犬牧師、異世界召喚した赤子を育てる。

第6話 異世界から召喚したのは赤子でした

 辺りは焦げた臭いが充満していた。大地が焼け焦げ、ブスブスと音を立てながら煙が上がっている。ギルバートは大きく咳払いしながら、薄らと目を開けた。


「あぁ、酷い目に遭った――うん?」


 白いベビー服を着た赤子がギルバートの顔を覗き込んでいた。赤子の目はルビーのように赤く、肌は剥き卵のようにスベスベ。柔らかそうな金髪に赤毛が混じった珍しい髪色をしていた。


「なんだ、お前は? どこから来た?」


 そうは言ったものの、焼け野原のど真ん中に犬の姿をした獣人一人と赤子一人。この状況を察するにギルバートが異世界から召喚した人間だとは思うが、どうして大人ではなく赤子なのだろうか。


「まさか……召喚に失敗したのか?」


 ギルバートは渋い顔になった。やはり、贄に子蜘蛛の死骸を捧げたのはまずかったのだ。


 ぼんやりと観察していると、赤子は「あー、うー」と唸りながら小さな手でギルバートの耳を掴んだ。そして、何を思ったのかグイグイと手前に引っ張り始めた。


「あだだだだだっ!? ちょ、待て待て! そんなに強く引っ張るな!」


 ギルバートは赤子の手を傷付けないように優しく掴み、慌てて起き上がる。すると、赤子は大きな目をぱちくりとさせて、キャッキャッと笑い始めた。


「むぅ……意思疎通ができないのは辛いな」

『心を読めば良いのではないですか?』

「うぉっ!? お、お前……無事だったのか……」


 突然、黒く焼け焦げた地中から魔導書が現れたので、ギルバートはかなり驚いてしまう。どういう素材で出来ているのか分からないが、魔導書は少しも焦げていないようだった。


『はい、この通りピンピンしております』

「お前も謎の多い魔導書だな……」

『そうでしょうか? 私は至って普通の魔導書ですが』

「魔導書は人とコミュニケーションなんて取れないし、勝手に宙には浮かばない。さっきの魔法陣だってそうだ。どうして、お前は失伝した魔法陣を知ってる?」


 ギルバートが怪訝な顔で質問するが、『私の事より、今は赤子の方に集中して下さい』と文字が浮き出てきた。


「うぅー……」


 赤子はギルバートの足元にしがみついていた。何かに耐えているのか、顔を真っ赤にして身体を小さく震わせている。


 どこか痛むのかと心配したギルバートは赤子を抱き抱えると、股の辺りが黄色に染まり始めた。


「お前、オシッコをしたのか……」


 ギルバートは吐き気を催してしまった。この姿だと鼻が効きすぎて、アンモニア臭が刺激臭として感じるようだ。


 赤子は股が湿って気持ち悪いのか、ずっと唸り声をあげている。ピーピー泣かなくて安心したが、子育てに詳しくないギルバートでさえ、このままの状態はよろしくないと感じていた。


「どうすれば良いのだ? 私は赤子のおしめなんて変えた事がないぞ」

『清潔な服に着替えさせた方が良いと思いますが』

「隕石が落ちてきたせいで、お前以外の荷物は全て焼失したんだ。それに赤子の着替えなんて私が持ってるわけないだろう」

『なら、作れば良いではないですか』

「……どうやって?」


 ギルバートがジトッとした目で魔導書に聞く。


『素材を集めて糸を紡ぎ、糸ができたら布を織って、布ができたら服の形に裁断して、針と糸で縫製して――』

「そんな器用な事できるか!! それに素材なんて集めてたら、一週間どころか一ヶ月かかるわ!! もういいっ、川を探して服と尻を洗う!!」


 赤子を脇に抱えてズンズンと歩き出すと、魔導書はギルバートの前に回り込んで『提案があります』と文字を浮かび上がらせてきた。


『赤子とコミュニケーションを取る為にも、心を読めるようにしておいた方が良いかと。貴方は他人よりも賢い分、諦めが早い性質のようですし。それに、その姿になってから自暴自棄になる癖がついているようです』


 自暴自棄とは恐らく、子蜘蛛に襲われた時の事を言っているのだろう。ギルバートは「……よく見てるじゃないか」と渋々肯定する。


『私は貴方を導く役目を担ってますから』

「私を導く? どういう事だ?」


 ギルバートの質問に魔導書は初めて応えなかった。『先ずは赤子の心を読む事が先決です』と文字を浮き上がらせ、ページをペラペラと捲っていく。


 そのページには〝人の心が読める魔法〟と書かれていた。


「なになに……貴方の心を読みたくな〜る、読みたくな〜る。赤裸々な感情を君と共有したい、したいしたいした〜い……なんだ、このふざけた呪文は?」

『こちらも失伝した呪文の一つになります』


 ギルバートは胸焼けがしてきた。


『昔はこの呪文を唱えながら踊っていたようです。ほら、衣装もこんな具合に……』


 魔導書は絵と解説を浮き上がらせてきた。ほぼ全裸の人間が頭に草の冠を乗せて、踊っている姿が載っているのを見て、ギルバートはげんなりとしてしまう。


「魔導書よ、私は今の時代に生まれて良かったと思ったぞ。こんなふざけた呪文は唱えたくもないし、どうして陰部を植物の葉で隠して踊らなくてはならんのだ」

『神に捧げる舞でもあったようです。ちなみに、この衣装を身に纏っているのは貴方のような聖職者だったようですよ』

「それを聞いて、心底今の時代に生まれてきて良かったと思ったよ。そんなふざけた踊りをしなきゃいけないのであれば、私は聖職者にはなっていない」


 ギルバートは冗談じゃないというように、魔導書に向かって指をさす。『そんな事を私に言われましても……』と魔導書は返事に困っていたようだった。


「うぅ、グスッ。ふぇ……」

「む……さすがにこのままではいかんな」


 赤子が本格的にグズり出してきたので、道中で〝人の心が読める魔法〟を嫌々ながら習得し、ギルバート達は川を探しに森へ入っていった。

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