第17話

 波乱万丈な一日が終わって、そして新しい朝が来る。

 一番に早起きなのは自分だと、ヤイバは思っていた。朝食の準備にと台所に出ると、縁側の鎧戸が開いている。そして、小鳥のさえずる朝日の中に、イクスが立っていた。

 彼女は目を閉じ、長い耳もピンと立っている。

 精神を集中するかのように長く息を吸って、そして長く吐き出していた。

 すぐに彼女の肌に、無数の紋様が浮かんでくる。

 それは呪いの烙印にも似て、祝福の聖痕とも言えた。

 だが、ヤイバには……なんだか今は、白い肌を這い回る蟲の蠕動にも見えた。


「ん、むう……おっ? おお、少年! おはよう、よく眠れたかのう!」

「え、ええ。何やってるんですか、イクスさん」

「んむ、ちょっと呪文の並び替えをの。一箇所空白ができてしまったゆえな」

「あと、その……なんで素っ裸なんですか」


 まったく、ファンタジー世界には羞恥心や倫理観はないのだろうか。

 相変わらずの裸族なイクスは悪びれずにエヘン! と胸を張る。

 バインボインと揺れるたわわな実りに、見てるヤイバの方が恥ずかしくなった。


「ワシ、気付いたら裸で寝てたんじゃよ。まあでも、見ても見せても損するものでもあるまい?」

「んー、ちょっと返答に困るというか、全面否定はできないというか」

「まあでも、こんな姿は気持ちのいいものでもないかものう」


 ふっ、とイクスの全身に明滅していた紋様が消えた。

 それでイクスは、少しよろよろとしつつも縁側に上がってくる。


「とにかく、なにか羽織ってください。風邪ひきますよ?」

「なに、エルフにとって風は友達、春風ともなれば――ップシ! プシッ!」


 なんともかわいいくしゃみで、続いてブルリと震えたイクスは、よたよたと部屋に戻っていった。やっぱり、その足取りを見ると老齢なんだなと思い知らされる。

 見た目は十代、ほぼ同年代だ。

 しかし、もう彼女は老衰で死を迎える準備を始めている。

 その手始めに昔の仲間を訪ねたのだが、とんだ旅路になってしまった。

 さて、例のキルライン伯爵をどうしたものかなと思いつつ、ヤイバは台所に立つ。

 異世界ラジオは今日も、見知らぬ国のニュースを歌っていた。


「……あれ? トースターの電源が入らない。え? 故障かな?」


 今朝はパンにしようと思って、朝食を作ってる間にトースターを温めておこうと思ったのだが。古式ゆかしい、いつもポン! と元気よくトーストを射出してくれるトースターが、何故か沈黙したままだった。

 コンセントは繋がっている。

 だが、もしやと思ってテレビのリモコンを手に取った。

 居間の80インチは、真っ黒なままだ。


「これは、停電? えっと」


 冷蔵庫を開けてみると、まだ冷たい。

 つまり、昨夜からというよりは、今朝方、ついさっき停電になったらしい。そうとわかったら冷気が惜しいので、すぐに冷蔵庫の扉を閉める。

 他の部屋も確かめたが、確かに都牟刈家は停電していた。

 我が家だけかなと思ったら、外からスピーカーを通した声が事務的に響く。


『ただいまご迷惑をかけております、こちらは藤堂電力です。ただいま、原因不明の停電が発生しております。繰り返します、ただいま原因不明の――』


 電力会社の広報車が庭の向こうの通りを走っていった。

 どうやら、この周囲一体が停電しているらしい。

 やれやれと思いつつ、ヤイバは思い出したようにスマートフォンを取り出す。寝る前に充電してて、ほぼ100%なので当分は安心だ。そして、スマートフォンの充電が深夜に終わってるから、その時点ではまだ通電していたと推理する。

 やはり、ついさっき停電が始まったのだ。

 ネットを見ると、どこのSNSも停電騒ぎで混乱していた。

 信じられないことに、ヤイバの暮らすこの自治体全体が停電しているらしい。


「原因不明、って……ま、まさか、これって」

「んー? どうしたんじゃ、少年。ミラはまだ起きてこんのかや?」

「ああ、母さんは結構遅いですし、朝が弱いんです」

「ん、思い出した……宿屋でもいつも、あやつが最後までグズっておったわい」


 今度のイクスは、ちゃんと身支度をして髪型も先程より落ち着いている。ジャージ姿でもその美貌は、朝から眩しいほどに輝いていた。

 イモくさいジャージとのギャップで、むしろかわいいくらいである。

 だが、そんなイクスは両手で自分の腹を撫でながらペカーっと笑った。


「ワシ、お腹がすいたのじゃが……朝餉はなんじゃ?」

「ソーセージ、っと、腸詰めで通じるかな? それを軽くほうれん草と炒めてソテーにして、パンを焼こうかなって。牛乳も珈琲も出ますよ」

「おおう、嬉しいのう!」

「ただ、ちょっと停電で……えっと、電気が来てないんです。この家も、周囲も」

「ほう? 電気は文明の基本じゃと聞いとるがな」


 瞬時にイクスの顔つきが代わった。

 多分、ヤイバと同じく事件の臭いを感じ取ったのだろう。

 すぐにイクスは床に屈もうとして「っ、イチチ……腰が」と表情を歪めた。それでも、ゆっくり四つん這いになって、コンセントを凝視する。

 彼女にも、そこから電力が供給されるのがわかるのだろう。


「あの、因みにイクスさん」

「なんじゃ、少年」

「魔法で電気、出せますよね。昨日やってたやつ」

「この家もろとも蒸発したいのかや?」

「こう、もう少し加減すれば」

「ワシは電流とか電圧とかは知らんのじゃ。出力を絞っても無理じゃと思うぞ」


 そうは言いつつ、イクスはコンセントに刺さる電源タップを手に取る。そして、なにかを探すように瞳を閉じた。

 集中してるんだと思って、ヤイバも黙って見守る。

 すると、はっとしたようにイクスは目を見開いた。


「かすかに魔力を感じるのじゃ……つまりこれは」

「例のキルライン伯爵の仕業?」

「昨日盗られたのは、雷系の最強魔法……それを用いて電力の供給源とかを」

「! 過充電でパンクした、みたいなことになってるんだ」

「かもしれん。ふむ、この微弱な魔力、追いかけることができるのう」


 そう言うと、イクスは玄関へと歩き出した。

 ちょっと頼りなくて、急いでヤイバも続く。

 彼女はサンダルをはいて杖を持つと、そのままガラガラと引き戸を開いた。


「ちょっと、イクスさん! 一人で行くのは危ないですよ」

「これは、ワシがつけねばならぬケジメじゃ。全ての魔法を葬る、決して誰にも渡さずこの世から消し去る……そう約束したのじゃから」

「なら、ちょっと待ってください。僕も行きますから」

「駄目じゃ、少年! ……危ない目に合わせとうない」

「ってことは、危ないことしようとしてるってことですよね?」

「う、うむ、まあ、そのう」

「ますます一人にはさせられませんよ。とりあえず、自転車出しますね」


 庭にある物置小屋から、いつもの愛車を出してくるヤイバ。なんてことはない、普通の通学用自転車だ。すぐにまたがり、慌てて降りて手で引く。

 乗って! と言おうと思ったが、ちょっと難しいかもしれない。

 なにせ、ああ見えてイクスはおばあちゃんなのだから。


「イクスさん、後ろに乗れそうですか? 手をこっちに」

「なんじゃ、悪いのう」

「よいしょ、っと」


 後ろの荷台に脚を揃えて、ちょこんとイクスが座る。

 乗り心地はよくないだろうが、徒歩より負担がないとヤイバは思ったのだ。そして、自分も再度またがり、勢いよくスタンドを蹴り上げる。


「しっかり掴まっててください、イクスさん!」

「うむっ、頼むぞ少年!」

「――っ、ん! や、やっぱり、適度に掴まってください。その、えっと、ですね」


 イクスは遠慮なく、ガッシリと背中に抱きついてきた。

 ヤイバとイクスの間で、脂肪分が圧縮されてたわむ。その柔らかな感触がシャツ越しに伝搬してきて、形まで肌で感じ取れてしまった。

 ちょっと刺激が強すぎて、でも走り出すとイクスは放してはくれない。


「少年、こっちじゃ、その道を右へ」

「また山の方ですね」

「ふむ、等間隔に立っておるあの柱……それを結ぶ紐。あれで電力を広げてるのかや?」

「ええ! 電信柱と電線ですね」

「あちこちの紐から、魔力の残滓が感じられる。これの大元を目指すのじゃ」

「えっと、それって」


 電気はどこからやってくる?

 発電所? いや、それならもっと大災害になっている筈である。

 それに、いかに強力とはいえ、最強クラスとはいえ、雷魔法だけでどうやって? 答は先程イクスも言っていた、過充電の原理だとヤイバも思う。

 ならば、その災厄の震源地は、もっと近くにあると考えた。

 自然とイクスの指差す方角は、またも山の方へと向かってゆく。


「確か、この先に電力会社の施設が……えっと、変電所? かな?」

「それじゃ! そのヘンデンショとかいうのが、おそらく電力を調節する施設じゃろう」

「僕も詳しくないですけど、多分そうです」

「そこに例の雷魔法を連続で落とせば」


 イクスの言葉を遮るように、閃光が瞬いた。

 向かう先、山の森林にはっきりと落雷が見えた。蒼い稲光が、遅れて轟音を響かせる。かなりの巨大な稲妻で、さらにもう一発落ちてきた。

 もうイクスは、魔力の残滓を探知して追う必要がなくなったようだ。

 やはりこの先に、キルライン伯爵がいることは明白だった。

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