017: 喪失 -- 闘技場にて

 片足を撃たれたセンリは着地しようとして体勢を崩してしまい、もんどりうって地に転がった。


「センリ!」


 カナギの叫び声が聞こえてきた。返す余裕もないままセンリは素早く身を起こし、続けて放たれた弾を間一髪で避けた。


「避けないでよう、お兄ちゃん」

「誰がお兄ちゃんや。家族ごっこも大概にせえよ」


 甘えるような彼女の言葉にしかめっ面を返し、センリはそう吐き捨てた。

 目の前で繰り広げられる戦いにすら無関心そうに、少女クーシーは一心に言葉を紡いでいた。


「”星とは神の言葉。銃とは人の傲慢。火星は燃え続けて、銃の音もまた絶えず”」


 銃撃から遠ざかるように走るセンリは、彼女の言葉に眉をひそめた。

 本来スキルはその名称を唱えることで発動する。だが彼女が口にしたのはむしろ、何かの詩の一節かのような長い文章だった。


「よしよし。お兄ちゃんを一発で仕留め損ねた腹いせに、ハチの巣にしてやろーっと」


 クーシーの詠唱を契機にカーマの銃撃は激しさを増した。左手に持った機関銃はセンリを追い立てるように弾を撒き散らし、右手のアサルトライフルはカナギの身体を狙っている。

 それらの銃は魔銃と呼ばれる武器で、銃弾の代わりにMPを消費する。そのため装填に時間が取られることがなく、MPが枯渇するまで隙を生じず撃つことができるのだ。

 狙撃されたカナギが黒い刀で空間ごと弾を薙ぎ払うと、カーマは目を丸くして面白がるように言った。


「それ、【キンモクセイ】っしょ。そんな失敗作、まだ大事に持ってたんだ」

「失敗作?」


 カナギの声はいつもより冷え冷えとしていた。カーマはそれを知ってか知らずか、取り繕うように言葉を返した。


「ああ! センリ兄を馬鹿にしたわけじゃないよ。本当に失敗作なんだって」


 会話の隙にクーシーを狙おうとしたセンリは、すかさず銃撃に阻まれて飛び退いた。

 仕方なくセンリはクーシーを壁にしようと動いたが、それを気取ったらしいクーシーは蝶の羽を震わせてさっと上空へ飛んでいった。


「そんなんありかよ……でもMPを枯渇させれば、まだ勝機はあるか」


 センリは敏捷に走りながら、必死に勝ち筋を見極めようと思考を巡らせた。しかしそんな余裕すらないのだと気付いてしまい、背筋がぞっとするような絶望に襲われた。

 カーマも同様に思ったらしく、ぴたりと攻撃を止めた。その隙を突いて振り下ろされた刀をアサルトライフルの銃身で受け止め、カナギに歪んだ笑みを向けた。


「避けろ! カナギ!」


 センリがそう叫んだのも束の間、カーマの機関銃がカナギに向けられ、一気に火を吹いた。

 かろうじて避けたカナギは袂を焦がしたまま着地し、すぐさま跳んでカーマの右手側へ逃げた。

 しかしそれを待っていたかのようにアサルトライフルが発砲し、はっと振り向いたカナギの右目を撃ち抜いた。


「そうだ。お兄ちゃんに味わってもらおっと。大切な人が傷つけられる苦しみってやつを!」


 そう言ってカーマはまたぴたりと銃口をカナギに向け、弄ぶように今度は彼の左目を撃った。

 両目から血を噴き出したカナギは、一瞬身体を揺らめかせたが、刀を強く握りしめて固く地を踏みしめた。

 そのまま一歩を踏み出した彼は、目が見えないにも関わらずカーマに一目散に駆け、アサルトライフルを握るカーマの右手を切り飛ばした。


「……は? なんで? なんで見えないのに分かるの?!」


 カーマは茫然と呟いた。そして慌てて右手の機関銃を構えたが、その引き金を引くよりも早くカナギの鋭い一突きが繰り出された。

 その瞬間、上空から流星のように輝きをまき散らしながら、クーシーが急降下した。彼女はカナギとカーマの間に分け入って、カーマを庇うようにカナギの刀に貫かれた。


「クーシー!」


 カーマは悲壮感に塗れた声で叫んだ。少女の身体は粒子へと変わり、カナギはすかさず自由になった刀を振り上げた。

 しかしカーマにその刃が届くよりも早く、彼女の機関銃が眩しい火花を散らした。

 銃声が何回も響いた。カナギから彼岸花のように血がぱっと舞って、彼の身体は粒子となって儚く消えていった。

 その光景に目を見開いたセンリに、片腕を失ったカーマは荒い息を吐きながらも嬉しそうな顔を向けた。


「これが喪失……! 大切な人を失う苦しみ!」


 その叫びに呼応するかのように、高揚する彼女の背中から白い背骨のようなものが生えだした。

 それは連なった真っ白い弾倉だった。ぐるぐると彼女の身体を覆うように伸びた末に、彼女の左手の機関銃に接続されたように見えた。


「分からない! 本当にこれなの? ママが味わったのは本当にこれなの?!」


 カーマはセンリのことなど目に入っていないかのように、うわ言のような言葉を叫び続けた。


「これがマッさんの言うてた、心的外傷の具現化ってやつか……」


 立ちすくむセンリは、病院のような清潔な輝きを放つ白い弾倉を呆然と眺めながら、そう呟くしかできなかった。


―――――


「ああ、カーマちゃんがあんなことに」


 暗い部屋の中、青白い光を放つモニターの前でそう呟いたのはマサだった。

 その横には西洋風の甲冑を着た大柄な人物がいた。腕の中に角が生えた白髪の女を大事そうに抱え、微動だにしないままモニターにその顔を向けている。


『二人という制限を設けたのは正解だった。依存と孤独を引き起こし、人の感情を揺さぶることに適した舞台となった』


 マサの視界にそう告げるメッセージが表示された。マサは頷いて、横の人物に話しかけるように言った。


「カーマちゃんですらここまでの変貌を見せるんですから、センリくんはどれほど変わってしまうんでしょう。研究者という立場を脇に置いても、僕はそれを目にするのがとても楽しみなんです」

『楽しみか。それがどのような感情であったか、私はもう忘れてしまった』


 その言葉を目にしたマサは一瞬口を引き結んだ。そしてためらいがちに腕を伸ばし、甲冑に抱えられた白い女の腕をとった。


「ドクター。僕が脳科学者として、あなたの苦しみを取り除いてあげられないほどがどれほど辛いか、分かってくださいますか。あなたは人類の進化のため、個人の幸せを追い求められない立場にあるお方だ。その歩みを止めることは決して許されない。でも、僕は……」


 そこまで言ったマサは、手の中の白い指がそっと動いたことに気が付いて口を噤んだ。


『感情の理解を私に求めるな。私は知ること以外の機能を失っている。そう思ってくれ。いや、私にそう思わせておいてくれ』


 女の白い瞼が弱々しく開いた。その下から現れた瞳孔は山羊のように横に開かれており、宗教的知識を持つ者が見れば、その眼差しに不吉なものを感じるだろうと思わせた。


「すみません。ドクター」


 マサは掠れた声でそう呟いた。彼女の献身に敬意を示すように、そっと白い手の甲に顔を寄せた。そして脱力した彼女の腕をそっと胴の上に戻し、マサは再びモニターを眺めた。

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