第33話 危険な昼食

 ピピーッ。

 一回戦終了のホイッスルが日秀小学校の運動場に響く。

 結果は三対一で、日秀町の勝利だ。


「ハァ……終わったか……」


 りゅうが長く息を吐くと、つゆが「流ー!!」と叫んでいるのが聞こえ、顔を赤くしながら露に近づいた。


「うるさいぞ露!!」

「流、なんでそんな顔赤いの?」


 露に問われた流は後ろのブルーシートの前で立ち止まり、肩を震わせる。


「い、いや?暑いだけだし」

「え!?大丈夫?熱中症とかじゃないよね??」


 露が流の前に立つと、流の額に掌を当てる。

 流は「やめろよ!」と露の手首を掴み、振り払う。


「はあ?熱あるか確認しようとしただけでしょ!?」

「ああー!!もう、うるさいなあ!!」


 流はスパイクを脱ぎブルーシートの上に置かれているスポーツドリンクを手に取る。

 露は流に振り払われた手を見て、少し悲しげな顔をしている。

 そんな彼女の顔を見た流がスポーツドリンクをもう一本取って、露に渡した。


「別に、俺は大丈夫だから、お前こそ、気をつけろよ」


 露は「……ありがと」とスポーツドリンクを手に取った。

 流は安心したように短く息を吐き、ペットボトルの蓋に手を当てた。


「私、米秀区の方に行って、あいさつでもしてこようかな」


 露がスポーツドリンクを持って、コートの向かい側にいる先ほど戦った、米秀区の休憩場所へ走って行った。

 ペットボトルの蓋を開けたとき、違和感に気づき、飲もうとする手を止めた。


「あれ?」

「マスター、どうしたの?」


 流はペットボトルの蓋を持ったまま突っ立っている。

 そんな彼を不思議に思ったのか紗季が話しかけたのだ。


「キャップの音がしなかったんだよ。新品のペットボトルなら、開けたときにカチッて音がするはずだろ?」

「じゃ、もう誰か飲んでたやつなんじゃ?」


 紗季が眼鏡をクイッと上げると、流は訝しげな表情でブルーシートの上に大量に並べられたペットボトルを顎で指した。


「見ろよ。あれだけの量があるんだ。みんな水筒に入れてきてんのか知らねえけどよ。誰も飲んでない上に、このスポーツドリンクの中身の量、全部同じ量だ」

「確かに、仮に飲んでたとしても、こんなぴったり同じ量が残らないもの」


 紗季は周囲にいるチームの仲間を見る。全員、水筒で何かを飲んでいるようだ。

 海の隣で水筒を両手で持って飲んでいる泳を見つけた紗季が話しかけに言った。


「ねえ、泳くん。その中身何?」

「……」


 泳は黙ったままだ。その様子を上から見た海が答えた。


「ただのスポーツドリンクだよ」

「そう。ねえ、あそこのスポーツドリンク、皆に飲むなって言っておいて」

「なんでだよ?」


 海にそう聞かれ、紗季がさっきのペットボトルたちを見つめながら言った。


「いやな予感がする」

「……」


 不思議そうな顔で、泳は海の顔を見た。


「頼まれてくれない?あのペットボトルの中身全部調べてほしいの。午後の二回戦が始まるまでに」

「ああ。分かったよ」


 海は力強く頷いた、がそのあと、紗季の後ろに居た、紗季の弟の和季に気が付いた。


「おい紗季。こっち来いって言ったろ?」

「あ、ごめん忘れてたわ」


 紗季は和季の隣に行くと、すぐに簡易トイレの隣に移動した。



 流はスポーツドリンクを口につけることは無かった。

 しかし、水筒も無かった流はどうしようかと、途方に暮れていた。

 

「皆さん。英華町対伊多町の一回戦はトラブルのため、午後からになりました。日秀町の方と、米秀区の方は申し訳ありませんがお待ちください」


 そのように叫んでいる審判を見て、流が「はぁ!?」という、怒ったような声を出した。


「もう、何なんだよ今日」


 流がそう呟いた時、突然後ろから話しかけられた。


「マスター。それ飲まないんなら頂戴。水筒忘れたの」


 話しかけてきたのは歩美だ。流は自分の持っているスポーツドリンクを歩美に見せて言った。


「ダメだ。飲んだら何があるか……」

「何?毒でも入ってるの?」


 歩美がそう言った途端、流がハッと、何かに気が付いた顔をする。


「……い、いや……まさかな」

「え、何かあったの?」


 マスターの表情の変化に気づいた歩美が、眉間に皺を寄せて問う。


「さっき開けたとき、カチッて音が鳴らなかったんだよ」

「……ま、まさか……」


 歩美は流の後ろに在るブルーシートの上のペットボトルを見て、絶句した。

 歩美がブルーシートのペットボトルの蓋を順番に開けていく。

 それも新品のはずなのに、カチッという音がしない。


「やっぱり、誰かこれ勝手に開けて、何か入れてるよ」

「だ、だよな。やっぱり……」


 そうだよな、そう言おうとした途端、先ほど露に渡したペットボトルを思い出した。


「あ!!まずい!!俺、露に……」

「え?ちょっとマスター?」


 歩美が驚いて振り返ると、マスターは米秀区の休憩所の方へ走っていた。



「露!!」


 突然名を呼ばれた露が振り向く。


「何?流、どうかしたの?」

「お前、それ飲んだか?」

「いや、まだ飲んでないよ。水筒持ってきてるし」

「なんだ……そうか……」


 ほっとした流が息を切らして、両手を膝につける。


「それ、ハァ……貸せ。飲むな」

「え。うん分かった」


 露が心配そうに流の顔を覗き込む。

 流は差し出されたスポーツドリンクを受け取ると、ハァ……ハァ……と息を切らしながら、日秀町の休憩場所へと歩いて行った。


「なんだったんだろう」

「いいな~、スポーツドリンク。俺たちの方には何にもないですよ」

「え?」


 その様子を見ていた米秀区のチームの彼らが羨望の声を上げた。

 しかし露は、顔を顰める。


「来た時にはもう既に置かれていたよ。あのスポーツドリンク。そっちには無いの??」

「無いっすよ。俺たちは水筒を持ってくるように言われてるんで」


 一人の少年が不満げに声を漏らした。露はその少年の顔を見て、とても嘘を言っているようには思えなかった。


「え。なんで?」



 息を切らしながら戻ると、そこには、海と歩美、琉生の三人が休憩場所の前で仁王立ちしている。


「一応、飲むなって全員に言った。でもまあ、調べるまでもねえよ。確実に毒が入ってるだろうな」


 遠くから聞こえてきた海の言葉に、流の息が詰まる。


「ペットボトルの音がしないってことは、誰かが先に開けていたことになる。それなのに、量が減っていないってことは、何かを入れた可能性が極めて高い」


 歩美が淡々と説明する横で琉生が暑そうに手で自分の顔を仰いでいる。

 その隣で海が目を丸くした。


「まさか、青酸カリなんてことは……」

「それは無いよ。大人でもない限り、そんな毒物手に入らないもん」


 三人に近づいた流はブルーシートの上に置かれたペットボトルに、先ほど露から取ったペットボトルを並べた。


「となると、ハァ……市販の薬を過剰に入れた可能性が高いな」


 流は冷静に分析する。


「おい、マスター大丈夫か?」

「え?何が?」


 琉生に聞かれ、マスターが間の抜けた声を出す。

 その様子を見て尋常じゃないと思った歩美がまた聞く。


「めちゃくちゃ顔赤いけど、熱中症じゃない?」

「はっまさか……んなわけないだろ」


 マスターは鼻で笑って余裕そうにつぶやく。


「まあお前が大丈夫なら何も言わねえけどよ。気をつけろよ」

「うん。それより、毒ってなんだよ?」

「さあ、見当もつかないけどね」


 歩美が両手を上に向け首を横に振る。

 そんな彼女を見て、他全員が「はあ」とわざとらしくため息を吐いた。



 簡易トイレの隣。

 紗季と和季が、二人で話している。


「この前俺に連絡してきたろ。自分の学校の国語教師が何者かに狙われているかもしれないって」

「ええ。その調査を頼んだ」

「あれな。名前は不明だが……ラトレイアーがとある復讐屋に頼んでいるらしい」

「復讐屋?」


 弟の意外な回答に紗季が困惑してしまう。その様子を見て和季は呆れたように説明する。


「復讐代行サービス。殺人代行サービスと似ている。復讐を目的とした人が、頼むものだ。後遺症が残るレベルの怪我を負わせてほしいとか、人生をめちゃくちゃにしてほしいとか、もしくは、始末してほしいとか」

「なるほど。じゃ、文垣先生に何か恨みでもあったってことかしら」


 弟はズボンのポケットに入れたスマホを取り出し、紗季に画像を見せる。

 画像は黒い傘の画像だった。


「でも、公安で調べたところ、その復讐屋ってのは、性別、年齢、顔、全てが謎に包まれている上に、殺しはしないと。んでフリーで活動してるらしい」

「フリー?事務所を持ってないってこと?」

「ああ。そうだな」


 紗季は少し考え込んだ。

 なぜラトレイアーがそのような個人の復讐屋などに依頼したのか。直属の殺し屋はダメなのか。


「そういえば俺、今は刑事じゃなく、警部補だよ」


 和季が誇らしげに言う。

 紗季はハッとした顔をする。

 そうか。弟は成長していっているのだ。出世していく彼の姿を見て、紗季はほほ笑んだ。

 しかし、すぐに真剣な顔になる。


「無茶したら許さないからね」

「ああ。分かってるよ」


 紗季がもう一度微笑むと、和季は安心したようにため息を吐いた。



 歩美が頭を抱えて考えている。

 やはり一番考えられるのは、相手チームがズルで自分たちのチームに入れた可能性が高い。


「でもなんなんだろう。その毒って」


 全く見当がつかないが、歩美の横をまだ小さい少年たちが通った。


「なあもう負けたんだしさ~、日秀小学校見て回ろうぜ!」

「良いなあ!!そういえばここはどんな植物を育ててるんだろう?」


 少年たちの言葉に、歩美は何かに刺されたような顔をした。


「そういえば小学校の時——」



 ——二年前。

 歩美が小学校六年生の時の話だ。


「この花綺麗だな」

「それは、ツツジだよ。蜜が甘いんだって」


 理科の授業で、学校の校舎裏で栽培している花たちを見て、感嘆する山路の隣で、歩美が冷静に言い放つ。


「ん?あれ何の花だろう」


 そう言って山路が指さした先は、他の花とは異なるもので、少し背の低い木のようだった。

 木の枝には白い花が付いていて、とてもきれいだった。


「え?あれって何だろう」


 歩美と山路は走って着に近づき、その花に触れようと手を伸ばした。

 しかし先生に呼び止められたのだ。


「こら!!そんなの触っちゃだめですよ」

「え?」

「それはアセビという植物で、葉に毒があるんです。触っても、問題は無いんでしょうけど、何があるか、先生も分からないから、触っちゃいけませんよ」

「はーい」


 歩美と山路は、記録用紙と鉛筆を握りしめて元の場所へと戻った。



「——そうだ。あの時、言われたんだ!!この校内に生えているアセビという植物の葉には毒があるって」


 歩美の隣で、山路が少し上を向いて思い出している。


「あったなそんな話。そんなヤバいの?アセビって」

「うん、まあそれなりに」


 そんな会話をしていると隣のコートから、うめき声が聞こえてきた。


「今度は何!?」


 歩美がそう叫んで隣のコートを見ると、英華町の休憩場所で、倒れこんでいるのを見つけた。


「ま、まさか……!!」


 歩美は走って英華町の休憩場所へ向かった。

 琉生も彼女の後を追う。


「うっうう……」

「どうしたの?」

「し、知らないですよ!!弁当を食べたら、いきなりお腹が」


 歩美がしゃがんで倒れこんでいる瑠偉に話しかける。


「みんな、この弁当を食べたら、お腹が痛くなったんですよ」


 瑠偉がそう言って自分の食べていた弁当を歩美たちに見せる。


「……何者かが、アセビの毒を入れた……!!」

「ええっ!?」


 他の休憩場所が静かな反面、英華町の休憩場所だけが、苦痛に塗れていた。

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