妄走Ⅱ

七雨ゆう葉

愛の詞

「なあ、坂下」

「ちゃんと目はなさないで、しっかり見張ってろよ」

「わかってますって先輩。あ~、さみぃ」

 午後五時。寒さを紛らわそうと地団駄を踏みながら、二つ年下の坂下さかしたがハアハアと息を吐き赤らんだ手をこすり合わせる。

「でも先輩、俺たちだけでいいんすか?」

「まあ。ちょうど別件で、大方出払ってしまったとこだからな。それに、上も安心して任せてくれてるんだろ。‟上下うえしたコンビ”にさ」

「その呼び名、全然嬉しくないし。先輩じゃなかったら、パワハラで訴えてますから」

 現場捜査を任された若手刑事二人は、物陰からとあるマンションの入り口を見張る。

 先輩の坂上さかがみと後輩の坂下さかしたの、ツーマンセル。

 二人は数々の手柄を挙げ、職場からは「上下うえしたコンビ」と呼ばれ浸透し、持てはやされていた。


 今回のターゲットは先日、とある山林で発見されたバラバラにされた遺体。

 その、殺人事件の重要参考人とされる一人の成人女性。とは言いつつも、これまでの捜査で積み重ねて来た状況証拠から、サツとしては九割がた「容疑者」として行方を追っていた。

「にしても、腹減りましたね」

「そうだ先輩。今晩メシ、一緒にどうです? 最近おすすめのラーメン屋見つけたんすよ」

「おい、静かにしろっての。気づかれるかもしれないだろ」

「今は余計な私語は、話さないでくれ」

「はいはい」

「つっても、ホントに現れるんすかね~」

 坂下が半ば諦めかけていた、その時。

 アイボリー色のパーカーでフードを羽織った細身の女性が、そろりと入口に向かうのが坂上の目に留まった。

「来た! おい、行くぞ」

「見るからに怪しいっすね。――はい」

 女性はマンションのエレベーターで五階へ。

 それを確認し、坂上と坂下の二人は階段を猛スピードで駆け上がっていく。


「……よし」

 ほぼ同着で、階層へと到着した二人。

 そして。彼女が腰ポケットから鍵を取り出した、瞬間。

「あの、すみません」

「……っ」

 その一言だけで、相手は事態を察したのだろう。

 慌てて鍵を抜きドアをこじ開けると、彼女は直ぐに閉めようとする。

「おい、待て!」

 坂上は咄嗟に片足をねじ込み、施錠を寸前で回避。

「警察だ!」

 後方にいた坂下が警察手帳を掲げ、扉一枚を挟み攻防する坂上を援護する。

 思ったより力の強い彼女。けれど流石に男性二人がかりでは分が悪いと見たのか、坂上らが力んだタイミングを見計らい手を離すと、そのまま部屋の奥へと走って行った。

 慣性による反動から、弾かれたように倒れ込む坂下。一方の坂上は何とか踏みとどまり、そのまま扉を押しのけ、土足のまま後を追った。

「待て!」

 もう、逃げられない。

 一連の行動から、もはや「私が犯人だ」と言っているようなもの。

 それでも彼女は足を止めない。すると素早い手さばきで、ガラス戸を引く姿が飛び込んだ。

「おい!」

 突如差し込む斜陽に目がくらむ。

 室内に入り込む冷風。彼女はベランダへと飛び出し、その身ごと外へ乗り出そうとしていた。

「やめろ! やめるんだ!」

 階は五階。下は一面コンクリート。

 ここから堕ちれば、万が一という事も十二分にあり得る。

 坂上は全速力で駆け寄り、手を伸ばした。


 ガッ――バサッッ!


 触れ、すぐさま掴んだ、細い手。

 間一髪。坂上はかろうじて、彼女の左手を繋ぎ止めた。

「やめ……ろ」

「はなして」

「いいや、放さない。いのちを……粗末にするな」

 これで終わりなど、あってはならない。

「ごめ……なさい」

「そう思うんなら、きちんと罪を償うべきだ」

 生まれ持った正義感を底上げし、坂上は渾身の力を振り絞った。

「先輩!」

「あ、坂下っ! すぐに応援を呼んでくれ!」

「でも!」

「大丈夫だ! ここは任せろ!」

 坂下に指示を送ると、坂上は大声を吐出し体勢を反らせる。

「はな、して」

「はなしてェェェェ!!!!」

「いや」

「絶対に、離さない」

 


 ッ。

 ザサッ……。



 喘鳴ぜんめいを繰り返しながら。

 胸元で、確かに受け止めた温度。

「良かった、諦めなくて……ハア、ハア」

「放さないで良かった」

 引き上げられた彼女は完全に脱力し、憔悴していた。

「いいか。ちゃんと罪を償うんだ。さぁ」

 こうして攻防の末、無事犯人を捕獲。

 そこから数分後。駆けつけた応援の警官に手錠を掛けられ、彼女はパトカーへと連れて行かれた。


「いや、まさかの展開でしたね。でもすいません、力に慣れなくて」

「まあ大丈夫だ」 

 力及ばずと自覚し、俯き歯噛みする坂下。

「なあ坂下」

「さっさと署に戻って、今日の仕事片付けてさ」

「さっき言ってたメシ、行こうぜ」

 ひるんだ後輩の肩に手を回すと。

 坂上はニコッと笑みを零し、先導した。



 ◆



「今夜はお祝いだね」

「やめてくれって。別にいいってば」

「ダーメ。今日で勤続十五年って、スゴイ事なんだから。ちゃんと祝わないと」

「でも、早く帰って来てよね」

「ああ、わかったよ」


 刑事の仕事にも、すっかり脂がのり。

 気が付けばもう、十五年。

 犯罪捜査と反して、家庭にも恵まれ順風満帆な生活に、坂上の頬は綻ぶ。

 当時タッグで行動していた坂下も、今や捜査チームのおさとして部下に指示を出す立場へ。

 周囲の変化を改めて垣間見、坂上は月日の経過を実感した。



 ジリジリジリジリ……。


 

 デスクで業務に勤しむ中、突如鳴ったスマホ。

 発信先は自宅から。妻からの電話だった。

(もう、舞い上がりすぎだっての)

(どうせまた、今晩は何が食べたいとか、そういうんじゃ……)

 何だって嬉しいんだから。

 そう思いながらフッと笑い、坂上は画面をタップした。


「もしもし」

「…………」

「もしもし香苗?」

「……っ」

「香苗? どうかしたのか?」

「……フッ」


「お久しぶりです」


「えっ?」

「やっと。声、聴けた」

「――キミは」


 どこかで聞いた事のある声音だった。

 そう感じた直後、ドクンと胸を打つ鼓動。

 てのひらが痺れ、当時の記憶が脳裏を横切る。 

「もしかして……。出所……したのか?」

「嬉しい。覚えててくれたんですね」

「でもキミが何故、この番号を」

「妻は、香苗は」

「カナエ、さん? ですか?」

「あー」

「ここに倒れてる、この人ですか」

「私たちの邪魔かなと思って。だから、ちょうどこれから」


「解体しようかと」


「んな……」

「う、うそだろ」

 全身の血の気が引き、言葉が出ない。窓越しに映る、真っ青な自画像。

 坂上は職務を放り出し、我を忘れ部屋を飛び出した。



 ◆



「おい! 香苗!」

「いるんだよな、香苗」

「かなえええッッ!!!」


 何度読んでも返事がない。

 靴はある。買い物には行っていない。

 けれど、鍵は開いたままだった。


 ポタッ――ぎぃぃぃ。


 坂上が玄関に入ったその瞬間、押し寄せた生臭い匂い。

 生々しい獣のような匂いだった。

 そして出迎えるかのように、ゆっくりと。

 廊下を抜けた先、リビングの扉が開く。


「お前、っ」 

 真紅に染まったカーペットの上に立つ、裸足のままの後ろ姿。

「おかえりなさい」

「って――」

「本来なら、あなたが私に言うセリフなんですからね」

「……や」

「やめ、ろ」

 鈍色に光る鋭器。十数年ぶりに会った彼女がこちらに振り返る。その右手には、血塗られた包丁が握られていた。

「かな……え?」

 けれど坂上の視界には、彼女ではなく、その奥へと向かった。

 扉からはみ出るように映り込む、垂れた腕。親しみのある肌。

 だがその皮膚は一面真っ赤に染まり、最後の助けを呼ぶかのようにピクっと反応すると、流れる坂上の涙と同じくして、ゆっくりと地にひれ伏した。

「どうして」

「えっ」

「どうして……こんな……」

「だって」

「アナタが言ってくれたから」

「……ぇ」

「言いましたよね、あの時」


「絶対に、はなさない――って」


 血潮を浴びたまま、目を見開き、嬉しそうに笑みを咲かせる彼女。その盲女による温容と妄女による一言は、坂上の芯を、その何もかもを抉り取る。

「う……、ぁ」

「わああああああああああああ」

 坂上はグシャグシャになった顔面のままその場で崩れ落ち、ひたすらに咆哮を轟かせた。


 念願の再会。

 床に突き刺さった包丁。

 すると彼女は聖母のような眼差しと共に、赤子をあやすように両手を広げる。

「いるよ。私がいる。だからアナタも私のこと」

「はなさないで、ね」

 優しくそうささやくと、彼女は嬉しそうに歩を進めた。



「アイシテル」





 了



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妄走Ⅱ 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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