第10話

 ヤイバは我が目を疑った。

 空を黒煙と炎で塗り潰してゆく、巨大な一隻の船。

 無数のプロペラで浮く、それはまさにファンタジーな光景だった。

 大きく破損したその飛空船は、大勢が見上げる中で飛んでゆく。

 否、少しずつ落ちてゆく。


「ママー、見てー? おっきなお船ー! 飛んでるー!」

「あらあら、映画の撮影かしらね」

「いやいや奥さん、これが噂のARって奴じゃないの? 最近流行ってるっしょ」

「やべ、動画! 動画を撮らなきゃ! 万バズ確定だってばよ!」


 付近の客たちが慌ただしくなる。

 瞬間、硬直していたイクスが素早く周囲を見渡した。

 そして、よたよたと転倒に並べられたほうきに駆け寄る。あまりにも弱々しいその足取りはしかし、確固たる決意がやどったように歩調だけは強い。

 早速彼女は売り物のほうきを手に取ると、それにまたがった。


「ちょ、ちょっとイクスさん? あの」

「少年、先に帰っておるのじゃ! ……ゲートが開いた、誰が。しかしあれは、まさか」


 ふわりと風が周囲に旋を巻く。

 イクスの髪がふわりと浮き上がった。

 そのままゆっくり、彼女は宙へと舞い上がる。

 あっという間に、その姿はキラキラと尾を引きながら空に消えた。

 その輝きが追う先で、山の方へと飛空船は飛び去っていった。


「イクスさん……行っちゃった。あ!」


 慌ててヤイバは隣を振り向く。

 そこには、ぽかーんと口を開けたカホルが固まっていた。

 もろに見られたが、周囲の客たちは見世物は終わったとばかりに散り散りになってゆく。どうやら空ばかり見ていて、ほうきで飛ぶイクスは見られていなかったみたいだ。

 だが、カホルは違う。


「あの、さ、ヤイバっち」

「う、うん。あ、いや、聞かないで! ゴメン、ちょっと僕行かなくちゃ!」

「ちょ、まっ! 説明! あーしにも説明しろし! ガチエルフじゃん、あの子!」

「そうだよ! でも、あんましかかわらない方が――」


 慌ててヤイバは駐輪場に走り、ポケットから鍵を取り出す。

 それを愛車に差し込んだ時にはもう、カホルはサドルに座っていた。


「早く、ヤイバっち! 後ろ、乗って!」

「え、えと、へ? な、なんで」

「いーから早く! 見失っちゃう! 裏山の方だよね、あれ!」


 ヤイバは驚いた。

 このカホルという少女は、明るく社交的で誰にでも優しい。いわゆる「オタクに優しいギャル」のテンプレみたいな人間なのだが……ヤイバは少し気付いている。

 そういう外面が彼女の処世術で、そこから先は絶対に見せないのだ。

 だが、今のカホルは好奇心に目を輝かせていた。


「いいから乗るっ! あーしに掴まって! ……ヤバい絵、描けそうじゃん!」

「いや、二人乗りは校則でも……おまわりさんに見られたら」

「ヤイバっち、男ならやってやれだよ!」

「ふう……僕、そういう男がどうとか女らしくとか、苦手なんだけど」


 後ろの荷台に、先程までイクスが座ってた場所にヤイバは腰を下ろす。

 瞬間、カホルのサンダル履きの足がスタンドを蹴っ飛ばした。

 あっという間に急加速で、二人を乗せて自転車が走り出す。

 後ろにのけぞり落ちそうになって、渋々ヤイバはカホルの腰に抱きついた。細くて柔らかくて、ともすればポキリと折れそうな柳腰だった。


「テンション上がってキター! ヤイバっち、なんかもしかして事件な感じ?」

「いや、その……どこから話せばいいかな」

「いいって、いいって! そうれ、百万馬力だーっ!」


 後ろにヤイバが乗ってるにもかかわらず、グングンと自転車が加速してゆく。

 カホルって、こういう娘だったんだ……驚きを隠せないヤイバ。

 ヤイバだって、カホルのことはなにも知らなかったのだ。

 帰国子女のギャル、位にしか思ってなかった。

 あの日、誰もが知らぬ空白部分を、ドス黒い妄想で塗り潰されるまでは。

 でも、やっぱり違った。

 まるで少年みたいな笑顔に瞳を輝かせて、どんどんカホルはペダルを踏み込んでゆく。


「あ、危ないよカホルさん」

「にはは、いいんちょに怒られちゃうかにゃー? ……それはちょっち、やだな」


 などと言いつつ、彼女は渋滞気味の車道をジグザグに横切り、そのまま車道の隅を山道の方に駆け上がってゆく。

 既にもう、飛空船もイクスも見えない。

 だが、眼の前の裏山には今、その背後からもくもくと煙が上がっていた。


「ヤイバっちさ! あーし、ちょっとヤバい!」

「えっ? あ、運転代わる?」

「じゃなくてさ! めっちゃ久々に全力運動で、汗だくだし! 汗臭いかも!」


 カホルの声は、笑いに弾んでいた。

 学校で見せる仮面の笑顔じゃない。

 その横顔に思わず、ヤイバも頬が熱くなる。

 異世界に転移なんかしなくたって、春の大冒険はとっくに始まっているかに思えた。

 やがて自転車はなだらかな上りを駆け抜け、遊歩道の入口へとたどり着いた。


「見て、ヤイバっち! やっぱこっちだよ。ほら、これ!」


 急停車するなりカホルは、転がるように降りて駆け出す。

 彼女が拾ったのは、なにかの部品と思しきネジだ。

 渡されて握れば、微かにまだ熱い。

 きっと、あの壊れた飛空船からこぼれ落ちたものだろう。


「おっしゃー、行くよヤイバっち!」

「ま、待って、ちょっと! カホルさんっ!」

「あーもうめんどくさっ! カホルでいいって、カホルって呼んで! サン、ハイッ」

「カホル?」

「うし、行こ行こっ! あーしの直感が告げてる……これ絶対、ジブリ的なやつだって!」


 体力に自信があるのか、遊歩道をカホルは駆け出した。

 さっきまで自転車をこいでいたのに、もの凄いバイタリティである。

 ともすれば、運動不足気味のヤイバは置いていかれそうになった。


「でも、意外。カホルさん……カホルもアニメとか見るんだ」

「ジブリは鉄板っしょ! あとはポケモンでしょ、ドラゴンボールでしょ」

「初めて知ったよ。カホルって、みんなギャルだと思ってたから」

「っしょー? うぇーい! でも、面白いもんは面白いじゃん」


 カホルという同級生の解像度が上がってゆく。

 そこにはもう、周囲の印象も噂話も無意味になっていった。

 やがて、1kmばかり走って徐々に山頂が近付く。

 てっぺんの展望台を迂回するように走れば、すぐに舞い上がる黒煙が見えてきた。


「まずいぞ、山火事になる」

「ちょい待ち、ヤイバっち! なにあれ、あそこだけ……雨、降ってる。え? なんで」

「……あちゃー」


 それは奇妙な光景だった。

 飛空船が墜落したと思しき場所にだけ、局所的に雨が降っていた。

 ここから見ると、妙に低い暗雲の塊が、そこにだけ影を落としている。

 ざっと見て、100m四方くらいにだけ豪雨が降って、すぐに消えた。

 きっとイクスの魔法が、山火事を防いでくれたようだった。

 そう思った時には、再びカホルは駆け出している。


「すげええええ、あれって魔法的な? ゲキヤバ、うひょーっ!」


 追いかけるヤイバは、ちょっと心配になってきた。

 イクスの体力的なものは、この大惨事に持つだろうか。

 彼女はもう、立って歩くのもやっとの老婆なのだから。

 それでも飛び出していったイクスの、あの真剣な表情が気になる。


「妙だぞ、イクスさんの世界は確か……魔法がなくなって、エルフも絶滅したって行ってた。科学技術が発達を始めた、産業革命を経験した世界だって」


 その証拠に、飛空船は既存の物理化学に基づいて飛んでいるように見えた。

 この際、効率がどうとかいう話はまた別だ。

 船体に揚力を与え、重力を振り切れればあらゆる物質は飛ぶ。

 あれだけ無数にプロペラをつければ、エンジンによってはあんな形でも飛ぶだろう。テレビゲームではお馴染みの空飛ぶ船は、非現実的であっても非科学的ではないのだ。

 そう思っていると、不意に目の前のカホルが立ち止まった。


「んっ、カホル? なにが――」

「しーっ! ……なんか揉めてる。うわ、なにあの色のセンス! 別の意味でやべーじぇ」


 カホルの視線の先に、ピシリと燕尾服に帽子で着飾った紳士がいた。

 だが、ピンクと黒のしましま模様だし、頭髪と同じ茶色い髭は何故か三つ編みになっていた。カホルじゃなくてもセンスを疑う男は、見た目だけは渋いイケオジの顔に片眼鏡をかけている。

 その視線の先に、どうにか立つのもやっとという感じのイクスがいた。


「エルフさん、なんか疲れてる感じ? 助けなきゃ!」

「待って、カホル。少し様子を見よう」

「でもっ! ほら、ヤイバっち! 助けてあげてよ、あの時のあーしみたいにさ!」


 言ってからカホルは「……あっ」と俯き黙った。

 そう言わせて言葉を飲み込ませるだけの顔を、ヤイバはしていたのだろう。

 だからつい、あの日のように握っていた拳をそっと解いた。


「僕、暴力反対なんだ。基本的にね」


 それだけ言って、イクスと謎の紳士を注視するヤイバ。

 その耳にそっと「ごめんね」とカホルが囁いてくるのだった。

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