第31話

「しゃああああっ! 来い、川村。勝負だ! 俺が打ったら帰りにアイス奢れ!」

 須山は相手投手にまで勝負を求めている。俺とのホームラン競争、対決とやらはどうなったんだろう

 投手を務めるのはクラスの野球部員だ。長身に程よく筋肉のついた細マッチョの丸刈りは、見事なオーバースローでボールを放る。

 その一球を豪快に空ぶる須山。


「だああああっ! カーブ投げんなってば!」

「カーブじゃねーよ。お前マジで牛丼とアイス俺に奢れ」

 審判役の強面バスケ部員が突っ込むとギャハハと笑いが沸き起こる。何か、須山の負けたデメリットだけが増えて言っている気がする。

 本当に楽しそうな打席周りだ。

 俺はそんなやり取りに直接参加する訳もなく遠くに視線を外す。


「あ……」

 すると、丁度向こう側を歩いて行く見慣れたシルエット、赤坂環季の姿が目に入った。

 赤坂は小さな肩掛け鞄をぶら下げ、どこか明確な目的地に向かうかのように足早に歩を進めている。


「おーい、赤坂!」

 声を出して手を振ると、赤坂は結わえた二つのテールをびくっと揺らして俺を見る。

 近所で通りすがった猫を見たら向こうも気づいた時みたいな、そんな微妙な間。

 一応気づいてくれたらしいので、手を更に激しく振ってみる。赤坂は何故か苛立たしい顔を浮かべてこちらに向かって歩いてきた。


「なんで、そんなデカい声で呼ぶの」

 辺りを見回しながら俺にだけ聞こえる声量で、静かに激しく恫喝する。

 どうやら、同じクラスの連中にこのやり取りを見られるのが嫌らしい。


「ごめん。もしかして他に用事あった?」

「そんなとこ。誰かさんがデカい声で呼ばなければ自然に通過できたのにっ」

 赤坂は周囲に少しだけ注意を向けながらも、答える。


「じゃあ、今度はもっと気づかれないように話しかける」

「うーん」

 赤坂は俺をまじまじと見ると、顎に手をやりながらわざとらしい仕草を取る。なぜか口許は緩められていて機嫌は良さそうだった。


「でも……一之瀬って空気キャラだし? さっきくらいの勢いで声掛けないと、やっぱ気づかないかも」

 辛辣な物言いをしておいて、赤坂は完全にニヤニヤ顔だ。俺も呆れ混じりの変な笑いが出た。


「相変わらず隙が無いな。で、どこに行くつもりだったんだよ?」

「この先に川原があるみたいなんだよね。そこで一人で休もうかなって」

 そう言って赤坂は片目を瞑る。開いた方の目は草地の外れの雑木林に向けられていた。

 鬱蒼とした木々の合間には、舗装された遊歩道が敷設されていた。だいぶ奥まで続いているようだ。


「そう言えば、案内板にも書いてたな。釣りスポットもあるとか何とか。なに、サワガニでも探すの?」

「いや、普通に読書」

 俺が尋ねると、赤坂は速攻で否定して視線を外す。いちいち調子狂うな。


「なんだよ赤坂。せっかく遠足に来たんだから、ここでしか出来ない事すればいいのに」

 野球を楽しむ須山達を示しながら俺は言うが、何故か赤坂の表情はぱっとしない。


「私は一人になれる所がいいの」

「江崎さん達と遊んだりしないの?」

 そう尋ねると、赤坂は気前悪そうに考え込むように唸る。


「江崎さん達は良い人だけど、一緒にいるのって気を遣うのよ。わかんない?」

 もう一度俺を見る目は、これまでの冗談じみた気配はすっかり消えていた。

 本当に一人になれる場所を探していたって事なんだろうか。


「……まあ、分かるよ」

「えっ」

「皆とは仲良くしたい。でも、一人になれる空間は欲しい。そうだろ?」

 確かに、こうやって皆で野球を見ているのは気分が盛り上がるし、何よりも楽しい。教室でぼっちや特定のグループに属さないでいると辛い経験をする事も多い。

 それでも、一人の時には一人の時にしかできない、様々な楽しみ方もあると思う。

 これまでの生活から、自分でもそれが分かっていたからだろうか。自然とそんな事を口走っていた。


「へえ」

 赤坂は少しだけ驚いたように眉を上げる。

 俺が赤坂の考えに理解を示さないとでも思っていたのだろうか。


「一人の時は気兼ねなくいろんな場所に行ける。でも、グループだと合わせないといけないじゃないか」

 いつも一緒にいる仲間は確かに大切だ。でも、それが枷になる時だって少なからずあるかもしれない。それを赤坂に伝える。


「一之瀬にしては良い事言うじゃな」

 すると、赤坂は少しだけ機嫌を良くしたのか、ふっと肩を崩す。


「それはそうだけどさ……」

 そして、須山の打席を少しだけ気にするように目を向ける。


「何で一之瀬、野球なんかしてんの? そういうキャラじゃなくない?」

「そっちかよ」

 話を変えて、結局赤坂は俺をディスりたいらしい。

 何でだろう。肯定しても気づけば赤坂に反論されているなんて。


「食堂で言わなかったっけ? 俺、一応野球経験者だよ?」

「マジで? 虚言癖だと思って聞き流してた」

 全く信用していない顔だ。睫毛を瞬かせながら、可愛らしい顔でムカつく事を言い放つ。

 他意は感じられない。多分、素で俺が野球をしていたのが信じられないって事だよな。


「酷い事いうね。これでも、小学校の頃はピッチャーやってたんだけどな」

 どことなく小馬鹿にした赤坂に言い返す。何故か俺も意地になっている。

 とっくに辞めた野球部の記憶を掘り起こして、何故こうも張り合っているんだろう。


「そう……なんだ。意外」

 赤坂は信じられないと言いたげに、口元に手を当てて呟いた。


「おい、一之瀬!」

 そこに須山が戻ってきた。プラスチック製の軽いバットをブンブン振り回している。


「あれ? もう終わったの?」

「三振だよ。駄目だ、まるで打てねえ。川村の野郎、ひでえ魔球投げやがる」

 大げさに悔しがる須山。と、隣にいる赤坂を見るとポケーっと口が開いていく。


「おろ? 赤坂ちゃんじゃん」

 俺の方と見比べながら、須山が面白い物を見たような顔になる。


「よし、一之瀬! 彼女に良いとこみせてやれ。おーい、一之瀬打つってよ!!!」

 そう言って、遠くのバッターボックスに集まっていた連中に大声を飛ばす。


「いや、ちょっと待てって」

 一方の俺は気が気じゃない。


「そもそも、俺とか赤坂はそんなんじゃない」

 渡されたプラスチック製の玩具のバットをぶんぶんしながら反論。

 しかし、須山は俺の言葉を謙遜と受け取っているらしい。またまたぁーと、ふざけた調子で濁される。

 そんな事をしていたら、他の生徒達もちらほらと視線を向けてくる。何か、すごく恥ずかしくなってきた。


「打ってきなよ、一之瀬」

 ぽん、と赤坂が俺の肩をポンと優しく押す。

 思わず振り返ると、何故か赤坂は視線を外す。


「せっかく誘ってくれてるみたいだし、頑張りなよ」

 髪に手を通しながら、もう一度俺を見てそっけなく呟く。

 しかし、その表情は俺を茶化す訳でなく、優しさに満ちていた。


「え、あ……おう」

「じゃ、私は川原に行くから。三球見逃し三振なんて駄目だよ? 男らしくない」

 バットを握り直す俺を見て、赤坂は満足したように口の端で笑みを作る。

 そして、プレッシャーを一言添えて、遊歩道の方へと歩き出す。いや、そこは打席見届けないのかよ。


「え、赤坂ちゃん見ていてくんないの?」

 揺れる深紅のツーサイドテール。その背中を見ながら、須山も俺と同じことを言っていた。

 この大男とリンクしている自身の思考に、少しだけゲンナリした。


「じゃあ、さっきの約束」

 首を傾げる須山を見上げ、俺は続ける。


「俺が打ったら、何か奢れよ?」

「一之瀬、根に持つタイプかよ!」

 そう言って頭を抱える。既に須山は三振したからヒットの一つでも、俺の勝ちになる。

 背中に落胆する須山の慟哭を感じながら、俺は打席に向かう。


「お、一之瀬じゃん。なに、打つの?」

 打席に入ると、キャッチャー役の生徒が俺を迎える。その眼には俺に対する拒絶とかは感じられなくて、快く迎え入れてくれているといった顔。

 そのまま空けられたスペースに足を踏み入れ、バットで構えを取る。

 数年ぶりだけど、とりあえずやってみるか。

 そんな気概が自然と生まれていた。

 今までの、誰にでも遠慮していて負い目を感じていた俺だったら考えられなかった事だ。


「さあ来い。ホームラン狙ってやる」

 ここは須山の真似をして大口を叩いてみる。それを見ていたピッチャー役もニカッと白い歯を見せる。


「よっし。じゃあ、行くぞー」

「おう!」

 長い腕を真上に伸ばし、大きく振りかぶるピッチャー役。俺はその初球を思いきり見据えた。



 ――そして、三球三振を喫したのだった。




「一之瀬よお。お前、まるで駄目だな!」

 三振した俺を出迎える須山は笑っていた。

 あれだけ赤坂に見逃し三振はするなと言われたのだ。

 俺はバッティングの感覚を呼び起こしながらフルスイング。結果、綺麗に三球とも空ぶって呆気なく終わってしまった。


「須山だって三球三振だったじゃないか」

「ガハハ。そうだったっけ? 忘れちまったよ。じゃあ、攻守交替だな!」

 須山は自分の失敗を全く気にしていない。いつものように笑い飛ばし、他の男子達と同じように、守備に向かって歩き出した。

 しかし、俺は流れに逆らうように一人で踵を返そうとする。


「何、守備入ってくれないの?」

「ごめんな。ちょっと腹痛くって」

 寂しそうな顔で振り向く須山に一言謝っておく。

 実は、先ほどから腹に違和感を覚えていたのだ。

 赤坂に言われている間から少しだけ予兆はあったが、圧迫感は今でははっきりした腹痛へと変わっていた。食後すぐに動いたせいかもしれない。


「ああ……そっか。分かった」

 須山は俺を止める事無く、快く承諾。俺もその場を離れる。

 鬱蒼と並び立つ雑木林に入る。

 案内板によれば、この中を通る遊歩道の中腹にトイレがあったと思う。


「……あれ?」


 誰もいない元来た道を振り返り、そんな声が漏れた。

 遠く見える太陽の下では、野球をしている須山達が小さく見える。


「俺さっき……何て言った?」

 歩くのを止めたのは、ふとある事に気づいたからだ。

 それは、須山や諌矢みたいな連中からすれば、当たり前過ぎて下らない事なのかもしれない。

 でも、違う。

 当たり前の話でも、俺にとっては恐ろしく輝かしい進歩だと思ったのだ。

 脳裏で思い返されたのは草野球から去る時、無意識に放った一言。


『ちょっと腹痛くて』


 だから、トイレに行ってくる。そういう意味合いの事を、俺は自然と告げていた。

 事情を知っている赤坂や諌矢は別として、学校内の俺だったら有り得ない台詞。

 それは多分、単純で裏表がない須山が相手だったからこそ、言えただけかもしれない。

 ここはキャンプ場だ。休み時間に同世代の数多くの顔見知りが押し寄せる学校のトイレとは事情が違う。

 生徒達はあちこちに分散しているし、同じトイレで鉢合わせになる事だって殆ど無い。学校内と比べてそのハードルはぐんと低い。


 だが、しかし――

 それでも、俺は自身がトイレに行くことをはっきりと誰かに告げる事が出来たんだ。まるで、以前から自然にしてきた行為のように。


『友達にノリでウン〇行ってくるとか、そんな事を自然に言えるキャラになればいい』

 いつか聞いた赤坂の言葉を、俺は知らず実践していた事に心が震えるのを覚えた。


「すげえな……俺」

 しかし、こうも思う。

 ――くだらない事で喜び過ぎだよな、俺。

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