第4話

伊藤先生は冷めたコーヒーを飲み干すと、説明を続けた。


「昭和41年、西暦でいうと1966年に、ここ神田の古書店で、古代文字で書かれた写本(しゃほん)が発見されました。写本というのは印刷ではなく、手で書き写した本です。その写本が歴史書『ホツマツタヱ』の一部で、古代文字の『ヲシテ文字』で書かれていたのです。その後、四国の宇和島や、滋賀県の高島で完本、つまりホツマツタヱの全文が見つかっています」


「発見されたというのは、どういうことですか。化石や遺跡のように、今まで世の中に知られていなかったものが地中や山の中から見つかったのではなく、世の中に流通している本を古書店で見つけることが発見なのですか?」


久志彦にとって「発見」とは、調査隊が探査機器を使って見つけるもの、というイメージだった。


「世の中に流通していたのではありません。これは憶測ですが、皇室に献上しようとしたが、それが叶わず、世の中に広めるために古書店に持ち込まれたと私は考えています。ホツマツタヱは限られた人たちによって、秘かに伝えられてきた歴史書だと思います。そして、陶邑家はその限られた人たちなのでしょう」


「そんな話は聞いていません」

といった久志彦は陶邑家の当主に受け継がれてきた『秘伝の書』を思い出していた。久志彦自身は見ていないが、その『秘伝の書』にヲシテ文字やホツマツタヱについて書かれていた可能性は十分にある。しかし、火事で燃えてしまったとはいえ、ばあちゃんにいわれたように、『秘伝の書』のことを軽々しく話すことはできない。


「そうですか、陶邑家に写本や研究資料があるかもしれないと期待したのですが、残念ですね。気を取り直して、ホツマツタヱの説明を続けましょう。ホツマツタヱを読み解くと、縄文時代から弥生時代にかけての皇室の歴史や文化などが書かれています。最終的にまとめられたのは、第十二代の景行天皇の時代です。つまり、最古の歴史書とされる古事記よりも古い歴史書ということになります。残念ながら、今のところ公式には認められない偽書(ぎしょ)という扱いになっています」


「偽書とは、どういう意味ですか?」ミホコが質問した。


「偽書とは偽(にせ)の書、つまり、後世に誰かが創作した偽物(にせもの)として扱われているのです。もちろん、私は本物と確信していますが、それを証明できません。江戸時代中期には確実に存在していましたが、江戸時代に創作されたものではなく、古事記よりも古い歴史書であるという証拠が今のところないのです」


「僕には、この文字が偽物とは思えません。うまく説明できませんが、このモトアケによって代々のご先祖様とつながっている感覚があります。ヲシテ文字やホツマツタヱのことをもっと教えてください」

久志彦は自分の体に現れた文字が、誰かが創作した偽物とはとても思えなかった。また、陶邑家の当主が代々受け継いできた秘伝の書が、偽書のはずがないとも思った。


「わかりました。まずは、ホツマツタヱの概要から説明しましょう。ホツマツタヱは五七調の長歌体で記されています。全部で四十アヤ、現代でいう四十章で構成されています。二十八アヤまでの前編を『クシミカタマ』という方が、二十九アヤ以降の後編を『オオタタネコ』という方がまとめています。


古事記や日本書紀との最大の違いは、神話では天界にいる神様たちが、この地上に人間として生きていた私たちの祖先として描かれていることです。そして、神話では女神とされる天照大御神(あまてらすおほみかみ)は、ホツマツタヱでは『アマテルカミ』として登場し、古代の天皇として日本(ひのもと)を治めた男性として描かれています」


「ちょっと、待ってください。ホツマツタヱが本物で、正しい歴史が書かれているなら、古事記や日本書紀の神話の世界は間違っているのですか?」

ミホコが我慢ならないといった様子で、伊藤先生に食ってかかった。


伊藤先生はミホコのような反応に慣れているのか、笑顔のままで答えた。

「本音でいえば、そうです。でも、今のところはそう考えることもできる、と説明しています。私自身は歴史論争をしたいわけではありません。信じたいものを信じればいいと思っています。ただ、歴史書というものは何らかの意図をもって書かれます。嘘や偽りのない正確な記録なのか、あるいは政治的な意図が含まれているのか、しっかり見極めるべきでしょう」


「先生は、古事記や日本書紀にも、政治的な意図が含まれているとお考えですか?」少し冷静になったミホコが尋ねた。


「それは、わかりません。でも、例えば、富士山は古事記にはまったく登場しません。日本一の高さを誇り、霊峰富士と呼ばれ、信仰の対象でもある神聖な富士山が、一切、書かれていないのです。あえて書かないというのも、何らかの意図と考えていいと思います。それと、古事記に登場しないことで有名なのが瀬織津姫ですね。ホツマツタヱでは、アマテルカミの后として登場します」


「私は瀬織津姫について研究しています。ホツマツタヱには瀬織津姫のことが詳しく書いてあるのですか?」ミホコが前のめりになって尋ねた。


「ええ、もちろん。皇后として活躍されたことが書かれています」

そう答えた伊藤先生は何かに納得したのか、何度かうなずきながら話しを続けた。


「さては、陶邑君だけでなく、住吉さんのことも私に面倒を見させようと太田教授は考えているのかもしれませんね。彼は本当に図々しい人です。まあ、いつものことですけどね」

伊藤先生は呆れた顔をしながらも、にこやかに笑っていた。きっと、頼まれたら断れない、お人好しな性格なのだろうと久志彦は思った。


「まずは、陶邑君の体に現れたモトアケの方から何とかしましょう。先ほど説明してくれた乗り越えるべき試練について、何かヒントはないのですか?」


「祖父が残した手帳には『ヲシテを理解すること』と書いてありました。どうすれば、理解できるのでしょうか?」


「ヲシテ文字ではなく、ヲシテを理解するとなると、なかなか厄介ですよ。ヲシテとは、狭い意味では文字のことを指しますが、広い意味ではホツマツタヱに描かれていることのすべてを指します。つまり、ヲシテ文字の読み書きはもちろんのこと、ホツマツタヱをしっかり読み込んで、その内容や世界観を理解しなければなりません。かなりの時間が必要になりますよ」


「でも、祖母の話では、旅に出た祖父が帰ってきたときには、このモトアケがキレイに消えていたそうです。旅ですから、長くても数週間くらいだと思います」


「そういうことなら、試練といっても何か手順のようなものがあるかもしれませんね。おじいさんは、他に何か書いていませんでしたか?」


「他には、墓参りをするように書いてありました。ただ、陶邑家の墓はわかるのですが、三輪山と久次岳(ひさつぎだけ)、御影山の三つの山の名も一緒に書かれていて、意味がよくわからないのです」


「三輪山は奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社、久次岳は京都府京丹後市峰山町の比沼麻奈為(ひぬまない)神社、御影山は京都府亀岡市の出雲大神宮の神体山です。これら三つの山は、現在でも信仰の対象です。


しかし、なぜ、神体山として信仰されているのか、その理由は各神社においても明確には伝わっていません。実は、その三つの山には、ホツマツタヱの重要人物が眠っているのです。三輪山にはコトシロヌシと呼ばれた『クシヒコ』、久次岳には『トヨケカミ』と『アマテルカミ』、御影山には『クニトコタチ』が、それぞれ眠っています」


「えっ、クシヒコって、僕と同じ名前じゃないですか」

久志彦は、自分の名前が歴史上の人物と同じであることにかなり驚いた。


「おそらく、陶邑家では三輪家の祖先の名を受け継いでいるのでしょう。おじいさんのお名前は何というのですか?」


「和仁彦(わにひこ)といいます」


「やはり、そうですか。『ワニヒコ』は、ホツマツタヱの前編をまとめた『クシミカタマ』のことです。古代の方には複数の名前があって、ややこしいのですが、クシヒコとワニヒコは、『オオモノヌシ』という役職を代々務めた家系で、クシヒコは二代目、ワニヒコは六代目の方です」


「祖父は婿養子で、陶邑家に生まれたわけではないので、名前の一致は偶然かもしれません」


「クシミカタマさんも婿養子ですよ。もしかすると、おじいさんはワニヒコに改名したのかもしれませんね。それでは、おばあさんのお名前は何というのですか?」


「祖母は、タネコといいます」


「なるほど、タネコさんですか。先ほども説明しましたが、ホツマツタヱの後編をまとめたのが『オオタタネコ』さんです。姓がオオタ、名がタネコと勘違いされることが多いのですが、オオタタネコで一つの名前で男性の方です。それをわかった上で、おばあさんの名前に付けたのかもしれませんね」

久志彦は、陶邑家が縄文時代からの流れを受け継ぐような家系であるとは信じられなかった。


「あのー、大物主とは神様の名前ではないのですか?」ミホコが尋ねた。


「実は、オオモノヌシとは役職名で右大臣のことです。主に治安維持を担当していて、現代でいう警察庁長官のような役職ですね。現代でも、大臣や社長などは個人名ではなく、あえて役職名で呼ぶことがありますがそれと同じです。ホツマツタヱにはオオモノヌシが何度も登場しますが、その場面によって何代目のオオモノヌシなのかを判断する必要があります。


私たち研究者は、ホツマツタヱは古事記と日本書紀の原書であると考えています。つまり、ヲシテ文字で書かれたホツマツタヱを漢字に訳したものが古事記と日本書紀ということです。そのときに誤訳してしまったことも、正しい歴史が伝えられなかった原因になっていると思います」


久志彦は古事記や日本書紀の内容を詳しく知らないので、伊藤先生の説明を疑うことなく聞いていた。しかし、ミホコは納得できないのか、眉間にしわを寄せたまま、黙って考え込んでいた。

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