第37話

 人の少ない渡り廊下の端に移動した俺達三人は、再び対峙する。


「入学式の時はありがとうございました」

 開口一番、切り出したのは渡瀬さんだった。

 僅かに頬を紅潮させながら、『携帯を拾ってもらった話』の礼を言う。


「ああ。俺も入学式でテンパっていたから、あんま覚えてないんだけどさ」

「何、何かしたの?」

 諌矢だけは俺達の因縁を知らないので不思議そうだ。落ち着きなく首を揺らしている。

 しかし、俺は諌矢に事情を話す事無く、本題に入る。

 入学式の件は、お互い分かっているならばそれでいい。


「中学の頃の赤坂ってどんな感じだった?」

「環季ちゃん……うーん」

 渡瀬さんは少しだけ思案するように俯いてから、顔を上げる。 


「そうですね。環季ちゃんとは二、三年の時に同じクラスだったんですけど、いつも明るくて誰にでも優しくて。本当に皆の人気者って感じでしたよ!」

 高揚気味に言ってみせる渡瀬さん。ちらちら隣にいる諌矢を見ているのがあからさま過ぎる。

 女子は他の女子をアゲる事で、自分の好感度も上げるとか、そんな目論見を感じるよ。

 これってやっぱ、諌矢がいるから俺の聞き込みにも応じてくれたんだろうな。


「あの揮発性危険物みたいな女が? 嘘だろ」

 一方の俺は信じられない。思わず渡瀬さんに聞き返す。


「勉強だけじゃなくて、ソフト部でも大活躍で東北大会まで行ったみたいでしたし。とにかくスゴかったんですよ? 全国大会行く手前まで行ったとか何とか」

「はは。マジかよ赤坂さん。すごいんだな」

 諌矢もそれには驚いたようで、思わず口に手をやっている。

「ですよね!? 風晴君もそう思いますよねっ!?」

 それを見て、面白そうに笑い声を零す渡瀬さん。まるで、自分が褒められた事のように嬉しそうにしている。


「ふふ。あとはですね――」

 そこから聞かされる中学時代の赤坂。それはまさに、校内トップカーストのテンプレートみたいな生き様だった。

 彼女の話では、赤坂は理系科目では常に上位に名を連ねる成績を誇り、生徒会長もこなしたらしい。


「生徒会長までやるなんてな。まさに文武両道だな」

 諌矢も同じようなタイプの人種だけど、これには苦笑い。


「溢れ出る攻撃性と実力を全力で隠してる感じはしていたけど……まさか、そこまで凄い奴だったとは」

 目立つ事を嫌い、率先してグループを作ろうとしない今の姿からは想像もつかない。

 そういえば、俺が赤坂と初めて会話をしたのは保健室に休みにいった時だったっけ。

 赤坂は数学は予習済みだからサボるんだと言っていたけど、テストで高得点をたたき出している辺り、あながち嘘では無かったということか。


「じゃあ、友達とかもいっぱいいた?」

「それはもう! いつもクラスの輪の中にいる感じでした。後輩にも慕われてましたし!」

 諌矢が聞くと、渡瀬さんは大輪の花でも咲いたかのような表情で答える。

 踊り場の窓から注ぐ真昼の太陽が元々可愛らしい表情を更に眩しくさせていた。


「誰にでも親切で、困っている人がいつも助けてくれる。そんなヒーローみたいな存在が環季ちゃんなんです。それに、私も助けられた一人でしたし……」

 そう言って、人差し指を唇に当てながら、渡瀬さんは懐かしそうに表情を綻ばせる。

 その甘く隙だらけな笑顔に思わずどきっとした。


「そうなんだ……まあ、あいつって世話好きだからな」

「あ、一之瀬君も分かります? 環季ちゃんのおかげで私、鷹越中の時は本当に楽しかったんですよね!」

 さらりと流そうとしたら渡瀬さんは食いついてくる。校舎裏で会った時よりもテンションが高いので俺は思わず後ずさる。


「ん? 鷹越中学校は?」

 発せられた奇妙な響き。どこか引っかかりを覚えた俺に、渡瀬さんは少しだけ苦笑する。


「はい――私って元々女子に嫌われるタイプなんですけど、環季ちゃんだけは優しくしてくれたんです。だから、環季ちゃんのおかげで中学で浮き気味でも楽しかったっていうか――」

 照れているのだろうか。手を後ろに回してはにかむ。

 腰を傾けて上目で見られると、俺は視線を合わせられなくなった。


「そ、そうなんだ……」

「はいっ」

 女子に嫌われるタイプとか自分で言っちゃう割に、気にしてない風の渡瀬さん。俺はそのあざとさと胆力に感服した。


「でも……」

 不意に、渡瀬さんの表情が沈む。俺は言葉の続きを待つ。


「最近の環季ちゃん。なぁんか、変わっちゃったと思うんですよね。私でも話しかけづらいっていうかぁ」

「分かるよ、それ。西崎も露骨に警戒してるし、雰囲気悪いんだよなー」


「やっぱそうですよね!?」

 諌矢が相槌を打つと、渡瀬さんは食らいつく勢いで顔を上げる。


「今とは明らかに違うよな。やっぱ、渡瀬さんが転校した後に何かあったのかな」

 俺は思案するのだが、やはり確信には至らない。

 そこまで交わした所で昼休み終了前の予鈴が鳴る。


「やば、もうこんな時間かよ」

 気づけば、見渡せる範囲で立っている生徒は俺達だけだった。大分話し込んでいたらしい。


「情報は聞けたんじゃないの? さっさと戻ろうぜ」

 そう言ったまま、諌矢は一足先に小走りで階段を上っていく。


「そうだね。渡瀬さんも早く……」

 俺も続こうとするのだが、振り返った先の彼女は動こうとしなかった。


「あの!」

 カーディガンの袖から僅かに出た指先が、俺の学ランの裾を掴む。

 潤んだ瞳は庇護欲を駆られるような可愛らしさを帯びていた。

 ごくりと唾が喉を下っていく。


「やっぱり、一之瀬君って風晴君と仲いいんですよね?」

 いきなり渡瀬さんは俺の事を聞いてくる。

 諌矢が去るのを待っていたかのような、タイミングの質問に、俺は思わず固まってしまう。


「え、一応そうなのかな……多分」

 諌矢とはこれでも入学してから二か月程度の付き合いだ。

 はっきり仲が良いと言いきる自信が無いので、曖昧に答えるのだが……


「そうなんですね! よかったー」

 何故か渡瀬さんがはしゃぐ。

 しかも、声のトーンがさっきより大きくて威圧されそうだ。


「この前、付き合ってほしいって言ったのも、風晴君の事でちょっと聞きたい事があったからなんですよね。それなのに、一之瀬君勝手に行っちゃうし。」


 ――は?


「だからー、もしかして変な風に勘違いさせちゃったかなって、ずっと気になってたんです」

 悪びれる様子もなく、渡瀬さんは真実を暴露する。


「入学式にスマホ拾ってくれた時も、普通の男子なら、そこから連絡先とか聞いてくるじゃないですか。でも、一之瀬君はそういうの無いし、人畜無害そうだし。だから、諌矢君と仲良くなりたいっていう私のお願いも聞いてくれるかなって思ったんですよ」

 心なしか、諌矢のいた時よりも饒舌でサバサバしている。

 彼女も赤坂並みに猫を被るタイプらしい。


「だから、気にしないでくださいね。環季ちゃんの事、よろしくお願いします!」

 そう言ってぴょこっとお辞儀をすると、俺を抜き去って階段を上っていく。

 ひらひら揺れるスカートの裾が曲がり角に消えた。


「なんだよ……それ」

 どうやら、渡瀬さんは諌矢を気に掛けているらしい。俺に接触を試みたのもそういった外堀を埋める意味合いだったという事か。

 確かに、諌矢や俺は、渡瀬さんとは一切接点が無い。


「それにしたって……無いよな」

 こんな場所とタイミングで、思いもしなかった真相が発覚だ。

 しかも、一見何の意味も無くて、それでいて俺の心だけ的確に殺しに来る伏線回収だ。

 入学式の一件でフラグが立ったかもしれないとか、一人で舞い上がった時期もあった。

 告白される経験を持つ男子として、心の中で須山にマウントを取っていた時期も恥ずかしながら、あった。

 しかし、それらは全て俺の勘違いだったのだ。


「ていうか、呼び出す為の手紙を俺の下駄箱に忍ばせるなんて回りくどすぎだろ……」

 あの赤坂ですら普通にラブレターだと思って疑っていなかったのに。

 一人取り残された俺。しばらくの間立ち直る事が出来なかったのは言うまでもない。

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