第55話 謝罪
「この俺を誰だと思っている。そんな稚拙な嘘を並べて逃げ切れると思っているのか、オーブリー子爵令嬢たちよ。……そんなに俺を怒らせたいか。これ以上に?」
「い…………っ、ひ……」
姉妹は歯をガチガチ鳴らしながら、機械仕掛けの人形のような不自然な動きで顔を伏せる。後ろにいた夫たちの顔は蒼白だった。
「謝れ」
マクシム様が短い言葉でそう宣告する。一家は再びビクッと肩を揺らした。オーブリー子爵がマクシム様に向かって掠れた弱々しい声を絞り出す。
「……な、何卒……、これ以上はもう、ご容赦を……も、申し訳……」
「謝罪する相手は俺ではない!!それさえも分からないのか貴様らは!!」
空気が裂けるかのような迫力に、オーブリー子爵夫人がひあっ、と声を上げた。
子爵は信じられないと言わんばかりの表情でマクシム様を見上げ、そして血走った目で周囲をぐるりと見回した。皆が彼を見つめている。責め立てるような、軽蔑するような、そして好奇心に満ちた眼差しで。
きっとたまらなく屈辱的なはずだ。あの人たちにとってこれは耐えがたいことだろう。だけどマクシム様の恐ろしさが、あの人たちを動かした。
オーブリー子爵を先頭に、彼らはゆっくりと私の方に向かって歩いてくる。
「顔は見るなよ」
マクシム様がそう忠告した。私が怯えないようにと気遣ってくれているのだろう。いろいろな思いで胸がいっぱいになり、体が震えてくる。ルイーズが私の背をそっと擦ってくれた。
「…………。」
ついに、子爵と夫人が私の前にやって来た。俯いたままの子爵がヨロヨロと跪いたその瞬間、汗がポタポタと床の絨毯の上に落ちた。同様に一家全員が私の前に跪く。
荒い呼吸を繰り返していたオーブリー子爵が、呻くような声を漏らした。
「…………長い間、すまなかった…………」
「……申し訳、ございませんでした……」
オーブリー子爵夫人もそれに続き、絞り出すように謝罪の言葉を言った。すると後ろのアデライドとジャクリーヌも「ご、ごめんなさい……」と渋々といった感じで言葉を発する。
私は何も答えられなかった。
ただ見ていた。目の前で私に跪く一家の姿を。許すつもりも、もちろんない。こんな言葉一つで、あの長い長い苦しみを、そして大切な両親を奪われた悲しみを、なかったことになど到底できないから。
だけどもう、これでこの人たちは社会的に死んだのだ。今この王国の王家と高位貴族の面々が見守る中で、自分たちの悪行の全てを認めたようなものだった。社交界は評判が全て。もう誰もこの人たちを相手にはしない。私たちの結婚の時にマクシム様からもらった支援金を使い果たした後は、じわじわと弱っていくしかないのだろう。
「話は終わったようだな」
「っ!」
その時、突然国王陛下がそう声を上げた。広間の全員がハッとしたように陛下の方を向く。
「オーブリー子爵夫妻よ。どうやらそなたらには調査せねばならぬことが多々あるようだ。残念だが、この後の祝賀会の参加は取り消させてもらおう」
そう言った国王陛下が合図をすると、衛兵たちが歩み寄りオーブリー子爵一家の周りを取り囲んだ。皆顔面蒼白になる。全員が立ち上がり、この場を離れようとした時、ふとアデライドが私の後ろを凝視していることに気付いた。目を見開き、口をあんぐりと開けている。
「あ……あ……、あなた……!!」
(……?セレスタン様……?)
どうやらセレスタン様を見ているらしい。気になって振り返ると、彼は小首を傾げて片方の口角を上げ、彼女に言った。
「何ですか?レディー。人の顔をジロジロと見ないでくれます?不躾な人だなぁ。……さよなら」
まるでからかうようにそう言うと、右手を上げてヒラヒラと指を動かした。アデライドはわなわなと震えながらセレスタン様を見ていたが、ついに衛兵に両腕を掴まれ連れられて行った。
衆人環視の中、オーブリー子爵一家はがっくりと肩を落とし、大広間を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
「……すまなかったな、エディット。気疲れしただろう。……大丈夫か?」
彼らが出て行き、国王陛下の宣言とともに祝賀会がようやく始まった。皆がマクシム様におそるおそるお祝いの言葉を言いに来ては、私を気遣い労いの言葉をかけてくれる。私も気を取り直して、覚えたてのマナーを披露しながら彼らに挨拶を返した。
その合間に、マクシム様が私にそっと声をかけてくれた。私は微笑みながら答える。
「大丈夫です、マクシム様。……ありがとうございました。私のために、あの人たちを……。マクシム様こそ、お疲れになったでしょう」
私がそう言うと、マクシム様はケロッとした顔で答えた。
「いいや、全く。むしろ本当はまだまだ足りないくらいなんだが。許されるなら奴らを締め上げ床に押し付け数時間でも責め立て続けた後、お前に朝まで謝罪をさせたかった。……だがそれでは列席者たちも飽きて帰るし、お前も疲れ切ってしまうだろうしな」
恐ろしいことを淡々と言う……。
「これくらいのことしかしてやれなくてすまない。……お前の心は、少しは楽になれるだろうか」
「……マクシム様……」
優しい言葉に胸がいっぱいになる。私の頬に手を当て、労るようにそう言ってくれたマクシム様。その大きな手に自分の手をそっと重ね、油断すれば零れてしまいそうになる涙をぐっと堪えながら私は答えた。
「もう充分です。私の心はもう何にも捕われていません。だって私はもう誰にも怯えなくていいんですから。……あなたのおかげです、マクシム様。ありがとう、私を解放してくれて。こんなに私を、愛してくれて」
「……エディット、俺はお前のことを守り抜く。もう誰にもお前を傷付けさせはしない。……最愛の妻だからな」
私だけに向けられる優しいグレーの瞳を見つめ返しながら、私は言い表せないほどの幸せを感じていた。
「────妻は身重の体であまり負担をかけるわけにはいかない。すまないが、着座したままでの挨拶を許してほしい」
その後も大勢の貴族の方々から声をかけられたけれど、マクシム様はそう言って決して私を立たせなかった。しばらくしてマクシム様がどなたかと少し離れたところでご挨拶を交わしている間、私と同じ年頃の若いご令嬢たちがいそいそと声をかけてきてくれた。
「このたびはおめでとうございます、ナヴァール辺境伯夫人」
「さっきは驚きましたわ。……とても大変な目に遭っておられたのですね。お幸せな結婚をされて、本当によかったですわ」
「私、ナヴァール辺境伯って、何ていうか……とても恐ろしい人物だと伺っていたものですから、こんなに奥様を溺愛してらっしゃるのを見てビックリしました。噂って、当てにならないものですわね。……まぁ、さっきは本当にものすごく怖かったですけど」
カロルやルイーズ以外の若い女性とこうしてゆっくり会話をするのは初めてのことだった。さっきの一件でいろいろと吹っ切れてしまっていた私は、変に気負うことも緊張することもなく彼女たちとの会話を楽しむことができた。思いの外話が弾み、お手紙を出し合う約束までしてしまった。……初めてのお友達だ。嬉しくてドキドキする。
こうしてマクシム様の祝賀会は、私の人生の中で最も濃密な記憶を残す夜となったのだった。
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