カメラ小僧、楽しさを知る

 僕らの間に流れる何とも言えない空気に気付いているのかいないのか、ご婦人はにこやかな笑みを浮かべて、靴はそこにと、壁際に設置された下駄箱を指差す。

 汚れの少ない木製の下駄箱には、何足もの靴が綺麗に収まっており、僕らも靴を脱いでそこに並べた。


「飲み物の用意はね、生徒さんに手伝ってもらったから済んでいるの。そろそろ休憩すると思うから、順に配ってほしいのだけどいいかしら」

「もちろんです。聞いたな、あざらしにペンギン。俺は昼飯の用意してっから、お前らでやんだぞ」


 僕と人鳥が口を揃えてはいと言った瞬間、竹刀のぶつかる音が一際大きく聴こえてきた。


「一応、生徒さん側も気を付けているけれど、貴方達も貴方達で、事故が起こらないよう注意してね。特に──写真係の子」

「へ?」


 思わず声が出る。写真係? 白熊さんに貸してもらったカメラが脳裏を過る。


「そういや、伝えそびれてたな。悪かった。撮影の許可取ろうとしたらな、むしろ撮ってほしいって言われたんだよ」

「うちね、ホームページで稽古風景を紹介しているのだけど、いつも撮影してくれる方が今日来られなくなって、まあどうしましょうってなっていたの。そうしたら、鈴鹿君が撮影のことを言ってきてくれたから、ついでにお願いしようと思って」

「そういうことだから、バンバン撮っていいぞ」

「……っ」


 責任重大じゃないか、それ。

 白熊さんに頼まれた時だって上手く撮れるか不安だったのに、不特定多数の人が見るホームページに載せる? 素人の僕が撮った写真を? 無理だ、そんな……。

 ポケット越しにカメラを軽く握り、徐々に俯いていく僕の両肩を、誰かが優しく叩いてきた。

 驚いて思わず顔を上げると、既に体育館に片足を踏み入れている斑鳩さんと目が合った。ご婦人が傍にいるせいか、三白眼は鋭くない。


「──だーいじょーぶ。そんな気負うなよーあざらしー」


 真後ろからそんな言葉を掛けられる。声の主はそれだけ言うと、僕の前に出た。いつ見ても、その背中は頼もしい。

 少しだけ、肩の力が抜けた。

 体育館の中に入ると、生徒さん達はちょうど休憩をするみたいで、一斉に壁際に寄って座り込んでいた。

 こっちよこっちとご婦人に呼ばれ、近寄るとすぐにお盆を差し出される。反射で受け取ったら手早く紙コップを載せられていった。色と匂いからして、中身はお茶か。


「それじゃあ、さっそくお願いね」


 人鳥を見ると、僕と同じように紙コップを載せたお盆を持っており、手分けして生徒さん達に配っていく。

 出入口を除き、体育館内に四ヵ所ある扉は全て開けっ放しで、いくらか風が入り込んでは来るけれど、体育館内の熱気はすごく、服の下で一筋、汗が流れる。

 配り終えたら、今度は紙コップを順にゴミ袋に回収していき、全て終わった頃に稽古が再開。袋の口を縛りご婦人の所に持っていくと、斑鳩さんに呼び止められた。


「カメラの使い方、分かるか?」

「……分からないです」

「貸せ。教えっから」


 電源の場所や撮影モードの変更方法、デジカメだから撮った写真の見方や消し方も教わる。生徒さん達が声を張り上げる中でも、斑鳩さんの声は全て耳に入り、説明の仕方も丁寧で分かりやすかった。


「ありがとうございます」

「おう。しっかり撮れよ。でも怪我にも注意しろよ。何かあったら親御さんに悪いからな」


 ふいに細められた三白眼に、いつもなら怯えてしまっていたけれど、今は、視線を気にする余裕がなかった。


「……そう、ですか」


 親御さん、か。今頃は妹の世話をしているんだろうな。

 もう一度礼を口にしてからすぐに外へ出て、開け放たれた扉から写真を撮っていく。

 最初は恐る恐るだった。ブレたらどうしようとか、そんな不安もあったけれど、失敗したらしたで、教わった通りに消せばいいと思えたら気が楽になった。

 慣れてくると、小さな窓から世界を見て、一瞬を切り取っていくのに夢中になる。

 写真といえばスマホで、こうやってカメラに触れる機会がなかったけれど、こんな、シャッターを押す指が止まらなくなるくらい、楽しいものだったのか。

 何枚か撮ったら次の扉へ。そういうのを何度か繰り返していたら、今度は人鳥に呼び止められる。


「あざらしー水分補給ー」

「ありがと」


 カメラをポケットに入れてから紙コップを受け取り、口に運んだ。冷たい、旨い、止まらないと、あっという間に飲み干す。


「おかわりは?」

「大丈夫」

「そー? 熱中症には気を付けないとだな」

「お互いにね」


 そうしてまた写真を撮っていき、気付いた時にはお昼になっていた。


「戻ってこいあざらし! 昼飯配るぞ!」


 斑鳩さんに呼ばれて体育館の出入口まで戻る。生徒さん達は既に稽古をやめて、壁際で防具を脱いだりしていた。

 今度は僕らが配るんじゃなくて、生徒さん達に来てもらって渡していくらしく、身軽になった生徒さんが僕らの元までやってくる。

 出入口の両脇に、会議室にありそうな長机がそれぞれ置かれ、右手側にお茶係のご婦人と人鳥、左手側にご飯係の斑鳩さんと僕が立つ。


「おにぎりですか、サンドイッチですか」


 僕がそう訊ね、その間に斑鳩さんは紙皿を用意し、注文が入ればトングで取って渡していく。それを何度も何度も繰り返し、誰も来なくなった頃に、僕らも食べることに。

 どちらも残り少ないおにぎりとサンドイッチ。言いづらいけれど、サンドイッチの方が少し多く残っていた。斑鳩さんは僕らに何も訊かずにサンドイッチを紙皿に取っていき、手渡してくる。


「ハムサンドだ、旨いぞ」


 拒んだらどうなるか分かってんだろうな?

 そんな副音声が聴こえたのは気のせいか。

 邪魔にならないよう人鳥と端に寄り、座り込んで食べる。──柔らかい。

 パン・ハム・レタスと順に味が口内に広がり、喧嘩することなく混ざり合って、うっかり頬が緩みそうになるほど優しい味わい……。

 これ、斑鳩さんが作ったんだ、と思って視線を向けたら、ご婦人と仲良くおにぎりを食べていた。ご婦人は頬に片手を添えて、もう片方の手に持っているおにぎりを斑鳩さんに見せつけながら、笑顔でしきりに何か言っている。褒めてくれているのか。


「嬉しそうだねーあざらしー」

「そう? ペンギン君」

「何かいいことあったんだ。良かったじゃーん」

「んー……うん」


 そして昼休憩は終わり、生徒さん達は稽古を、僕は撮影を再開した。あと二時間は続くらしい。かなり動いたけれど、生徒さん達を撮るのは楽しく、時間はあっという間に過ぎていく。

 何度目かの往復で、ご婦人と人鳥が長机を片付けているのが目に入り、手伝いを申し出たけど断られた。


「日頃から運動してるから大丈夫よ。あざらし君は写真お願いね」


 ご婦人にまであざらしって呼ばれたな、と思った所で──斑鳩さんがいないことに気付く。


「斑鳩さんはどちらに?」

「お買い物よ、うふふ」


 ご婦人は嬉しそうに笑うと、人鳥と共に校舎の方に行ってしまった。……買い物か。何を買いに行ったんだろう、斑鳩さん。

 首を傾げつつ、撮影に戻った。

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