婚約者の年末年始の過ごし方:前編
今生の別れか何かだろうか。
目の前の光景にノアはそう思って目をそらす。
妹マリアンヌの困惑した感情と助けて欲しいという思いは届くが、アンジェリカの迫力を前にするとそれはノアでも少し難しい。
そもそも、アンジェリカの父であるカールトン公爵エイナル・パウル・カールトンが娘を止められない時点で、もはやここはアンジェリカの独壇場である。
腕の中に自分よりも小さいマリアンヌを閉じ込めて、マリアンヌの黒髪にうっとりと頬を寄せるアンジェリカ。
アンジェリカのせいで、見てはいけない様な何かを感じて全員居心地が悪い。
今でこそ健康体のマリアンヌだが、どうやら病弱だった時に得られなかったものは取り戻せない様で、成長が遅く小柄でその上これ以上成長の見込みもなさそうだ。
だからこそ、この国の平均女性よりは背のあるアンジェリカが腕の中に囲い込めるのだろう。
「年末に領地に行かなければいけないなんて、一体誰が決めたのかしら……」
アンジェリカの言葉に全員が思う。
あなたさまでございますとも、と。
一応はTPOは弁えた形で本能のままにマリアンヌを溺愛するアンジェリカだが、彼女は実に優秀である。
そんな彼女に今更教えるようなことはない──あとは実際に自分が指揮を取って感じることである、とは彼女の父の弁だ──のだけれど、彼女の強い希望で、彼女は立派な女公爵の婿になるべく今もまだ日々研鑽を怠らない。
努力の天才とも言えるだろうアンジェリカは、卓上では分からぬ、測れないことを学ぶ環境を彼女なり作ろうしていた。
そこにようやく帰ってくるアンジェリカの兄が「やっと帰ってこれたから、今年は領地で過ごしたいな」と言ったことにより、「それならわたくしもお兄様と一緒にいくわ」なんて言って年末から年明けしばらくの間は領地で学ぼうと彼女が決意したはずなのだが
「マリアンヌも一緒に行けないかしら?」
自分の魅力を十二分理解し言うアンジェリカに、マリアンヌは耳までカッと赤くなる。
あわあわとする妹に、ノアは大きく深呼吸をしてアンジェリカに声をかけた。
「アンジーお姉様、『マリーに惚れ込んでもらうために領地で勉強してくるわ』って言ったのはアンジーお姉様ですよ」
「わかってるわよ」
「帰ってきた時にますます格好良くなって、いっそうマリーに惚れてもらうために頑張ってください。離れている間に育まれる愛情もあるようですよ!」
どこから聞きかじった情報だ、と全員が思う中、それでもアンジェリカには響いたようで
「そうね……もっといい大人になって帰ってきておせおせもいいわね!」
おせおせ、とは?とミューバリ公爵家の人間が思う中、一人だけエイナルが頭を抱えている。
彼は「おせおせ」の意味を理解しているようだ。
「いってくるわね。わたくし、もっとイイオンナになってくるわよ!」
ウインクをして頬へキスをしたアンジェリカは、さっきまでのイヤイヤはどこへと言いたくなるような足取りで父親エイナルをおいたまま颯爽を馬車に向かっていった。
残されたミューバリ公爵家の面々は、去っていくアンジェリカと彼女を慌てて追いかけるエイナルをただただ呆然とした気持ちで見送っている。
正直それ以外何もできなかった。
アンジェリカが去ってのミューバリ公爵家には、ようやく静寂が訪れた。
顔を真っ赤にしてのぼせるのではないかと言うくらいにふわふわしたマリアンヌは父ランベールと侍女に支えられ自室へ戻され、そんな様子を母シャルロットは「まあまあ、溺愛してるのねえ」と笑って見送る。
また、アンジェリカの暴走により困惑するのではないかとマリアンヌを心配し家にいたノアは、当初の予定通り城へ向かっていた。
マリアンヌ限定で暴走し続けるアンジェリカの変貌には今も驚くことばかりだけれど、妹が愛されているというのは兄として嬉しく安心できる光景だ。
どこでいつマリアンヌを想うようになったのか、ノアは今も知らないけれど──なにせアンジェリカは「乙女の秘密なのよ」と口を閉ざしている──アンジェリカの本気を思えばマリアンヌは必ず生涯幸せでいられる。
多少マリアンヌの心情を思って行動をして欲しいと思うところはあるけれど
(アンジーお姉様が幸せそうで、マリーも愛されてて幸せそうで、平和で幸せだね)
独り言るノアの周りはキラキラと輝く。
お約束のエルランドだけが見える光景だ。
エルランドも幼い頃はこんな能力はいらないのではないか、と思っていたのだけれども歳を重ねる毎に、
この美しく輝く景色を自分以外見ることが叶わないなんて、とても勿体無いと彼は思う。
儚く美しく、そして優しい光がノアの周りを踊る光景は、何にも変え難いと言えるほどに美しいのだ。
城に到着すると従者に案内され目的地へ進む。
この国の城は過度な装飾や色使いもなく、どちらかといえば自然に馴染みそうな色合いが多い。
それは
──────彼女がいつ戻ってきても心落ち着く場所にしたい。彼女が好んだ、自然と調和するような、過度の装飾がない、優しいものを作って欲しい。
言われた職人たちは国王の想いを痛いほどまでに理解していたらしい。
実に忠実に、そして彼が言わなかった願いである「決して落ちない城にしてほしい。彼女を守れるような」というそれも叶えた、世界に誇る堅城に作り上げた。
矛盾するような思いを詰め込み叶えたとは思えない、まるで芸術のように美しい城である。
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