが、まずは三日間といわれた、その三日目が今日だ。明日の朝には、フトマニの占いで神様の判断を仰ぐことになる。しかし、穢れが祓われている実感はない。今日一日で、劇的な変化があるのだろうか。


久志彦は昨日と同じことをやりながら、滝行は何のためにやるのか、瞑想は何のためにやるのか、自分自身に問いかけながら一日を過ごした。しかし、何かを成し遂げたような実感は一切なかった。


翌朝、目が覚めると土砂降りの雨だった。占いの結果を待たず、この日は斎戒を継続することになった。若宮社に来てから五日目の水曜だったが、久志彦にはすでに曜日の感覚がなかった。


朝食後、仲彦から占いの結果が伝えられた。土砂降りの雨は門前払いを意味しており、まだ、試練に挑む資格がないということだった。それは久志彦も同感だった。仲彦は多くを語らなかったが、責任を感じている様子だった。


この日は瞑想ではなく、大神神社に伝わる祝詞「三輪明神拝詞(みわみょうじんはいし)」を千回唱えるようにいわれた。仲彦の父から指示されたようだった。久志彦は千回という回数には驚いたが、手応えのない瞑想よりも何かをつかめるような気がして、やる気が湧いてきた。


朝からほとんど休むことなく唱え続け、千回に達したのは夕方だった。祝詞を唱えている間は何も考えられず、長距離を走ったときのような疲労感があった。明日の占いで神様のお許しが出るように祈りながら、この日は眠りについた。

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