第8話

和歌山県の天野(あまの)の里から、ミホコの車で大阪の堺に向けて出発した。助手席に乗った久志彦(くしひこ)は、丹生都比売(にうつひめ)神社で出会った巫女さんのことが、ずっと気になっていた。


『竹の祓布』を手渡してくれた巫女さんとは初対面だった。しかし、巫女さんの方は、久志彦のことも陶邑(すえむら)家の試練のことも知っているようだった。


そして、消えるようにいなくなってしまった。まさか、人ではなかったのか、久志彦は、そんなことも考えていた。体にヲシテ文字が現れた久志彦にとっては、何が起こっても不思議ではないように思えた。


「ちょっと、陶邑君、聞いてるの?」

ミホコの大きな声に驚いて、久志彦は運転しているミホコの顔を見た。


「何度も話しかけてるのに無視して、考え事でもしてたの?」

ミホコは少しイライラしているようだった。ハンドルを握ると、性格が変わってしまう人なのかもしれない。


「スミマセン、さっきの巫女さんのことが気になってしまって」

「何が気になったの? 私には、気になるようなことはなかったけど」


「何となく、としかいいようがないです。僕の気のせいかもしれません」

「そう。それより、墓地の正確な場所は知ってるの?」


「いえ、天野の里に引っ越してから一度も墓参りに行ってないので、祖母に書いてもらった地図を見ながら探すつもりです」


「じゃあ、陶荒田(すえあらた)神社の駐車場に車を停めて、そこから歩いて探しましょう」


陶荒田神社に着くと、ミホコは「とりあえず参拝しましょう」といって、境内(けいだい)に入っていった。また久志彦はミホコの後をついていく形になった。久志彦は、どんな場面でも女性をリードする男でありたいと思っているので、ミホコにリードされている自分の姿を知り合いには見られたくないと思った。


参道を進みながら、ミホコが陶荒田神社について説明してくれた。

「陶荒田神社は、ホツマツタヱの後半の著者で、ホツマツタヱを景行天皇に献上するために最終的にまとめ上げた、オオタタネコゆかりの神社よ。摂社の太田神社に祀られているわ。オオタタネコは崇神(すじん)天皇により、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の神主に任命されるまで、ここ陶邑(すえむら)で暮らしていたようね」


「僕の陶邑という名字(みょうじ)も、ここの地名が由来だと思います。ヲシテを受け継ぐ陶邑家と、代々受け継いできた陶邑の土地、そして、オオタタネコとの関係について僕は何も知らない。どうして、じいちゃんは何も教えてくれなかったのだろう」


「あえて、何も教えなかったのよ。私の父も、よくいうわ。知らない方が幸せなこともあるって」

「えっ、社長も」


「社長もって、どういうことなの?」

「実は、ばあちゃんにも同じことをいわれたことがあります」


「そうなのね。長く生きていると、そんな風に思うようになるのかしら。でも、私は知らないことは不幸だと思うの。今まで知識や経験が少ないことで、ずっと悔しい思いをしてきたわ。たくさん知識を吸収して、戦い方も学んで、ようやく偉そうにしている年寄りたちと、まともに議論できるようになった気がする」


「研究者も意外と大変なんですね」


「当たり前よ。男社会の狭い世界だから、女性というだけでバカにされるし、実力がなければ意見も聞いてもらえない。女性だからって、メディアで注目されると、出る杭は打たれるで、つぶされてしまう。女より男の嫉妬の方がたちが悪いのよ」


久志彦が何といえばいいのか困っていると、ミホコは久志彦を置き去りにして、参道を先に進んで行ってしまった。久志彦は追いかけるように、拝殿前で参拝するミホコの隣に並んで参拝した。


天野の里に引っ越す前の幼かった頃、久志彦はこの陶荒田神社に参拝したことがあるはずだった。しかし、久志彦は何かを思い出したり、懐かしさを感じたりすることはなかった。まるで、記憶にフタをされているような、もどかしい違和感だけがあった。


神社をあとにして、二人は祖母のタネコが書いた地図を見ながら、陶邑家の先祖が眠る墓地を探した。住宅街を抜け、かつての陶邑の外れと思われる場所に目的の墓地があった。集落のための比較的小さな墓地なので、陶邑家の墓石はすぐに見つかった。


驚いたことに、陶邑家と刻まれた墓石は一つしかなかった。陶邑で、陶邑を名乗っていたのは、久志彦の先祖だけということになる。確かに、全国的にも珍しい名字ではあるが、同じ名字の親戚がいてもおかしくはない。


墓石はかなり古いものだが、コケや汚れはなく、周囲にも雑草は生えていなかった。手入れが行き届いているように見えた。ばあちゃんが久志彦には何もいわず、定期的に墓参りに来ているということだろうか。


久志彦は祖父母に自分の知らないことが、たくさんあるように思えて、自分だけが取り残されているような感覚になった。そして、ばあちゃんも亡くなってしまったら、本当に自分だけが、この世に取り残されて孤独になってしまうことを改めて思い知らされた。


久志彦にとって、この日の墓参りは先祖とのつながりを感じるものではなく、むしろ、家族とのつながりには限りがあると実感するものだった。


墓地から陶荒田神社に戻る途中で、突然、久志彦は見ている景色と、記憶にある映像が重なっていく感覚になった。墓地に来るときは、ばあちゃんの下手な地図に気を取られて気づかなかったが、帰り道には見覚えがあった。


遠い昔の記憶ではなかった。家が火事になって逃げ遅れる夢の中で見た、古い日本家屋が建ち並ぶ、あの景色だ。幼い頃のことは、憶えていないと思い込んでいた。しかし、あの怖い火事の夢は単なる夢ではなく、日常的には思い出すことがない過去の記憶だったのだ。


久志彦は夢で見た映像の記憶を頼りに、昔に住んでいた家に向かった。もちろん、火事になった家はもうなかったが、幼い頃に住んでいた家の場所はわかった。そこは、雑草が生い茂る空き地だった。両隣には比較的新しい家が建っていた。


「陶邑君、道を間違えてるわよ」ミホコにそういわれて理由を説明しようとしたが、突然めまいに襲われて、立っていることができない。久志彦は膝をついて座り込んでしまった。


「どうしたの、大丈夫?」ミホコが心配そうに駆け寄ってきた。


久志彦は「大丈夫です」と答えようとしたが、うまく話すことができない。視界がゆがみ、立ち上がることができず気を失いそうになる。締め付けられるような頭痛のせいで、目を開けていられない


目を閉じると、夢で見た映像が鮮明に浮かび上がってきた。そこは、幼い頃に住んでいた家の中だった。体が熱くて、とても息苦しい。あっという間に、壁から天井へ火が回り、激しく燃え上がる炎が迫ってくる。


家が火事になって逃げ遅れたのは夢ではなく現実だと、このとき、はっきり思い出した。夢では、炎に包まれたところで、怖くて苦しくて目が覚める。そのため、夢の結末はよくわからなかった。炎に包まれたとき、久志彦は一人ではなかった。久志彦は、母の細い腕で抱きかかえられていた。


周囲には逃げ道がなく、炎が容赦なく襲いかかってくる。煙が充満し、母は苦しそうにせき込んでいた。天井が音を立てて崩れ始め、頭の上から大きな音がしたとき、久志彦の顔と頭が母の手に包み込まれ、母と一緒に前に倒れ込んだ。


母の体を通して、何度か鈍い音と衝撃を感じた。そのたびに母の体が重くなり、久志彦の小さな体が圧迫される。やがて母の体から、ふっと力が抜けたように感じて、うなだれるように母の頭が下がってきた。再び大きな音がして、衝撃とともに久志彦の左肩に刺すような痛みが走った。そこで映像は途切れてしまった。


映像が途切れたのは、そこで幼い久志彦が気を失ったためだろう。肩にある痣のような火傷の痕は、このときのものに違いない。母は久志彦を守るために、命をかけて犠牲になった。久志彦のせいで母は死んだのだ。


幼い久志彦は、その悲しい過去の記憶にフタをすることで、火に対する恐怖心や自分のせいで母を失った罪の意識と喪失感から、自分自身を守ってきたのだろう。すべてをはっきり憶えていれば、精神的に病んでいたかもしれない。


映像が途切れたことで、久志彦の意識は現実に引き戻された。頭痛が治まったので目を開けると、空き地の前で座り込んでいることに気づいた。


ミホコが、やさしく背中をさすってくれている。ミホコに「もう大丈夫です」といって、ゆっくり立ち上がった。立ち上がるときもミホコが支えてくれた。


目の前の空き地には、火事の痕跡は何もなかった。久志彦が思い出したのは、映像として見た火事のことだけだった。それ以外の、ここで暮らした記憶は何も思い出せなかった。フタをしたはずの記憶を夢の中で何度も見たことで、忘れずに憶えていたのかもしれない。


「幼い頃、ここに住んでいたみたいです。ここに来た途端、家が火事になったことを思い出しました。肩にある火傷の痕も、そのときのものだと思います」


久志彦は初対面のときに、ミホコから火傷の痕について聞かれたことを思い出して、そう説明した。母のことは、自分自身の感情が整理できていなかったので、口にはできなかった。ミホコは「そうなの」と悲しそうにつぶやいて、また、久志彦の背中をやさしく、さすってくれた。


久志彦は明るい声で「そろそろ行きましょう」といって、先に歩き出した。これ以上、ミホコに心配をかけられないと思って無理に元気なふりをした。ミホコは、久志彦の後を黙ってついてきてくれた。


先祖の墓参りは、どのような意味があったのか、火事や母の最期の記憶を思い出したことは必要なことだったのか、久志彦にはよくわからなかった。そして、陶邑家当主の試練について、ヒントらしいものは何もなかった。不安が大きくなるばかりの一日だった。

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