第5話


 学校ではいつも通り、理沙と同じような会話を繰り返している。


 昨日の第二音楽室であったことを話そうかと思った。実際には幽霊なんて存在していなくて、ただ不良のような人間があそこにいただけだったと。


 けれども、そんなを話して何になるのか、ということを考えて、話すことができない。怪談話の真偽を彼女に教えたら、今度は一緒に行こう、という話になるかもしれないし、なにより相談せずに独りで行ったことを少し咎められるかもしれない。


 別にそれでいいかもしれないけれども、結局のところ、得体の知れないあの男に、彼女を会わせるというのは、なんとなく不安に感じてしまうのだ。


 あの男について、別にそういう要素はない、ということは雰囲気で感じ取ってはいるけれど、どうしたって、あの見た目だと警戒してしまう自分がいる。今日だって、あの第二音楽室に行くべきかどうかを迷っている私が俯瞰にいて、そんな迷いを抱きながら、彼女に伝えることは出来ないような気がした。


 いわば、筋が通っていないのだ。いつもなら理沙に相談するはずなのに、相談せずに行動したことが。私はそう感じてしまう。


 私はその日は結局、理沙に対してはそのことを隠したままで、昨日のあの男の姿を学校で探している。


 今の学校は、衣替えもとうに過ぎて、よほど事情がある生徒じゃなければ冬服を着ない。というか来ている人間を見たことがない。それでも、あの男は冬服を着ていたのだから、探そうとすれば、きっと見つけられるはずだと、そう思っていた。


 学年は知らないから、適当に全学年が使う売店なんかに珍しく寄ってみたりして、そうして結局彼はいなくて諦める。他学年の廊下に行くほどのことでもないから、私は売店で適当な惣菜を買った後教室に戻る。理沙とそれを分け合いながら時間を過ごした。


 あんな雰囲気の人間がいれば、すぐにわかりそうなものなのに。もしかしたら、その不良の雰囲気そのままに、学校をサボっているのかもしれない。


 学校に家出をして、そうしてサボる不良。なんかすごく不自然な組み合わせだけれども、今はそれで納得する。どうせ、放課後にその話を聞けば、それでいいはずだから。





 理沙に帰りを一緒に誘われるけれど、図書室で勉強をする、と嘘をついて、私は第二音楽室へと向かった。


 こういう時には身近な習慣に感謝することもある。それと同時に、身近な友達に対して嘘をつく罪悪感も少しは感じるけれど。


 でも、結局は他愛のない用事。嘘をついてもつかなくても、彼女を巻き込むほどでもない話。私はそうやって、嘘に理由をつけて、第二音楽室へと向かった。


 三日続けて、同じ廊下。なんとなく慣れていく特別教室棟にかかる斜陽。


「お、また来たね」


 第二音楽室の入り口に立つと、男の声が聞こえてくる。


「……まあ、行けたら行くって、約束しましたし」


 彼はその言葉を聞くと、義理堅いね、とそう答えて笑う。なんか恥ずかしい気分だ。


 彼はまた暗い空間に佇んでいる。暗闇ではやはり見た目について知りようもないけれど、きっと、昨日と変わらない身なりでずっとそこに。


「……そういえば、学校で探してみたんですけど、いませんでしたね?」


 私は、早々に聞きたいことを聞きながら、昨日座った場所まで歩いていく。


「ん? ……ずっと第二音楽室にいたけど」


「……いや、そうではなくて」


 ……なんと伝えればいいのだろう。私はたどり着いた椅子に腰を掛けながら考える。


 彼はこんなにもひょうきんに話してはいるけれど、どこかに地雷があるようで、触れづらい空気。


 別に不良なのだから、サボタージュについて触れても怒らないのかもしれないけれど、彼について私はよくわかっていない。理解できるような要素を、私は全く彼から得られていないのだから。


 でも、気になってしまうのは確かなのだ。


 単純にクラスが違うだけかもしれない、学年が違うだけかもしれない。だから、今日は見つけられず。そうして彼は第二音楽室にいたのだろうけれど。


「……教室には、いかないんですか」


 ある程度の勇気をこめて、思っていることを口に出す。これで反応が気まずいようならば、話を変えればいいだけだ。……その場合の替え玉になるような話を、頭の中で構成して、彼の言葉を待つ。


 彼は私の言葉を聞くと、苦笑した。


「まあ、どうしてもこの見た目じゃあねぇ」


 ……よかった。地雷ではなかったみたいだ。


 ひとまずそんなことに安心して、私は息を吐いて、言葉の意味をきちんととらえる。


 この言葉を発したということは、一応正しい学校生活を送る気はある、ということなのだろうか。でも、彼の言う通り、この見た目で教室にいたのならば、あまりのクラスメイトとの存在のギャップで、すぐに教師から退学を食らいそうなものだ。


「……それなら、やらなければよかったのでは」


 だって、彼の口ぶりは、いかにも教室で過ごしたいけれど、困難さがあるから諦めているような、そんな感じだ。それなら、最初から髪を染めたり、刺青を入れたりなんかしなければいい話。


 私がそう言葉を吐いてから、だいぶと長い間が開いた。


 あれ、と私が心の中で呟いて、これこそが本当の地雷なのか、と勘ぐっている時。


「……、そうだね」


 と、初めて彼から感情のないような肯定の声が聞こえた。


 ……これは、きっと本当に彼の地雷なのかもしれない。


 なんで、そんなことをしたのかについてはわからない。若気の至り、というやつかもしれない。今でこそ、彼のしゃべる雰囲気は落ち着いてはいるけれど、中学生のときの彼がわんぱくだったのなら、なんとなく納得はできる。


 若気の至りは怖い。それこそ、自分自身の黒歴史を思い出しそうになって、舌を噛む。


 ……それなら、刺青に関してはしようがない(しようがないのかは判断がつかないけれど)けれど、髪色についてはどうにかなりそうなものではないだろうか。刺青はきっと消えない。詳しくないから、もしかしたら消す方法もあるのかもしれないけれど。それに比べたら、髪色なんて、割とすぐに戻せるだろうに。


 こんなことを考えている間にも沈黙が続く。浅く呼吸をする音だけが空間に存在している。


 駄目だ、きっとこの話は本当に彼にとっての地雷だったのだ、とそう認識する頃にはもう遅い。どうしようもない気まずい沈黙は、私から解消することなどできやしない。先ほど用意した替え玉の話題も、その焦りでどっかに消えてしまう。


 約束した、とは言え、こんなところに来るのではなかったと、そう思わずにはいられなくなる。どうしようもない後悔と、大きなため息。


 スマートフォンを出して、話題を探したくなる衝動。困ったときにはスマートフォンを見れば、それに関連して気まずさは、少しはまぎれてくれるかもしれない。


 それでも、身体は動かない。気まずさに浸食された私は、ゆっくりと、彼を窺うように呼吸をするだけ。


「──……なんか、面白い話をしてよ」


 だから、そんな声が突然耳に入って、びっくりする。


 気まずい空気の緩和。動けなかった身体が弛緩する感覚。


 そうして、改めて彼の言葉を咀嚼して、それで出てきた言葉は。


「え」


 という一文字の声だけだった。





 無茶ぶり、というものがある。私がそういった無茶ぶりととらえるものは、本人が取り扱えるかどうか。だから、彼が私に促すことは、明らかに私には度量の超えたものだった。


 私の声が聞こえてから、彼は独り言のように呟く。


「……いや、でもあれだな。面白い話をしろ、って、すごい無茶ぶりだよな」


「……ええ、そうですね」


 うん、すごい無茶ぶりだと思う。


 たとえそれを本職にしている芸人でさえも、一瞬答えに窮するくらいには。


「それならさ、なんでもいいから話してみなよ」


「……それも、きっと無茶ぶりだと思います」


「……そう?」


 彼はわかっていないような声を出す。


「じゃあさ、相談したいこととかないの?それなら、一つや二つあったりするものじゃない?」


「……そう、言われても」


 答えは、思いつかない。


 相談。見ず知らずの人間に、相談?


 相談というのは知り合いというジャンルより上の人間に対して行うものじゃないだろうか。


 いつもだったら、きっと私は理沙に何かを相談する。それでも、深い内容のものではなく、些末な出来事に関して。学校生活の中での話だったり、インターネットでの話だったり。


 理沙に対しても、それくらいしか話していないのに、そこから、誰かに相談できるようなことはあるのだろうか。


 また、沈黙。気まずさによるものではないけれど、答えることができないから、どっちにしろ同じだ。


「……そんなに深く考え込まなくても」


「……思いつかないんです」


 私はそう答えた。


 彼という見ず知らずの人間に話せる相談内容。そんなものが本当に存在するのだろうか。


 本来ならば、適当な話をすればいいだけなのかもしれない。でも、その適当な話を思いつくほどに、今の私の頭の中は整理されていない。


「うーん、そうだなぁ」


 彼も、考えるような声音。


「それならさ、家族の話とかは?」


 息が、詰まる。


「──……家族の話?」


「そう、家族の話」


 彼は、そのまま語る。


「俺もさ、家出するようなくらいだから、家族についてはいろいろあるんだよ。もしかしたら、君もあるかな、って」


 家族の話。


 そう言われて思い出すのは、やはり兄の存在。 確かに、思い付きはするけれど、それを彼に話していいのだろうかと、ずっと心の中で葛藤する。


 彼に対して反応ができない。そして、彼もそれ以降に話を続けることはない。待っているんだ、私から家族の話が出てくることを、ずっと。 沈黙は、嫌だと思う。


 けれども思索は終わらず葛藤が続く。きっと本当は、こんなところで言う話でもないだろう。


 第二音楽室で、何度目かわからない大きなため息を吐いた。ふう、と声にもならない音は震えている。緊張している自分がそこにいる。


 ──結局、口は滑ってしまう。自分の意思が、本当に出てしまう、そういった意味で。

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