切り抜き短編~そういう趣味はありません・柑橘のかほり

天川

柑橘の香り、操のかほり

「───文旦ぶんたんっていうの、一度食べてみたいんだけど……なかなか無いよね?」

「───あたしは、晩白柚ばんぺいゆかな。あので~っかいの……ふふふ。あ、でもやっぱりなのなかなぁ?」


 実家での長い出張仕事を終えて帰ってきてから、久しぶりの我が家での、のんびりした休業日。そのふるさとからの帰り道で購入した、デコポンのことを午前中にふと思い出して、「柑橘が食べたい」となったのである。


 近所のスーパーで伊予柑を見つけて、買ってきた。

 昔ながらの赤いネットに入った4個入り。

 昼食を終えた二人は、薪ストーブの柔らかな温もりを感じながら並んで食べ始めた。


 僕……天音あまねは、柑橘類に目がない。それは、彼女……みさおも同じだ。


 冬にこたつで食べるは、まあ当然として殿堂入り……対象には含めていない。(まあそこにも、小さいほうが良いとか、皮の硬さとか……話し出すと止まらないくらいの蘊蓄はあるのだが……)


 僕らは特に、皮の厚い……伊予柑や夏みかん、グレープフルーツやデコポンなどの少しゴツゴツしたタイプが好きなのだ。


 特に、「瓤嚢じょうのう膜」と呼ばれる、薄い内皮が手できれいに剥ける、果肉のしっかりしたものが僕らのお気に入りだ。


「これ、当たりだったね~」

「うん、硬さもちょうどいいし」


 二人で薪ストーブのある土間たたきの縁に座り、間に大きな皿を置いて……その食事とも作業ともいえるような、ちまちまとした手の動きに没頭している。

 一房ずつちぎっては、手でちょこちょこと内皮を剥いて……くるっと開くようにすると、ぷるんと花が咲くように瑞々しい果肉が現れる。それをこぼさぬように、口に運んで……舌と上顎で味わうように潰すと濃厚でかつ清涼な柑橘特有の甘酸っぱい香りと果汁が迸る……。

 二人の間の皿には、剥いた皮が次々と積まれていく。


「あ~おいしい」

「酸味がちょうどいいかな、あたしには」


 しかし同じ嗜好ではあるのだが……、僕と操では、ほんの少し「好き」のゾーンが違う。


 すなわち……


 僕は、多少の苦みがあっても酸味と香りが強くてしっかりした弾力の果肉を重視する肉質重視派なのに対し……。

 操は、苦みは極少なく酸味適度で甘みは多いほど良い、硬さはそれに準じていれば重視しない、という甘み最優先至上主義だ。


 そのため、僕は伊予柑よりも八朔はっさく、更には夏みかんのほうが好みだし、操はデコポンや更に柔らかいオレンジまでもが大好き圏内に入って来るのだ。


 だが、そこまでこだわっている……いや、こだわっているとのは僕の方だけで、操自身は、

「美味しければ何でも~!」

 と言って、ほんとうに喜んで何でも食べてくれる。

 お土産に困ったら、その時期に出ている柑橘類を買っていけば失敗は皆無というほどのものだ。


「──グレープフルーツって、敬遠してたんだよね……最近まで」

「あ、そういえばそうだよね? なんで?」


 僕は、その中でもグレープフルーツだけはあまり買って食べることがなかった。いや、知り合いから送られてくる分だけで充分、という扱いだったのだ。


 理由は単純、果汁がこぼれるからだ。

 果肉のしっかりした柑橘類を好むという理由は、そういうことでもあるのだ。


 子供の頃から、グレープフルーツというのは半分に切ってスプーンでほじくり出して食べるものだと思っていたので、その食べるプロセスで汁がどうしてもこぼれるし、きれいに食べるとなるとなかなか難しいということもあり、僕の中での順位はだいぶ低かったのだ。

 その上、僕の実家の家族は常用している内服薬がある。ある時、医者から聞いたのだが、「これを飲んでいる間は、グレープフルーツは食べないでください」と言われる薬がとても多かったのだ。

 そのため、いつの間にか実家からはグレープフルーツの姿は無くなり、他の大きい系柑橘類ばかりが席巻していたのだ。


 だがある時、操が……。

 買ってきたグレープフルーツを、半分に切らずに皮を剥いて……伊予柑を食べる時のように瓤嚢膜をきれいに手で剥いて食べているのを見て、僕は驚愕したのだ。


 僕は、思わず聞いてしまった。

「それ何!?」

「え? グレープフルーツだけど?」

 操の答えを聞いても半信半疑だった。


 ずっと食べていなかったため、僕のグレープフルーツに関する知識は前述の「スプーンで食べるもの」という狭いところで停滞していたのだ。


 操の食べているものを一房だけ分けてもらって……食べてみた。


 伊予柑にも勝るとも劣らない、しっかりした弾力があり、手で剥いていても汁が溢れてくることもない。


 ───こんなグレフルがあったのか……


 それからというもの、僕の中ではグレープフルーツも選択肢として急浮上することになったのだ。

 しかし、グレープフルーツは流通量も多く、その中でさえも種類が多岐にわたっているのである。

 昔ながらのスプーンで食べるような、果肉の柔らかい色の白っぽいものはもちろんのこと、ピンクグレープフルーツに代表される、色の濃いもの、そして、果肉のしっかりしているものなど……、まだまだ好みのものを正確に選び出すためには鍛錬を要すると思うほどであった。


「───相変わらず、ハマるとガチだよね、天音って。ふふふふっ♪」


 そんな僕を、操は楽しそうに眺めている。


「ずっと、果汁の供給元としてしか見てなかったから……なんだか申し訳なくて」

 僕はそう弁明する。


 グレープフルーツそのものには、ずっとお世話になっていると言っていい。

 缶酎ハイやサワーでは、グレープフルーツ果汁使用のものばかり選んでいると言っていいし、一番好きなカクテルはずっとソルティードックだ。

 だが、丸のままの果実を手にすることがなかったため、その知識と経験はまだ乏しいのだ。これからはそれらも含めて重点的に知識を鍛えていこうと思っている。


「割と、年中出回ってるしね」

「そこがいいよね、グレープフルーツ」


 食べ終わって、お手拭きで手を拭く。

 果汁のこぼれにくいタイプとはいえ、全く手が汚れないというわけではない。

 その辺が、レギュラーみかんに比べて食べる機会を少なくしている要因だと思うのだが……、こればかりは致し方ないだろう。


 だが、そんな手に付く溢れた果汁にも、嬉しいことがある。


「……あ~、いいにおい」

「ほんとだね~……ふふふっ」


 ふたりとも、食べ終わった手をくんくんと嗅いでいる。

 柑橘類の香りというのは、どんなときでも心を清涼にしてくれる。

 この感覚だけは、唯一無二のものだろう。

 車の芳香剤も柑橘系のものにしているくらいだ。


「はぁ~……これがあるから、良いんだよね」

「天音、ほんと好きだよね~この香り」


 たぶん、果物の中で……いや、香りの中でもトップ3に入るほど好きかもしれない。

「うん、3番めか2番めくらいに好きかな」

 僕は思わず、本音で答えてしまう。


「え~? どっち?」

 操が、興味を持ってそんな問いをする。


 僕は、もう一つの双璧をなす香りを頭の中で反芻する。

「うーん、バニラの香りとどっちかなぁ……って」

「あ~、バニラもいいよね……あれ?」

 そこで操が気づく。


「……じゃあ、1番は?」


 僕は、ちらりと操を見る。


「……それ聞くかな」

「なに? 秘密なの?」


 ちらちら……。

 操は、じっとこちらを見ている。

 ……直接言うのは恥ずかしいんだけど。


 だが、まごまごしている僕を見て、ようやく操が察してくれた。


「あ……、もしかしてあたし?」

 ちょっと、身体を縮こまらせて、操が正解を口にする。

 僕は頷く。

「だから……洗剤だって言ってるのに、ふふふっ」

 操は、いつものセリフで返してくれた。


「──今日って……どんなのだったっけ?」

 僕は、操にしかわからない聞き方をする。


 すると、操は少し恥ずかしそうに……そして、いたずらっぽく微笑んで、ぷちぷちと服のボタンを外していく……。


 そこに、ちょっとめずらしい色をした胸を覆う下着が姿を表す。

「……別に、狙ったわけじゃなかったんだけど……えへへへ。みかん色です」

 そういったあと、少し上目遣いで、

「……堪能する?」

 そう言ってくれた。


 僕は、頷き………操の胸に顔を埋めた。

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