第20話

 翌日。昼休み開始のチャイムが鳴るのと同時に、前席の諌矢の背中をつつく。


「ちょっといいか」

「なになにー?」

 窮屈な授業から解放されたせいか、長身を伸ばしながら諌矢が振り返る。

 珍しく俺の方から話しかけたせいか、すこぶる機嫌は良さそうだ。


「学食行かない?」

 隣の西崎グループの女子達に聞かれないように小声で伝える。


「は?」

 しかし、諌矢は表情を固めたまま。


「だから、学食行くんだよ。学生食堂って知らないのか。ほら、旧校舎の向かいにある」

 何か不味い事言ったかなと、俺は被害妄想に駆られながらも続ける。

 ようやく理解が追いついたのか、諌矢の目に色が戻る。


「いいよ。でも、珍しいな。夏生が学食って」

「なんで笑いをこらえる」

 俺はうんざりしながら諌矢の後に続いて立ち上がった。


「だってさ、お前。学食のシステムとか分かんの?」

 そこで初めて気づかされる。外食すら殆どしない俺は、食券システムがよく分からない。

 注文やら会計方法なども全くの未知の世界だ。


「それにしても、夏生が学食かぁ。こりゃ今日は大規模集中豪雨がくるかもなー」

「くるかっ!」

 悠々と歩いていく長身痩躯の背中を俺は必死で追いかけた。

 雲一つない青は、憎らしい程に澄みきっていた。




 新校舎と同じ時期に改築されたという食堂は、窓から注ぐ陽光で燦々と照らし出されている。


「まさか……赤坂さんがいるなんてな」

 一方の諌矢は暗雲に包まれたような顔。学食前で待ち合わせていた赤坂が合流したからだ。

 こいつにも、弱点はあったのを知れたので俺はほっとする。


「なあ、夏生。俺本当に同席しないとだめ?」

「頼むよ。事情は後で話すから」

 諌矢を必死に説得する。

 赤坂の症状がどれほどの物か確認するには一緒に飯を食って様子を見るのが一番だ。しかし、二人きりで食べているのをクラスの連中に見られたら、また変な噂になりかねない。

 その為の諌矢。こいつならリア充だし、色んな女子と一緒に飯を食っても違和感が無い。


「分かったよ。お前にはバナナオレ貰ったしな」

 そう言って、諌矢は頼りがいがある顔つきで食堂に入っていく。


「行くか」

「うん」

 どこか気後れした顔の赤坂に一声かけつつ、俺もその後に続いた。



 俺達が食券を購入するのに時間を掛けたせいか、最初は長蛇の列だったカウンター前も、すっかり人も捌けていた。

 窓際の長テーブルに俺と諌矢が隣り合い、向かい側には赤坂が座る。


「赤坂さんは揚げ物定食かあ。日替わりで超マイナーなフライも出るからおすすめだよ」

「へえ。風晴君はカレーライスなんだね」

 トレーに並ぶメニューは出来たてホヤホヤ。香ばしい匂いに食欲がふつふつと湧いてくる。


「そーそー。俺、カレーライス超好きなんだよね。最近はカレーしか食ってないし、なんなら本場インド人にも勝てる自信あるね、うん。もうね、食生活だけならヒンドゥー教徒になりつつあるから、マジで」

 諌矢はカレーライスをスプーンで掬いながら、調子の良い事を言っている。


「それにしてもさ、夏生。そんなんで腹足りるの? 何、そのひじきサラダとご飯小って」

 諌矢が指さしたのは、俺の選んだ昼食メニューだ。

 黒の木目調が施されたトレーには小さな茶碗と、ひじきの小皿があるだけ。

 他の人に比べたら食事量は三分の一にも満たない。ひやかしみたいなオーダーだ。


「あんま食い過ぎると午後に腹が痛くなるんだよ。察してくれ」

「なあんだ。てっきり俺は、ヒンドゥー教に対抗して仏教にでも目覚めたのかと思ったよ」

 確かに、トレーに乗ったメニューだけなら精進料理っぽい。

 肉も魚も無いし、あるのは豆と野菜だけ。あと白米。


「黙れ、カーストトップのリア充。お前のうざさはガンジーも助走つけて殴りかかるレベルだ。それなら、凡人の俺が我慢できずに殴る蹴るしても許されるよなあ?」

「あんたら、本当に楽しそうね」

 赤坂が冷ややかな目で俺達を見ていた。


「そういや、ここに来たのは赤坂さんを助ける為だったんだよな」

 諌矢は気を取り直したように頭を掻く。俺は本題に入る。


「そうだ。赤坂の症状を確認するのがそもそもの目的だ。普段ならこんなリア充どもの巣窟。寄り付くだけで頭痛と吐き気がする」

「一之瀬。あんた地縛霊にでも憑かれてるの?」

「うるさいなあ。早く食べてみなよ」

 最早聞き飽きた感のある憎まれ口を叩く赤坂。俺は急かすように言い返した。

 しかし、赤坂は箸を割ると、そのまま固まってしまう。それまでの剣幕が嘘のようだ。


「赤坂さん、どんな感じ? ちゃんと食えそう?」

 カウンターからここに来るまでに赤坂の事情を説明してはいたが、諌矢は探るような顔つき。


「どうかしら」

 赤坂はじっと皿の上のフライを見据えていた。紡錘形の白身魚のフライはタルタルソースとパセリで彩られ、付け合わせのサラダには少量のスパゲッティも添えられている。

 普通の高校生なら、ワイワイしながら食べたくなる色鮮やかなメニュー。

 しかし、赤坂は意を決したように箸を取る。その動きはガチガチに緊張しきっていて、顔には悲壮感みたいな物まで宿っていた。これからご馳走を食べる時の表情ではない。

 恐る恐るフライの欠片を口に運び、何度も咀嚼してから、ようやく飲み込んでみせた。


「赤坂さん、ちゃんと食えるじゃん」

「箸をつけるのまではいいけど……」

 赤坂は苦々しい顔で、まだたくさん残っている皿の上を見続けている。


「何が辛いって、飲み込む時よ。水でも食べ物でも、喉がつっかえたみたいになって不安なの」

 そして、お茶にも口をつけるのだが、その動作は慎重過ぎる程にゆっくりだ。


「周りの騒々しさとか、やっぱ気になるの?」

「ラーメン屋とかだと平気なんだけどね。知り合いがいる教室で食べるときは、いつもこんな感じ。本当嫌になる」

 その表情は憔悴しきっていて、見ているこっちまで辛くなる。まさか、これほどとは。

 てっきり、孤高故に一人でどこかで飯を食っているものだとばかり思っていた。

 赤坂はいつも口を開けば、俺の精神を削りに来る。そんな、天敵みたいな存在が、今は目の前で自分の弱さとせめぎ合っているのだ。

 その姿はまるで、教室で一人腹痛に耐えている時の俺みたいだった。

 腹の奥底に重りのような物が溜まっていくのを覚え、俺はたまらず問いかける。


「いつからこんな感じなんだ?」

「えっ」

「学校で飯を食うのに、こんなに神経使うようになったのはいつからなんだよ? 小学校の給食でもこうだったの?」

 赤坂は箸を持ち上げ、宙で止めて思案し始める。


「あの頃は大丈夫だったけど……寧ろ、給食は大好きな時間だったし」

 そう言って、もう一度フライに挑む。箸を持たない手は口許に添えられ、動作もぎこちない。

 一度に食べようとすると上手く飲み込めないのかもしれない。


「俺はダメだったなー」

 唐突に諌矢が会話に割って入る。


「何が?」

「給食だよ。何か健康志向なのか知らねえけど、給食ってたまにくそ不味いメニューの日とか無かった?」

 諌矢は大きく伸びをしながら椅子にもたれる。


「ごめんな諌矢。俺、小学校は違う市に住んでいたんだ。給食じゃなくて弁当だったし」

 頬を掻きながら答えると、二人は意外そうな顔をしていた。


「マジ? 一之瀬って転校生なんだね。その割に世渡り下手そう」

「そうそう。コミュ力弱いよな」

 さっきまでの態度が嘘のようなディスりっぷりの赤坂。しかも、諌矢と息が合ってきてる。


「うるさいなあ。それより、くそまずい給食ってどんなやつだよ?」

 不満全開で俺が尋ねると、諌矢は学食の天井を見上げて黙考する。


「そうだな。菜の花のおひたしとか、卯の花の和(あ)え物とか漬物系? とにかく、純粋無垢な少年が喜んで食べたくなるようなものではなかったかなあ」

 確かに、育ち盛りの小学生が食べる献立としてはキツいかもしれない。

 机の前で箸を止めたまま渋い顔をする幼い諌矢を想像する。

 うん。腹黒ペテン師みたいな今の姿からは、想像もできないな。


「よくわかんない煮物とか、切り干し大根みたいなのもあったよね?」

「そうそう。赤坂さん、分かる⁉」

 自然な流れで話に加わった赤坂に諌矢が喜んで飛びつく。俺はますます会話に取り残された感があり、若干落ち込む。


「まあ、私も小学生ながらにこのメニューは無いわ、とか思ってたし」

 諌矢と赤坂は同じ給食センターの物を食べて育ったせいか、妙に会話が噛み合っていた。

 性格はともかく、見た目とコミュ力だけは良いので二人並ぶとリア充的な華やかさ全開だ。

 勿論、俺は面白くない。


「小学校の給食は毎日カレーだけでいいんだよ。冷え冷えの袋麺とか、本当に嫌だったし」

「どんだけカレー好きよ? 一之瀬といい、何故こうも極端すぎる人ばかりなの」

 そう言って、赤坂は諌矢とくすくす笑い合っていた。

 まあ、こういう会話で少しでも気を紛らわせてくれればいいんだけどな。


「諌矢って好き嫌いなさそうなのに、意外だな」

「ばっか、夏生。俺はこう見えて好き嫌いだらけだぜ。顔には出さないけど」

 諌矢は気を取り直したように冷水を口につける。


「俺のクラスの担任ってさ、お残しは許しません的な事言ってプレッシャー掛けてくる奴だったんだよ。だから、カレーの日以外憂鬱でさ。中学高校は給食じゃなくて本当に良かったぜ」

 そこまで言った所で、諌矢はカレーを一口。


「ん~、うまいっ」

 CMみたいなわざとらしい食い方をしてみせる。爽やかすぎてやっぱり殴りたくなるけど、女子はこういう屈託のないこいつの表情に惹かれるんだろうな。


「あれー、風晴じゃん」

 盛り上がってきたところで、不意に気だるげな声が飛んでくる。


「おお、一之瀬もいるじゃねえか! 元気?」

 振り返ると、須山が大きなガタイを揺らして手を振っていた。

 その横に西崎率いるリア充軍団が顔を揃えていた。リア充大集合に、俺の肩が自然と強張る。


「赤坂ちゃんもいるんだ。なぁんか食堂で見るの珍しいねー」

 竹浪さんがまず俺の隣に座る。

 シトラスの香りが鼻腔をくすぐってきて心中が穏やかじゃなくなる。


「つーか、風晴。何で声かけてくんなかったの? いつもはあたしらと一緒に食ってんじゃん」

 対照的に西崎は不満を露わにしている。

 話しぶりからすると、諌矢が学食に行く時は、必ず西崎も同行しているようだ。リア充は常に群れで行動するし、そういう流れなんだろう。


「たまにはいいじゃな。夏生が食いたいって言うから付き添ってやったんだよ」

 しかし、西崎の文句も何のその。諌矢は訛り混じりの軽快な口調で返しながら、俺の脇腹を肘で小突く。話を合わせろという事らしい。

 ここで、赤坂の小難しい事情を一切匂わせない辺りが心強い。

 言ってほしくない事は空気を読んで絶対に言わない。こういう時の諌矢は本当に分かってくれるからありがたい。


「ふーん」

 西崎はそのまま諌矢の隣に座り、他のメンバーに目を向ける。同席しろという、無言の命令。

 即座に黒髪ショートカットの取り巻きが西崎の隣を取り、もう一人の女子もそれに続く。

 しかし、俺達が座っているのは四人掛けテーブルを二つ合わせた席。明らかにこの大人数での食事には数が足りない。


「あー、席足りねーじゃん」

「マジかよ。どうすんの、これ」 

 案の定、残された男子勢が不満の声を上げ始める。特に、バスケ部の男子は、あからさまに苛立っていた。細い眉毛も相まって怖過ぎるよ。どうぞどうぞと譲って逃げたくなる。


「まあまあ、俺らはあっちで食おうぜ。ほら、行くぞ」

 しかし、意外にも須山がその場を収めてくれた。

 トレーを持ったまま、身体で他の男子を押していく須山。


「じゃあ、俺ら向こうで食うから! 風晴に一之瀬。じゃーなっ!」

 やかましい奴だけどそれなりに話をしていたので、須山には残って欲しかった。

 しかし、この場を和ませてくれそうな心強い存在は、ニッコニコで別の席へと旅立っていく。


「赤坂ちゃんはフライ定食かぁ! 今日は白身魚?」

「うん。日替わりランチなんだって。さっきこの人達から聞いたんだよね」 

 そんなやり取りをガン無視しながら、竹浪さんは、気さくに赤坂に話しかけている。

 赤坂もフレンドリーに返すけど、箸を持つ手が微妙に固まっているのを俺は見逃さない。

 とっくに食べ終えた俺は何気なくスマホを取り出すのだが、時刻はまだ昼休みの半ば。

 この苦悶の時間がまだ続くという現実に絶望した。


「じゃあ、私。そろそろ行くね」

「は?」

 思わずスマホを取りこぼそうになる。

 何と、赤坂が強引に会話を切り上げ、席を発とうとしたのだ。しかも、手にしたトレーには殆ど食べていないランチが乗ったまま。予想外の展開だ。


「えっ。赤坂さん具合悪いの? 何も食べてないじゃん」

「うーん。何かさぁ……お腹の調子が悪いんだよね」

 もう一人の女子もそれに気づき、赤坂を止めようとする。しかし、赤坂の意思は揺るがない。


「じゃあ、そういう事で」

「気をつけなー。マジやばかったら保健室行った方いいよ」

 竹浪さんが心配そうに見送る。一方の俺は、赤坂の事情を知っているので複雑な心境だ。

 顔に出してはいないが、赤坂は西崎達が加わった事で明らかに動揺していた。

 知り合いが同席すればするほど、緊張感で食事が喉を通らなくなる。聞いていた通りだ。

 赤坂の悩みは、思っていた以上に深刻かもしれない。

 遠ざかる背中は、いつもよりも遥かにか弱く見える。



 ここは俺が何とかしてやらなくては。

 何となく、そんな義務感が芽生えた。


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