本編

セミの声が騒がしい。うだるような暑さだった。


小学校が夏休みに入って、僕は蓮くんと毎日のように遊んでいた。


今日も朝から公園でキャッチボールをしていたのだけれど、あまりの暑さに涼しい場所を探すことにした。


図書館だと騒げないし、児童館は混んでいるだろう。


二人でぶらぶらとさまよい歩いていると、住宅街に突然森が見えてきた。


近くまで来て、それが木ではなく竹の森だと気がついた。


看板には「竹林公園」の文字がある。


東京都東久留米市の竹林公園。


そういえばお父さんが、ここはその昔「新東京百景」とか「東京の名湧水57選」とかに選ばれたすごい場所なんだと言っていたのを思い出した。


それに選ばれると何がすごいのかと聞いてみたら、お父さんは少し考えたあと、とにかくすごいんだと繰り返した。


あんまりピンと来なかったけど、お父さんがすごいって言うんだから、すごいことなんだろう。


「涼しそうだからここで遊ぼう」


蓮くんにそう言われて、僕も賛成した。


竹林のなかには歩道があったので、蓮くんが先を行き、僕が後ろに続いた。


日陰になっていて、真っ昼間だというのに薄暗い。


でも、期待した通りの涼しさだ。


壁で囲われているわけじゃないのに、道路とは気温が全然違う気がするから不思議だ。


「これ筍じゃん!」


しばらく坂道を下っていると、突然蓮くんがそう叫んだ。


彼の指の先に、土の中から突き出た筍の頭が見えた。


「食べられるかな?」


「腹減ったな。でも茹でないと食べられないんじゃないか?」


「試しに掘ってみよっか」


僕と蓮くんは、柵を乗り超えて筍の近くに腰を下ろした。


勝手に掘るのは良くないかもしれない。でも、周りには誰もいなかったから怒られる心配はなさそうだ。


近くに落ちていた石を使って、周りの土を取り除いていく。


「結構大変だな」


「そうだね。この辺であきらめようか」


蓮くんが筍の側面に足の裏で体重をかけた。筍が根本からポキっと折れる。


「持って帰っていい?」


「いいよ。僕んちは勝手に取ったってバレたらお母さんに怒られるから」


「サンキュー」


蓮くんがうれしそうに筍を握りしめる。


柵を乗り越えて歩道に戻ると、再び坂道を下った。


目の前には小さな川が流れている。水が透き通っていてきれいだった。


「あ、あそこにテーブルとベンチあるじゃん」


「ほんとだ」


僕と蓮くんは、テーブルを挟んで向かい合うベンチに、それぞれ寝転んだ。


どの竹もまっすぐに空を目指している。


風が吹くたびに葉がこすれて「ざぁぁぁ」っと音をたてる。


「気持ちいいな」


「そうだね」


竹林公園に入ったのは行き当たりばったりだったけど、なかなかいいアイデアだったと思う。


外なのにこれだけ涼しくて、気持ちいい場所はなかなかないだろう。


しばらく僕らは無言だった。


周りには誰もいなかったから、ただ竹の葉の音だけが響いていた。


そのとき、蓮くんが変な声を出した。


「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙」


僕が蓮くんの方を見ると、彼もこちらを見つめていた。


「なに今の声?」


「は? こっちのセリフだよ」


彼がふざけているのかと思った。竹の葉の音に合わせて、変な声を出して遊んでいると。


僕は「ふふっ」と笑ったあと、また無言で空を見つめた。


すると彼がまた変な声を出した。


「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙」


「やめてよ。せっかく気持ちよく寝てるのに」


「いやいやお前だろ」


蓮くんは真面目な顔をしていた。


「ちょっと待って。変な声出してるの僕じゃないよ」


黙ってお互いの顔を数秒間見つめ合う。


それまでの和やかな雰囲気がガラッと変わった。


そのとき、例の声がはっきりと聞こえた。


「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙」


もう僕たちは、互いに声を出してないことをはっきりと認識した。


それは子どもの声ではなかった。おじいさんのしわがれた声。苦しそうな声。


それは僕と蓮くんのあいだ、ちょうどテーブルの辺りから聞こえた。もちろんそこには誰もいない。


「うぎゃぁぁぁぁぁ」


僕たちはほぼ同時に悲鳴をあげて、来た道を慌てて引き返した。


走っている間も、その声はずっと耳元で響いていた。


突然、蓮くんが立ち止まった。


「どうしたの?」


彼は口元を手で覆って絶句していた。


蓮くんの目線の先には、五分ほど前に、僕たちが折った筍があった。


その断面から赤い液体が流れていた。


「血?」


蓮くんが震えながら繰り返した。


「すみませんでした、すみませんでした、すみませんでした」


彼は、折った筍をそっとその場に置いた。


その瞬間、ようやくおじいさんの苦しむような声が聞こえなくなった。


足早に公園から出ると、蓮くんが泣きそうになりながら言った。


「なんだったんだよあれ!」


「知らないよ!」


二人とも恐怖で体が冷え切っていた。まさかここまで涼めるとは思ってもみなかった。


「と、とりあえず僕の家行こうか」


「そうだな」


誰でもいいから大人に会いたい。今日はお父さんもお母さんも家にいるはずだ。誰かにこの恐ろしさを受け止めてほしい。


僕らはずっと無言だった。ただひたすら先を急いだ。


やっとの思いで家までたどりつく。


ドアに手をかけると鍵がかかっていた。


ポケットを探って、鍵は家に置いてきたんだと思い出す。


インターホンを鳴らすと、すぐにお母さんがドアを開けてくれた。


「おかえり。どうしたの? そんなに怖い顔して」


お母さんは僕たちの怯えきった表情を見てびっくりしていた。


「実は今、竹林公園に行ったんだけど……」


お母さんが僕の話を遮って挨拶をした。


「あら、こんにちは」


最初は蓮くんに挨拶をしたのかと思った。


彼も挨拶を返そうとしたが、目線が自分に合っていないことに気づいて口を閉じた。


「お母さん、誰に挨拶したの?」


僕が恐る恐る聞いてみると、お母さんはなんてことのない口調で言った。


「え、あなたたちの知り合いじゃないの? 二人の間に立ってるおじいさん」


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竹林公園の怪奇 あいうら @Aiura30

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