037: 久方 -- 『仇花の宿』にて

 『仇花の宿』の武家屋敷は、相変わらずどこか懐かしい和の雰囲気をまとっていた。

 正面口から入り、木の板を軋ませながら廊下を歩いていると、いつもの縁側にカナギが腰掛けているのが見えた。


「待っとってくれたん?」


 センリがそう声をかけると、カナギは少しだけ顔を傾けてセンリに瞳を向けた。


「そろそろ来る頃合いだと思ったんだ」


 その声色の優しさに、センリは身体から余分な力が抜けていくのを感じた。

 センリが近づくとカナギは座る場所を作るように、床に広がる長い黒髪をそっと払いのけた。

 ありがたくその横へ座り、センリはインベントリから短刀を取り出してカナギに見せた。


「これが<展延>のために作った刀やで」

「ありがとう。短刀か。良い刀だ」


 カナギは微笑みを見せながらセンリの手から刀を受け取り、その黒い刃先を陽に透かすように持ち上げて眺めた。


「【妖刀クラミツハ】……。MPに対するバフ? 珍しいな」

「せやろ? そん代わりHPが減るけど、カナギなら平気やろ」

「お前な……。装備しただけでHPが1割くらい減ったぞ」


 センリの楽観的なセリフを咎めるようにカナギは眉をひそめた。

 しかしセンリはそれも気にせず、にっと笑みを深めて太鼓判を重ねた。


「カナギなら大丈夫や。なんせ俺の、最高の使い手なんやからな」


 その言葉に、カナギは思わずといった様子でふっと息を漏らした。


「そうだったな。お前は最高の職人で、俺は最高の使い手だ」


 そう言うや否や、カナギはばっと庭へ降りて短刀を逆手に構えた。そして刀の重みを確かめるように、剣舞のような動きで短刀を閃かせる。


「すごいな。俺の動きを全く邪魔しない。影みたいな刀だ」

「せやろ? それに、そん刀の真価はまだまだこっからや」


 センリがそう返すと、カナギはきょとんとした顔をセンリに向けた。


「<散華>ってスキルがあったやろ。耐久値と引き換えに刀の力を引き出すスキル」

「ああ、センリが使っていたあれか」


 素直に頷くカナギを見ながら、センリもひらりと庭へ降りた。そして得意げな顔をして、カナギの横へ並び立つ。


「今回のスキルは、耐久値の代わりに使用者のHPで発動する。その名も、<刀神憑依>」

「<刀神……憑依>?」


 カナギがセンリの言葉を繰り返した途端、その手に持つ短刀は黒い輝きを放ち、夜の海のような暗い水流をその刀身にまとわせた。


「うわ! 唱えるだけで発動するのか」

「ちょいカナギ。それで<展延>やってみてや」

「ああ、確かに」


 いきなりの奔流にカナギは驚いた顔をしたが、センリが声をかけるとすぐに平静を取り戻し、刀を振りかぶって詠唱した。


「<展延>」


 カナギがそう唱えると短刀から、流れ出る川のように黒い濁流が生み出された。その勢いは何もかもを押し流そうとする波のようで、荒れ狂う黒い龍のようでもあった。

 しかしそれは天に届く前に霧散し、カナギの身体がふらりと揺れた。そして倒れそうになったところを、センリが慌てて支えた。


「どないしたん!?」


 センリがそう声をかけると、腕の中のカナギは苦しそうに、頭をゆっくりと上げて言った。


「……どうやら、刃を延ばせば延ばすほど、代償が重くなるらしいな」


 カナギは息も絶え絶えだった。センリがそのステータスを確認すると、あと一歩のところまでHPが削られてしまっていた。


「そんならこん刀は止めた方が……」

「いいや」


 センリが心配を隠さずに口を開くと、カナギは即座に首を振った。そして青い顔をしながらも立ち上がり、センリにその真っすぐな瞳を向けた。


「これは俺の気が急いだだけだ。太刀ぐらいの大きさまでなら、十分実戦でも使える。……俺が限界を試そうとしたせいであって、センリは悪くない」


 その真剣な声色に、センリは自分も真っ青な顔をしていることに気が付いた。己の生み出した物が親しい人を殺す光景を、想像してしまったせいかもしれない。


「……ほんなら、一安心やわ」


 センリはそう言って笑顔を戻すと、首を傾げて尋ねた。


「そういや、<展延>の限界ってどんくらいなん?」

「ああ。そういえば伝えてなかったな」


 カナギは安心したように表情を緩め、刀に視線を戻して答えた。


「<展延>は<状態異常耐性>と同じように、経験値を溜めることでレベルが上がっていく。それに伴って延ばせる幅が変わっていくんだ」


 その横顔に懐かしさが灯るのを見て、センリは口をそっと引き結んだ。

 センリが<状態異常耐性>の話をしたときのカナギは、俯きがちでずっと表情に影があった。そんな彼は今や、センリよりもずっと透き通るような笑顔を浮かべ、瞬く星のような輝きを振りまいている。


「その限界点は、恐らくだが、スキル使用者の視界全てだ」

「……ほーん。見える範囲の敵には届くっちゅうわけか。明快でええな」


 センリはそう相槌を打ち、この世界が一つのフレームとして、個人の視界という単位を選んだ理由に思いを巡らせた。自分の思考を、カナギから逸らしたかった。

 一つの主体から見える景色を、一つの枠として数える。それはつまり、この世界の神たるAIが、人と同じように世界を見ているということなのだろう。

 この世界を成り立たせている膨大なデータの源を考えれば、思考が人に似るのも当然のことだ。

 センリはふと、自分が誰かの手のひらの上にいるような、そんな不気味な予感を覚えてぞっとした。


「センリ?」

「……んえ? ああ、すまん。考え事しとったわ」


 カナギに声をかけられて、センリははっとした。心配そうにのぞき込む彼は、どこか寂しそうにも見えた。


「大丈夫か? 体調悪いのか?」

「いや、単なる寝不足や。最近準備が忙しゅうて」


 そこまで言って、センリはふとカナギの顔を見つめ返した。するとカナギは戸惑った様子で、ぱちぱちと前髪から覗かせた左目を瞬かせた。


「準備って、何のだ?」


 黒髪を垂らして首を傾げるカナギを前に、センリはそっと息を吐き出して、逸る心音がばれないことを祈った。

 彼と実際に会えるのは、今しかないだろうと思った。住む国すら違うセンリにとって、カナギはあまりにも遠すぎる。


「いやー、それがな。俺、今度東京の知り合いの家に泊まりにいくねん。一週間くらい。その準備をしとってな」


 センリがそう切り出すと、カナギはあっけらかんとして、センリの望んだ答えを返した。


「東京? それなら会えるな。俺が住んでるのその辺だから」

「あ、え、そうなん? ええと……」


 思っていたよりも早く話が進んだセンリは、戸惑いを隠せず視線をうろうろとさせた。カナギはいぶかし気な顔をして、冷や汗をかくセンリの顔をじっと見つめた。


「駄目か?」

「や! 駄目っちゅうわけやなくて、むしろ歓迎というか……」

「歓迎? なんだそれ」


 たじろぐセンリが珍しいのか、カナギは吹き出すのを堪えるように笑った。その明るい表情も、少し懐かしいような気がした。


「センリはどこ住みなんだ? 大阪?」

「いやそれ、方言で決めたやろ。まあ、出身はそこやけど……」


 まだからかうような響きの問いに、センリは少し口を尖らせた。


「これ聞いたら絶対驚くで。あんま大きな声出さんでや?」

「住んでるところを聞くだけで、そんな驚くことないだろ」

「ほんまにびっくりするで? 声出るで?」


 まるで芸人のように言葉を重ねるセンリに、カナギはまた笑いそうになりながら言った。


「前振りはいいから早く言えって」

「しゃーないな。俺が今住んどるんは……」


 センリはそこでわざとらしく区切り、にやりと笑って続けた。


「カリフォルニアや」

「カ……!?」


 案の定声を上げかけたカナギの口を、センリはさっと手でふさいで言った。


「だから言うたやろ。声出るでって」

「いやアメリカが出てくるとは思わないだろ!」


 カナギはセンリの腕を引き離しながらそう言い、センリと目を合わせて堪えきれず噴き出した。

 誰かと笑い合ったことも、センリにとっては随分久しい事だった。

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