第30話 音の鳴る方へ

 四年前。


 当時米秀小学校四年生の景音けいんは、自宅で当時高校生になった姉―—有恋あれんから誕生日プレゼントの製図板をもらって部屋で眺めていた。


「感謝してよ景音。私のお小遣い切り崩してわざわざ買ってあげたんだから」

「うん。分かってるよ」


 景音の部屋に無造作に散らばったプレゼント包装紙を見た有恋は深くため息を吐いた。

 しかし、目を輝かせ製図板を抱える弟の姿を見て、小言も言えないようだった。


「景音。今日大事な話があるから、夕飯食べたら、お姉ちゃんの部屋来てね」

「うん」


 興奮した様子のまま、声を高くし返事をする。

 有恋はふっと笑顔になり、弟の部屋を出た。

 景音は姉が出て行ったのを確認すると、小学校の入学式に買ってもらった勉強机に製図板を広げた。

 興奮した様子のまま、ボロボロの筆箱から鉛筆を一本取り出し、製図板の上で走らせた。



 その日の夜。夕飯を食べ終わった景音は約束通り、姉の部屋に向かった。

 ドアをコンコンとノックする。


「入って」


 そう言う姉の声が聞こえた景音は、いつものようにドアを開く。


「大事な話?」


 景音は少し大げさに首を傾げる。

 その様子を見た有恋は少しだけ悲しそうな顔でほほ笑んだ。


「景音の通っている小学校、中に子供だけの社会があるのを知ってるでしょ?」

「うん。俺、そこで、建築家になりたいって……」

「ごめん」


 景音が嬉しそうに語るのを遮って有恋は苦しそうに俯いて言った。


「お姉ちゃんの代わりに、FBIになってほしい」

「……え?」


 景音は回転いすに座りうなだれる姉の姿を見て、言葉が詰まってしまった。


「大事な話っていうのは、これ。もちろん、なるならないは、景音が決めればいい」


 有恋は「——でも」と続ける。


「でも、お姉ちゃんはなってほしいと思ってる」


 回転いすに座り、まだ小さい自分に頭を下げる姉の姿は、当たり前だが、初めて見た。


「……聞きたいんだけどさ。有恋はなんで、FBIになったの?」


 姉は頭を下げたまま上げない。しばらくして、重そうに口を開いた。


「約五〇年前、日秀学園から世界が一つ誕生した。そしてそれと同時に、あるサイバー犯罪組織が誕生した。その組織の名は、ラトレイアー。当時、まだ電子系の技術が発達していなかったころ、一人の天才が立ち上げた犯罪組織。おかげで世界が混乱に陥った。

 お姉ちゃんの友達、その人たちに殺されたの。でも、高校生になったら、その世界では死んだのと同じ。間に合わなかったんだ。お願い。お姉ちゃんの代わりにその組織を捕まえてほしいの」


 真剣に懇願する顔で景音は少したじろいでしまう。有恋の目には涙が浮かんでいた。


「建築家の仕事はやっちゃダメなの?」

「もうじき、戦争が始まる。二つの仕事をできるか分からないけど」


 景音はしばらく悩んで、少し怒って言った。


「じゃあ、有恋はなんで、俺に製図板を買ってくれたんだ?」

「…………」


 有恋がその事について語ることは無かった。


「もう、良いよ。やったげる。有恋の代わりに仕事」

「良いの?」


 まだ保育園の時だった。よく覚えている。ランドセルを背負って帰って来た姉の顔がひどく暗い時があったことを。

 部屋の中で涙を流し。自分が部屋に入るのも許さなかった。

 その時に丁度、良く遊びに来ていた友人が一人、ぱったり来なくなった。

 その友人の顔が思い浮かぶ。目がすごくきれいの黒で神秘的だったのが印象的で、よく一緒に遊んでくれた。男子の友人。


「うん。有恋の言う友達が誰なのか、俺にはよくわかる。覚えてる。建築家の仕事なら、どうにかしてできるようにするし、大人になったらで良いよ」


 有恋は嬉しそうにほほ笑んで景音の頭に手を伸ばす。


「やっぱり、景音はね」


 そう言われた景音はフフッと無邪気に口角を上げた。

 有恋は引き出しから二つの光る小さな物体を取り出し、景音に渡した。

 景音はそれを受け取る。金色と銀色の二つの鈴だった。


「それあげる。景音の大事な人に渡してあげて」

「なんで?」

「バディの証。どこにいるのか、すぐにわかるようにと言う意味でね」


 有恋は少し暗い顔を景音に向けた。


「景音。ごめんね。今まで通り、純粋なままの景音でいられないかもしれないけど、景音はこれから、大事なことを学ぶだろうね」

「大事なこと?」

「うん」

 姉は頷き、景音を部屋から出した。



 そう言う理由でFBIになった景音は放課後、そのFBIの先輩——薬研憧やげんしょうに呼び出され向かった。一年生の隣の教室で、その教室のドアを開くと、目つきの悪い男と、太眉が特徴の女子が一人いた。


「来たか。中家なかいえ

「……」


 女子の方は強そうに景音の方を見る。

 憧が椅子に座ったまま景音の両目に焦点を合わせた。


「彼女は八神詩音やがみしおんだ。これからお前のバディになる」

「バディ?」

「八神。こいつは中家景音」


 憧は目の前にいる女——詩音に焦点を合わせて言った。

 景音が不思議そうに女子の顔を見る。


「俺、この人と組むの?」

「よろしくね!!あたし、あんま仕事できないだろうけど……景音は頭良さそうだね」

「君は……」


 景音は詩音の顔に暗い影が一瞬見えたのを見逃さなかった。


「中家、よく聞け。お前ら二人を組ませたのには理由がある。八神は空手を習っている。んで、お前はずば抜けて頭がいい。中家有恋の弟だからな」


 憧は椅子から立ち上がり、笑って言った。


「でもな。八神は友人をラトレイアーに殺されている。中家、お前は違うよな」

「……」


 景音が横目で詩音の顔を見たとき、詩音の顔が暗くなっていた。

 先日見た姉の顔とそっくりだった。


「それで、重要な話がある。もうじき戦争が始まる。詩音にはそこに行ってもらう。景音は、こっちでFBIの仕事をしてろ」

「えっ……バディを組むんじゃ……」

「戦争なんてすぐに終わるさ。気にすることじゃない。お前を戦争に出さないのは、お前がすぐに貧血で倒れるような貧弱な奴だからだよ」


 そう言う憧を見た景音は言葉を失った。



 その日の帰り道。

 詩音と景音は初めて一緒に帰った。詩音の背負うランドセルは水色で、景音の背負う少し暗い青色と良い相性だった。


「まさか、帰り道一緒なんて、今まで気づかなかったよ」

「それより、もう来週から戦争に出るの?」

「うん」


 事の重大さが分かっていないような詩音は元気に景音の方を向いて言う。


「お前、分かってんのかよ。戦争に出るって」

「うん。いやー良かったよ。出るのが君じゃなくて」

「は、はあ?」


 あまりに明るい詩音に思わず、景音はたじろいでしまう。


「もう、バディには死んでほしくないから!!」


 詩音には昔の姉の面影が少しあった。

 景音はランドセルを自分の前にすると、手前のポケットに入っていた鈴を取り出し、詩音に手渡した。


「……何?」

「もし、おたがい居場所が分からなくなったときは、これを鳴らして居場所を確かめよう」

「なんなんだよそれ。良いけどさあ」


 詩音の手が鈴に触れたとき、チャリン、と音が鳴る。

 不覚にも鈴を見つめる詩音の横顔がとても可愛らしくて、景音は自分の体温が上がるのが分かり、手の甲を自分の額に当てた。


「気休めでも、嬉しいよ。ありがと!!」


 詩音が見せた笑顔に景音の顔がどんどん赤くなる。


「良かった。景音はこれで助かる」


 それに気づかない詩音がそう呟いた。



 数日後。

 戦争が始まった。

 男女問わず、身体が丈夫な人や、強い人物は徴兵されていった。


 正直隣を見ても彼女がいないのは、違和感は無かった。

 それもそうだろう。先日あったばかりなのだから。

 コンコン。

 昼休み。教室のドアのノックが鳴り、教室を出ると、目の前に海が立っていた。


「景音。調子はどう?」

「ああ、悪い気はしないけどね。うちのクラスは結構徴兵されたよ。雪に、詩音に……」


 ふと詩音の名を呼んだ時、少し考え込んでしまった。海は「詩音?」と彼女の名を呼ぶ。


「確か、その雪ちゃんっていう人と、同じところだと思うよ。局長が言ってた」

「そうか」


 景音は自分の机の上に広げられたラトレイアーに関する大量の資料を教室の外から眺めた。

 詩音は昨日の放課後、景音の机の引き出しを覗き込んでいた。

 景音はそんな彼女の姿を見ていた。

 何をしているのかは分からなかったが、彼女は何か分かったように、すぐに教室を出て行った。

 詩音が何に気が付いたのか、景音には見当もつかなかったようだが、彼女が間違いなくラトレイアーの真実に気が付いたことは間違いなかった。


「え!?」


 海の声と無線のピッという音が聞こえる。

 無線の向こうから、何処かで聞いたことあるような声が聞こえた。


「助けてくれ!!なんかよく分かんねえ奴らがいきなり戦場に入ってきたんだよ。あたしらの班、もうほとんど全滅状態なんだよ!!なあ、応援を呼んでくれ!」


 少し途切れ途切れに声が聞こえてきた。

 雪の声だった。


「分かった。すぐに応援を呼ぶ」


 海はそう言って無線を切った。


「僕、ちょっと行ってくる」

「待ってくれ。俺も行こうか?」

「景音は、先に病院に行ってて」


 海にそう言われ、景音は教室の前でつったままだった。



 数時間後。

 保健室にたどり着くと、雪がベッドの上に横になっていた。


『僕の仲間がそこにいるかもしれないけど、僕は仕事があるから。そう伝えておいて。その仲間たちには会ったことないし。同じクラスで、FBIの景音が言う方が良いと思う』


 そう言う海の顔が浮かぶ。

 病室の雰囲気ががらりと変わる。雪が目を覚ました。


「景音?お前、何してんだよ」

「雪。お前の仲間からだ。仕事があるらしい」

「へえ。入ったばかりのあたしに、伝言がある仲間がいたのか」


 雪は少しだけ長い髪を手櫛でとかした。

 しばらくして、雪が景音の顔を覗き込む。


「どうした?なんか暗くね?」

「い、いや……相棒が——詩音が病院に居ないから」


 病院で鈴の音が聞こえない。詩音の顔が思い浮かぶ。

 あったばかりなのに、なぜかその彼女がいないことに、とてつもない息苦しさを感じる。


「詩音な。まだ見つかってねえよ」

「えっ」

「詩音だけだ。他の奴らは見つかってる。それに、妙なんだよ。さっき襲ってきたのは戦ってる日秀小学校の軍の奴らじゃなく、三つ編みで、米秀学園の制服を着てた女と米秀学園の学ランを着た男が二人組で襲ってきたんだよ」


 詩音がいないことを聞いた景音は俯く。雪はそんな彼の背中を強く叩いて言った。


「大丈夫だ。絶対見つかる」

「ほんとか?」


 景音は少しだけ頬を紅潮させた。雪はそんな彼の顔を見てふっとほほ笑んだ。いつになく優しい表情だ。


「じゃ、俺は仕事に戻る。何かあったら言え。無理はするなよ」

「ああ」


 景音はそう言って保健室のカーテンを閉め、すぐ出て行った。


「ま、生きて見つかるとは言ってないがな」


 雪は悲しそうに笑うと、仰向けに寝転がった。



 翌日。

 景音がFBIの仕事で憧とともに校内を回っていた。


「聞き込みの仕方は、お前の姉から聞いてるはずだ」

「はい」

「お前の姉は優秀だった。だってあいつは、俺の上司だったんだから」


 景音の横を歩く憧の少し後ろを早歩きで追いかける。


「お前は、賢いしな。そろそろ、尋問の訓練もしようか。お前の姉も、尋問が得意だったからな」


 憧がそう言うのを、景音は「そうですか」と淡々と返すだけだった。

 チャリン。

 鈴の音が聞こえ、景音は足を止める。

 ふいに後ろから聞こえた鈴の音に、景音は訝しげな表情をした。


「どうした?」

「い、いや。今鈴の音が——」


 チャリン。再び廊下に音が響く。


「なんだよこの音」

「詩音……だと思います。俺、アイツに鈴を渡していたので」

「……あっちの教室じゃないか?」


 そう言って憧の指さした先は、先日雪たちがいた教室だった。

 チャリン。

 景音はその教室の前まで走った。

 一つ大きく深呼吸すると、ガラガラと重いドアを開いた。

 血生臭い臭いに景音は思わず目を塞ぐ。

 ゆっくりと目を開くと、信じられないほど惨い光景が映った。


「詩、音……?」


 血が付いた窓が開いていて、カーテンが揺れている。そのカーテンに丁度詩音の顔が隠れて良く見えないが、壁にもたれかかっており、手に握った拳銃についた血が固まっていることは、教室の外から見ても分かった。


「詩音!!」

「…………」


 景音の後ろで、憧が絶句している。

 窓の傍に、金色の鈴が揺れていて、チャリンチャリンと音を出している。


「中家、離れろ」

「……な、なん——」

「——良いから早くしろ!!」


 憧が手を大きく振りかざし、景音に向かって叫ぶ。

 その瞬間だった。

 ドオォォォォォォォォン!!

 とてつもない爆発音が教室から聞こえ、鼓膜が破れそうになり思わず耳を押さえる。


「中家!」


 憧の声が景音の耳の近くで聞こえる。

 ひどく燃えた教室から景音を庇った憧は景音の上に倒れる。


「薬研さん……!!」

「……」


 憧が声を出さない。

 景音は今までにない絶望に満ち溢れた表情で、教室の方を見る。

 呆然と座る景音の前に一枚の紙切れがひらひらと落ちる。


「……これは……」


 その紙には、『別れの言葉を ——カルム』と書かれた小さい紙だった。

 教室から出る大きな炎の中に落ちた紙が燃え、塵と化した。


「カルム?」


 景音は教室の前に座り込み、その名を呼んだ。



 病室で包帯を巻かれ横たわる憧を見た景音は涙を流した。


「薬研さん、彼は命に別条はありません。ただ、八神さんの方は……」


 医者がこの後なんと言うか大体の予想ができた景音は椅子に座りながらうずくまる。


「……失礼します」


 ガラガラ。保健室のドアが開け閉めされる音が聞こえる。


「……中家」

「…………」


 目を覚ました憧が景音の名を呼ぶ。

 しかし、景音はうずくまったまま返事をしない。


「この火傷の痕、どうやら一生残るようだな。八神の事はこっちで捜査する。亡くしたバディの事をずっと考えるのも辛いだろう。俺たちが代わりに捜査するから別の事件を調べてろ」


 そう言う憧はどこか悲しそうだった。包帯の上からでも泣いているのが分かるくらい、憧も暗い表情をしていた。

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