微笑み

日乃本 出(ひのもと いずる)

微笑み


「伯父さんが、亡くなったのよ」


 電話口の母からの一言は、予想もしないものだった。


 僕は思わず、


「冗談やないよね?」


 と聞き返してしまった。


「冗談なわけないやろ。明日がお通夜で明後日が葬式やから、ちゃんと準備しときなさいよ」


 心なし、強い口調で電話を切る母。


 僕は大きくため息をついて、妻に言った。


「僕の伯父さんが亡くなったらしい。申し訳ないけど、明日がお通夜で明後日が葬儀なんだけど、大丈夫そう?」


 人の集まる場所が苦手な僕の妻は、一瞬だけ考え込むようなそぶりを見せたが、すぐに、


「うん。大丈夫。子供はどうしようか?」

「迷惑になるかもしれないけど、連れていきたいな。僕も一緒に面倒をみるから」

「わかった」


 僕たちは言葉少なに、喪服やらの準備を始めた。


 まさか、伯父が亡くなるとは。


 矢で討たれようが、刀で斬られようが、それこそ銃撃されようが生き残りそうなイメージを、僕は伯父に持っていた。


 伯父はとにかく、厳格な人という言葉がよくあてはまる人だった。


 僕は子供時代はよくしゃべる方だったので、伯父からよく睨みをきかされながら、


「はなさないで、黙って物事には取り組め。口数が多い奴は、価値が下がるぞ。話さない。わかったな?」


 と、よく注意をされていたものだ。


 実際に伯父はその言葉の通り、どんな時でも冷静沈着で、自分の子供に先立たれてしまった時も、涙一つ流さず喪主を務め上げたほどの人だった。


 そんな伯父だからこそ、僕は伯父の笑顔というのを一度も見たことがなかった。


 子供の頃はそんな伯父が苦手だったのだが、社会に出てから伯父から言われていたことが、いかに大事かというのを思い知らされることが多かったものだ。


 おかげで僕は、ただ優しい言葉をかけるだけが優しさではないというのをその身で知り、妻との付き合いや子育てに大きくそれが影響している。


 つまり、幼少期に伯父と僕との接点がなければ、今の僕という人格は形成されていないということ。


 いうなれば、伯父は僕にとって人生の師のようなもの。そして、恩人とも言える人なのだ。


 そんな人が、亡くなった。


 伯父がこの世にもう存在しないだという事実がなんだかピンとこないまま、お通夜の日を迎えた。


 お通夜の会場に来たところで、伯母さんにお悔やみの言葉をかける。


「この度は、まことにご愁傷様で……」


 すると伯母は、


「そんな他人行儀にならないで。よく来てくれました。今はちょっと見れないけど、どうか、あの人の寝顔を見てあげて。あの人らしい、顔をしていますから」


 と、悲しそうではあるがどこか誇らしげな表情でそう言った。


 伯父らしい顔とは、なんだろうか。そう言われて浮かぶのは、生真面目な伯父の仏頂面ばかり。


 ともかく、会場の中へと入り、弔問客の一団の中へと座る。


 それにしても、広い会場だ。そして、驚くほどの弔問客の数。


 今さらながら、伯父の偉大さを改めて感じる。


 祭壇に飾られている伯父の遺影に目をやると、やはりそこには僕の記憶の中にある、伯父の仏頂面がそこに飾られていた。


 伯父らしい顔、か。


 ついつい笑みがこぼれてしまいそうになるのをこらえる。やはり、僕の予想通りのようだ。


 やがてお通夜はすすみ、ご焼香の時がきた。


 伯父が眠っている棺の前へとすすみ、ご焼香をする。


 すると、司会の方がこう告げた。


「喪主様の願いがございまして、それはご焼香が御済みになられた方は、どうか逝去されました方のご尊顔を拝見していただければと存じます」


 それを聞いて、僕は少々びっくりした。ご焼香の際にそんな案内をすることなんて、かなりの異例なこと。しかし、そうまでしても、伯母は伯父の寝顔を見てほしいということだ。


 いったい、どんな顔をしているというのだろうか。いつもの、あの仏頂面ではないというのだろうか。


 僕は、興味半分、最後の挨拶という思い半分で、伯父が寝ている棺へと近づいて行った。


 そして僕は――衝撃を受けた。


 棺の中で伯父の浮かべている表情。


 今まで見たことのない、穏やかな微笑みを浮かべた伯父。


 あの、仏頂面以外の表情を浮かべてことのなかった伯父が、それはもうまるで仏像のような全てを受け入れてくれるような優しい微笑みを浮かべていたのだ。


 僕は、しばらくその場から動けなかった。


 係の方から、場所を譲ってほしいと促されてしまうまで、僕はずっと、伯父のその微笑みを見つめ続けてしまっていた。


 そして席へと戻ったところで、妻から言われて気が付いた。


「泣いてるよ。ほら、ハンカチ」


 自然と涙が落ちていた。あの伯父が、あんな微笑みを浮かべているなんて。それも、人生の最期に。


 そう思うと、なぜだかとめどなく涙があふれてくる。


 いったい、伯父の最期は、どんなものだったのだろうか。


 お通夜の儀が終わるとすぐに、僕は伯母の元へと駆け寄った。


「伯母さん。伯父さんってさ、最期はどんな感じだったの?」


 すると伯母は、伯父に負けないような微笑みを浮かべて言った。


「実はね、あなたには伝えていなかったけど、あの人は末期の癌になっていてね。きっとつらいだろうけど、それでもあの人は気丈に振舞ってたわ。そして息を引き取るその時まで、あの人は微笑みを浮かべたまま、私に大丈夫だ、大丈夫だ、ってそう言いながら息を引き取ったの」


 伯母の言葉を聞き、僕は全てを理解できたような気がした。


 伯父は、伯母のことを心から愛していたのだ。


 だからこそ、一人残されてしまう伯母に対し、あのような微笑みを浮かべたに違いない。


 心配しなくても、いずれ会える。だから少しの別れにしかすぎないから大丈夫だ。


 伯父は、きっとそう言っていたのではないだろうか。


 厳格な伯父が見せた、最高の微笑み。


 そして、伯父が最期に僕に教えてくれた、夫としての最期の生きざま。


 僕は果たして、癌の苦しみに耐えながら、自分の身を案じるよりも妻のことを案じれるような、そんな強い人間になれるだろうか。


 伯父から与えられた最後の宿題は、僕の最期のその時まで解けそうにはない。


 僕たちは伯母や親族たちに挨拶をし、家路についた。


 その途中、僕は心の中で伯父にお願いをしていた。


 伯父さん、悪いけど伯父さんがどういう人だったか、僕の妻と子供に伝えさせてもらうからね。


 どうかお願いだから、その時くらいは、はなさないで、とか言わないでくれると助かるな……。

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微笑み 日乃本 出(ひのもと いずる) @kitakusuo

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