最後の刻 Record5

鈴ノ木 鈴ノ子

最後の刻 Record5

 病棟回診を終えて病棟と外来診療棟を繋ぐ渡り廊下を歩いている時だ。


「雪島先生!捕まえてください!」


 背中に声が掛けられたので振り返ると渡り廊下へと小走りに向かってくるピンク色のワッペンの付いたエプロンを着た看護師さんの姿が見え、そして先頭を走る1人がこちらを指さしていた。

 指の指し示す先に複数の点滴がぶら下がったローラー付きの点滴台に上手にバランスを取り文字通り走り抜けているニット帽の子供がいた。中々の速度で驚いたが、それにしても器用なモノだと感心してしまった。体をポールダンスのダンサーのようにうまく巻き付けて、片手で重心をうまくとりこちらへと漫勉の笑みで駆け抜けてくる。

 反対に追いかけてくる看護師さん達の顔面は見るも無残に蒼白だった。当たり前なのだが、これで怪我をしたら大変な問題となる。ただでさえインシデントなのに、さらに強烈なインシデントとして報告せねばならない。


「よし!」


 その場にかがみ込み両腕を広げて抱き留めるつもりで準備をしたが、子供、いや、少女の腕前の方が一枚上手で、あと少しという寸前、片足でちょっと床を蹴り進路を変える。そのまま広げた手を躱して横を抜けてしまった。


「しまった」


 振り返った刹那、少し後ろで抱き留める音と点滴台のカタンと止まる音が聞こえた。どうやら誰かが捕まえてくれたらしい。


「捕まえた!美玖ちゃん危ないことしたら駄目でしょ!」


 少しだけ注意するようにキツイ言い方、でも、心配したんだよという心の籠った語り口をした宝田先生がしっかりと少女を抱き留めている。その横に看護師姿の妻もいた。冷ややかな視線がこちらをじっと見つめて、何やってんの!?と怒り心頭の声さえ聞こえそうだ。


「宝田先生、ありがとうございます」


「やだ!コンビニに行くの!お菓子、終わっちゃったんだもん!」


 追いついた小児病棟の看護師さんにエイリアンのように引き渡された美玖ちゃんは、体を捩りその場に座り込んで抗議の声を上げた。


「あれ、動けなくなるもん!やだ!お菓子買いに行く!」


 駄々を捏ねる子供ほど手を焼くものはないが、小児病棟の看護師さんならではの技であしらう様にとは言い方が若干問題となるかもしれないけれど、上手な説得を披露し始めた。


「宝田先生は小児科研修中だっけ?」


 宝田先生に声を掛けると素敵な笑みで返事が返ってきた。


「はい。雪島先生、今から今田先生の回診についていくところです」


「ああ、今田先生の…頑張ってね」


「は、はい、では、失礼します」


 私が怪訝そうな顔をしたのを不思議に思ったのだろう、少し戸惑っていたが、妻に急かされるようにして病棟へと向かっていった。捕獲者が居なくなった後には駄々を捏ね続ける美玖ちゃんと必死の説得が段々とヒートアップしているようにも思えてしまう小児科病棟看護師さん、そして子供すら満足に捕まえることができない情けない医師1名が取り残された。


「じゃぁ、先生、お菓子買ってきて!」


 唐突に可愛らしい財布がこちらへと投げつけられる。

 何とか反射神経でソレを落とさずに受け取った。アニメキャラクタ―の書かれた可愛らしい財布だ。お気に入りなのだろう、かなり使い込まれていた。


「こら、駄目よ。あ、雪島…先生…」


 2人の内の1人、田畑看護師さんは途中で言葉を詰まらせて固まった。

どこの病院でもいるのだが、院内でこういったことを面倒臭くして面白がる人種というものが存在する。ちなみに当院には3人ほどいてその内の1人にその財布が投げつけられたのだった。


「いいだろう、買ってきて進ぜよう、何を買ってくればいいのか教えてくれる?」


「本当に買って来てくれるの!?」


 つぶらな瞳をして嬉しそうな声を上げる美玖ちゃんとは対照的に、絶望の底のように目から光を失った田畑看護師さんが美玖ちゃんにも分かるくらいに首を必死に振った。


「たばねぇ、どうしたの」


 困ったようにそう尋ねる無垢な発言に返答が帰ってくることは無い。いや、本人を目の前にして『めんどくさいことになるからやめなさい』なんて言えないだろう。


「これ、買ってきて」


 警告を無視した美玖ちゃんが同じアニメ柄のパジャマのポケットから取り出したのは、動物柄のチョコレート菓子パッケージの切れ端だ、確か院内コンビニで見かけた気がするのでこれならばと快く承諾した。


「お金は今度でいい、これは返しておくからね」


 あくまでも患者さんのお金である、それを持ち歩くのは問題なので小さな手に財布を返し、白衣をワザと翻す様にして格好をつけてその場を離れた。


「先生、買って来てくれるって!楽しみ!」


 嬉しそうな声と共に病棟へ戻っていく点滴台の音を背に聞きながら意気揚々とコンビニを目指した。


「先生、今は取り扱いないですよ、そもそも、季節限定ですもん。普通のならありますけど…」


 院内コンビニで顔見知り、患者さんでもある田中さんにパッケージを見てもらったところ実に厳しい返答があった。わざわざ売り場から持ってきてくれた商品と見比べると、商品はチョコレート味、切れ端はイチゴ味と書かれている。


「どうにか…なんないよねぇ」


「無理ですねぇ、発注リストにも入ってないですから…、もしかして美玖ちゃんじゃないですか?」


「知っているの?」


「知っていますよ。これ美玖ちゃんが入院初日に買っていったのですけど、次に来た時にはもう売り切れで、凄く悲しがっていたんですから。お母さんが生きていた頃に一緒に食べたことがあるって言ってね、店長が必死に探してくれましたけど結局無くて…」


「な、なるほど」


 猛烈にしまったと思った。安請け合いで白衣まで翻したというのに。ドヤ顔を見せて出来ませんでしたすみませんなどとはとても言えない雰囲気にまで至ってしまった。コンビニを後にして外来日ではないので医局の個室に戻ると、美玖ちゃんの担当医である今田先生の医療用携帯電話をコールする。


「今田です、雪島先生、凄いですね」


 出た瞬間から明朗快活と言い表せなそうなほどの声が耳に当てなくても聞こえてきた。今田先生とは中学時代の先輩後輩の関係でもあるから、ラフな喋りができる相手だ。


「聞いたの?」


「聞きました、聞きました、白衣を翻した先生がね、探してもなかったお菓子買って来てくれるって、だから、頑張るっていっていましたよ」


「マジかぁ…。で、美玖ちゃんはいつから入院してるの?」


「2月ですね、2か月前です」


「退院予定とかはあるの?」


「ありません…。緩和での入院なんです」


「え…」


 思わず電話機を落としそうになった。

あれほど元気に騒いでいたのにとあの光景が頭を過る。緩和での入院、所謂、緩和ケアでの入院ということだ、痛みなどを取り除きながらその刻が来るまでを過ごしてゆく。


「もしかして亡くなったお母さんと関連が?」


 田中さんの言っていたことが思い出される。少しトーンの落ちた声で返事が返ってきた。


「ええ、血液疾患なんです。大学病院で治療を受けていましたが、治療法の確立してない難病です。お父さんも同じ疾患を患って大学病院に入院中なんです。学会のガイドラインに従って今後をどうするかお父さんと話し合いを重ねてきました。倫理カンファレンスも、弁護士の先生や大学病院先生も交えての第三者委員会もスタッフカンファレンスでも検討して、最終的に導き出された結論です」


 淡々と話しながらも悔しさがにじみ出ている。


「今、1人?」


「ええ、診察室には誰も居ませんけど」


「正直に言えよ。僕はどれくらい急いだほうがいい?」


「俺にも分からないです。こんな言い方ですみません。もう、できるだけ長く過ごさせてあげたいと思ってます。笑顔を向けられるたびに、どうしてって思う日々ですよ」


 声が震えていた。子供の日々を見続ける小児科医、その心労は計り知れない。


「ありがとう、急ぐよ。この件だけしかなんにも手助けしてやれないが、任せろ」


「頼りにしてますよ、先輩」


 卓上のパソコンから製品のHPを探し出してみるが、やはり限定生産品で大手の通販サイトにも売り切れ状態だ。困ったことに桃の節句バージョンであるらしく、キャラクターたちがお内裏様とお雛様の姿をしていることにも切れ端を見つめ続けると気がつく。2時間ほどを座席に座ってパソコンを操作し、カルテを入力する並みに必死に探してみたが、どこも「欠品」「取り扱い終了」ばかりだ。近隣のスーパーなどにも電話してみたがどこも取り扱いを終えている。


「どうするべきか…、ああ!」


 探せるだけ探したところでもはや見つかるはずもない状況、頭を抱えながらどうすべきかを思案していると、ふと、デスクマットに挟まっていた名刺が目に入った。その記載された電話番号を素早くスマホに打ち込んでコールする、少しすると相手が出た。


「はい、森川ファルマの山崎です」


 つい先日、アポイントで面会した製薬会社のMRだ。お菓子メーカーなども製薬メーカーとしてグループ会社を持っていることが多い。


「お世話になります、雪島ですけど」


「ああ、雪島先生、先日はアポイントありがとうございました。どうされました?」


「山崎さんさ、血糖値が心配だけどチョコレート大好きで沢山買ってるって言っていたけど、あれ本当?」


「先生、いきなりですね…。ええ、明和製菓のスティックチョコとか大好きですよ」


「ライバル会社やん…」


 その名前がまさか出てくるとはと思わず面食らってしまう。


「あれは、ウチのよりうまいですよ、銘菓ですわ」


「マジかぁ…、ああ、あのさ、森川製菓の動物のチョコレート菓子、えっと桃の節句バージョンのやつって持ってない?」


「ああ、会社にありますよ、販促で配ろうとしてた担当者が発注量を間違えて、50個入り10ダースくらい積んでありました」


 笑いながら言う山崎さんの言葉に思わず我が耳を伺うほどだった。


「それ、今から他の誰にも話さないで」


「はい?」


「えっとさ、注文、それすべて病院で伝票切って今日中に納品頼める?」


「え?」


 戸惑った返事に煽り立てる様にひと言文句を添えてみることにした。


「できるの?できないの?」


「もちろん、できますよ、夕方までには納品します!この仕事を長くやってますがお菓子の納品は初めてですね」


「ありがとう、どうしても必要なんだ、お願いします」


「私の仕事はそう言う仕事ですから、任せてください、もちろん、薬の方もお願いしますよ!」


「了解、アルキアの臨床試験結果が良ければ採用したいと思ってる。では」


 妻の姉、大切な幼馴染を苦しめた病を治療する第一歩の薬、それの臨床試験が始まっており、今まさにこの病院でも治験の真っ最中だ。


「頑張ります。では、失礼します」


 電話を切るとすぐに総務課と薬局に電話をかけてお菓子の納品があることを伝える。総務の担当者は迷惑をよく被っており対応に慣れているため、すぐに呆れた声で『給与天引きですね。はいはい』と言ってくれた。薬局はビール2箱と日本酒4本で手を打ってくれ、この行いは秘密裡に運ぶこととなった。


 翌日、意気揚々とひと箱を携えて病室を訪れると、若干、引き気味の視線が2人分、向けられてきた。


「先生…、大人買い?お金ないよ…」


 財布を取り出して必死に中身を確認し始める美玖ちゃんと、『デリカシーなし』と言いたげな田畑看護師さんの視線を敢えて無視した。


「好きなだけ食べていいよ。これはプレゼント、今田先生から頑張ってるって聞いたからね!」


「ほんとに!」


「うん、田畑さん、これナースステーションで預かっておいてくれる?今にも美玖ちゃん、全部食べちゃいそうだからね」


「そ、そんなことしないもん、頑張ったら食べるんだよ」


「頑張ったら食べる?」


「うん、検査とか点滴とか1日たくさん頑張ったら食べるの」


 箱を受け取った田畑看護師さんが、ベッド脇の床頭台の棚に1つ1つ大切に並べ始めていく、目に見えるご褒美と言うのは人をやる気にさせるものだ。目を輝かせて嬉しそうにそれを見つめながらグッと拳を握った美玖ちゃんをみて、心の中で1日でも長くと祈ってしまう。


「じゃぁ、また、食べ終わったら言ってね」


「うん、雪島先生、ありがとう!」


 向日葵のように元気な笑みに涙腺がそっと弛む、だけれどそんな顔を見せるわけにはいかない。いつも通りの笑顔で手を振り返して白衣を翻し病室を後にした。


 2日後、明け方、急変して眠る様にして亡くなったと、今田先生からの電話で知ることとなった。前日、検査で夜遅くなったので翌日の朝に食べると離さないようにお菓子を握りしめて眠りについたらしい。


 小さな棺には並べられていたお菓子がすべて入れられて、話を聞いた山崎さんが販促用の動物柄の文房具を取り寄せくれ今田先生を通じてお父さんに代わり病院を訪れた祖父母に手渡したそうだ。

 残ったお菓子は今も医局の机の脇に積まれていて、ときより、他の先生方が1つ持って行かれる。大きい手術をした、大変な論文を書き上げた、などなど、それぞれがこのお菓子の意味を知っていて持ってゆく。


「これ、先生と今田先生に」


 山崎さんがこっそりと手渡してくれたのは動物型のボールペンだった。


「ありがとう」


 受け取った後、ペンは白衣から離れることは無かった。

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