千佳ならではの「はなさないで!」のお話。

大創 淳

【KAC20245】……はなさないで。


 ――上を向いて歩こうと、そう思った日。


 とある歌の文句ではないけど、ふと思い出した、あの夏の日のこと。



 僕の、細やかな冒険が始まったばかりの頃。何もかもが新鮮だった。


 それと比例して執筆も弾んでいた頃……また自身の中の復活を望みながら、このKACに残したいと思えたエピソードを今一度、振り返る。丁度お題の通りのエピソード。


 そして一人称は『僕』だけど、列記とした女の子。


 所謂ボクッ娘というわけで……名前は千佳ちか。この頃はまだ、僕の名字は梅田うめだ。なのでよくウメチカと称されていた。梅田千佳だから。そして双子の姉の梨花りかとは名字が違っていて、彼女は星野ほしのという名字。実は僕らが双子だと知ったのが、この年のことだった。


 パパも二人いた頃……


 それから、太郎たろう君というボーイフレンドもできた頃だった。



 ――想い出の八月。令和二年の八月の二日目。



 僕は風に乗って、走っている。


 毎朝恒例のジョギングとは、また種類の違うもの。……ペタルを、漕いでいる。


 その日の朝、少し離れた場所の自転車屋さんで買ってもらった自転車。開店と同時にパパに。パパはパパでも僕のパパ、ティムさんではなくて、梨花のパパ、新一しんいちさんの方。


 しかしながら、梨花と僕のパパは同じ。同じお母さんから生まれた。


 でも、この頃はまだ、訳ありだったから……



 車種は……つまり自転車の種類はママチャリ。そして僕のイメージカラーの黄色。変速機能はなし。充電式自転車でもない。ごくごくシンプルなものだった。


 とにかく今は、走ることで精一杯。


 正確に言うのなら、バランスを取ることで、コケないことで精一杯。


 だから言うの。


「離さないで!」


 と、金切り声になっても言うのだ。



 場所は、大きな川の近く。河川敷……これもまた、歌の文句にもありそうな『河原の道を自転車で』の、まさにその一コマ。『走る君』は僕で『追いかけた』のは太郎君。


 その道程は、梨花の住む公営住宅から始まり、トンネル抜けて上へ上へと、そして大きな橋へと辿り着く前に下へ下へと、転がりそうな坂道を下ってゆく。自転車は乗らず、まだ乗らずに押してゆく。まだ乗れない初心者だから。その当時は中学二年生だった。


 梨花と、新一パパは見守っている。


 少しばかり距離を置きながら。緑色が疎らな道……一応は舗道。凸凹は比較的リトルな所を選んでいる。僕は今、地に足を着けずにペタルの上。必死に回す動かす、風を感じる余裕は持ちつつも、やっぱり怖くて、


「離さないで!」


 と、そう声を発していたのだ。多分、連呼にも近くて。


 今まさに、僕の乗る自転車を押しているのは、太郎君。


 ここまで駆けつけてくれたのだ。僕が自転車を運転できるようになるまで、僕が転ばないように支えてくれるって……その小さな約束を守るため……のはずだった。


 な、何と!


 離したの、両手とも!


「た、太郎君?」


 僕は容易に泣きべそ掻くけれど、


「もっと自分を信じろ、千佳、やればできる子だ、お前は」


 と、太郎君は言うの。爽やかな笑みを浮かべて。


 そのまま走る僕は、ペタルを漕ぐ。……で、何メートル走ったのか?


 どのように走ったのか? それはまだ、自転車のみが知っているの?



 七回転んで、八度起きる。


 それが今で……今でしょ。



 ――まったくその通りなの。転がってゆく道で、その身をもって経験した。



 ずぶ濡れになって、水は滴り落ちる。


 河川敷のような場所だけに、お約束というわけではないのだけれど、七回のうち一度は川に落ちたの。そこで発覚だ、僕が泳げないことを太郎君は知っちゃったの。


 だからと言って、別に隠していたわけではなくて、


「千佳って、泳げなかったの?」


 と、驚きに満ちる太郎君の反応に、僕の方が慄き驚いていた。


 それは何故? それは僕が泳げると思っていたから? だったら、それは記憶違い。でも記憶違いでもなくて、僕は君とプールに行ったことはないけれど、それは梨花。梨花は泳ぐのが得意。クラスで一番を誇っている程だから。


 何しろ僕と梨花は、まるで鏡を見ているかのように、ソックリだから。


 そう思っているとね……


 その辺りかな? いつかの約束、太郎君とプールに行ける。将又海にだって。


 ずぶ濡れが、とても気持ちよく感じられて、


 ペタルがね、軽くなったの。――爽快感を奏でる川の調べ。いつしか景色も。誰も助けないけれども、助けちゃダメな時なの、今は。僕の力で乗り越えなきゃ……見守ってくれているの、新一パパも梨花も、そして……そして大好きな太郎君も。



 ――七転び八起きで、できたの。


 僕は自転車に乗れた。転ばずに運転できたの。走り続ける渦中を、太郎君は……特に太郎君は褒めてくれたの。だから今度は、泳げるようになりたいの。太郎君と一緒にプールや海で、お洒落な水着も用意して、ちょっぴり大人なデートを満喫したいから。


 その時は……


 離さないでね。


 と、そっと囁いた。そして今も、離さない。お腹の中にいるこの子たちのためにも。


 結ばれは赤い糸は、きっと離さない。それはこの子たちのママとして。それから太郎君はパパとして、この子たちの生命に関わるのだから。それから人生にも。


 今度はちゃんと、君たちのパパとママは、傍にいるから。離すことはないから……


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千佳ならではの「はなさないで!」のお話。 大創 淳 @jun-0824

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