第26話 忘れられなかった姿

 レオナルトは林の中を駆けていた。

 寮や校舎からは遠ざかっていく。このまま進めば浮島の外縁にたどり着く。逃げ場はない。

 それがわかっているからだろう、ファブリスの追跡はゆるやかだった。


「ローレンス! すぐに出てきなさい。でなければ、少々、手荒な指導になるぞ」


 笑いを含んだ声が迫ってくる。

 甲冑がこすれる音が響く。魔人兵が暴れているのだろう。大地が踏み荒らされ、木々が倒れる音が威嚇するように届いた。

 頭上では枝葉が重なり合い、星の光を阻んでいる。奥に進めば進むほど、濃厚な闇がまとわりついた。


 そんな暗闇の中で、レオナルトは光るものを見つける。

 枝に引っかかって、揺れていた。近付いてみれば、それは聖剣だった。レオナルトを誘うように揺れて、その度に光が角度を変える。

 ――聖剣だ。

 レオナルトは乱暴にそれをつかんだ。


(こんなものあったところで……!)


 拳の中で強く握りしめる。聖剣が自分に応えてくれたことは、今までただの一度だってないのだ。

 どんなに練習しても。やり方がまちがっているのかと調べてみても。その理由はわからず終いだ。

 低学年の頃には教師に尋ねてみたが、叱られただけだった。


『起動しようとすると気持ち悪くなる? 嘘を吐くんじゃない! そう言って、授業をさぼるつもりだろう』


 そういえばあの時、そう言ったのはファブリスだった。


 夢の中でテオドールは、あんなに易々と聖剣を顕現させていたというのに。

 それに対して自分は……。

 レオナルトは目を伏せる。


 ――テオドールのようには、自分は決してなれないのだろう。


 きっと才能がないのだ。魔器を満足に起動できない生徒は、リブレキャリア校の中でもレオナルトだけだった。


 なぜ聖剣は、そんな自分のことを選んだのだろう?


 レオナルトは憎らしい気持ちで、手の中のそれを睨み付けた。

 その時、近くの草むらが揺れた。誰かが近付いてくる気配。

 レオナルトは構えて、そちらを見据える。

 姿を現したのはリーベだ。

 こちらを見て、へにゃりと相好を崩す。


「見つけた……」


 こちらの気力が削がれるようなゆるんだ笑顔だ。しかし、その顔を見ても、レオナルトは警戒を解かなかった。

 離れたところから魔人兵の暴れる音が聞こえてくる。しかし、ファブリスの所持する魔人兵が1体だけとは限らない。


「……本物か?」


 険しい眼差しで、相手を見据えた。



 ◇


 グレンたちの頼みを聞いて、リーベはすぐにレオナルトの行方を探した。

 そのために役立ったのはエリアスだった。


『ローレンス先輩のマナ? わかるよ……。裏の林に入って行ったみたい……』

『エリアスくん、ありがとう!』

『ふへ……じゃあ、ご褒美に……』

『わ、わかった、後でいくらでも抱きしめてあげるから~!』


 林の中に入ると、轟音が響いてくる。リーベは飛行術で音の中心地まで飛んだ。

 そして、レオナルトを見つけたのだが。


「……本物か?」


 彼はリーベを前に警戒を露わにしている。


「ええっと……そういえば、僕の偽物いるんだっけ? あ、あれ? どうしよう……!? どうやって証明しよう?」

「…………。わかった、あんたは本物だ」


 リーベがうろたえていると、レオナルトは納得した顔をした。


 ――どうやって識別したんだろう?


 リーベは首を傾げる。

 一方、レオナルトは思い詰めた顔で、視線を逸らした。


「無事だったのか? 俺があの時、蹴ったのは本物のあんたの方だったんだろ……」

「あ、ああ~……、偶然! ほんとに偶然にね、打ちどころがよかったみたいで~……!」


『打ちどころが悪い』とは言うけれど、その逆は言わない。

 リーベの弁解は下手だったが、レオナルトは他のことに気をとられているらしく、気付かないようだった。

 神妙な顔付きで続ける。


「あんなことして悪かった。さっきのことについての始末は必ずつける。だが、今は……」


 金属音が近付いてくる。

 レオナルトはハッとして、リーベの腕をとった。


「ここにいたらまずい」


 腕を引いて走り出す。リーベは「わ、わ……!?」と、つんのめりそうになりながら続いた。


「待って、この先は崖だよ。どうしてこっちに逃げたの?」

「……反対側が学生寮だったから。他の連中を巻きこむわけにはいかないだろ」


 その眼差しは、真剣で真っすぐだった。

 リーベは息を呑んだ。

 その面差しは――記憶の中と一致する。


『待て、ルディ。そっちはダメだ、人がいる。巻きこむわけにはいかない』


 腕を引かれて走りながら、リーベは目を伏せる。


(どうしてそこで……)


 蓋をしていた記憶があふれて、心が切ないほどに痛みを訴えた。


(……テオみたいなことを言うかな……)


 轟音が徐々に近づいてくる。

 レオナルトはリーベの腕を引いて、大木の陰に隠れた。魔人兵は近くまで迫っているらしい。もう猶予はない。この先は林が途切れていて、身を隠す場所が存在しないのだ。

 レオナルトは決意したようにリーベと向かい合う。


「あんたはここにいてくれ」

「君はどうするの?」

「あいつの狙いは俺だ。俺があいつの注意を引き付ける。だから、その隙にあんたは逃げろ」


 張り詰めた表情で、音のする方向を見据えている。

 真っすぐで迷いがない様は、リーベからすれば眩しすぎるものだった。先ほど言葉を交わしていた生徒たちもそうだ。

 グレンも、アルバートも、クリフォードも。

 彼らの願いは純粋なものだった。


『レオを……助けてください』


 グレンが苦悩の末に、その言葉を口にしたことはリーベにもわかっていた。彼は始終、リーベを見定めるような目付きをしていた。最後までその目には迷いが残っていた。それでも――友人のことを案じて、リーベに救いを求めて来たのだ。

 そんな純粋さと、真っすぐさが、リーベの心に突き刺さる。そして、何かの感情を熱く湧き立たせた。


(僕は……この子たちの助けになってあげたい)


 それは長らく忘れていた感覚だった。

 テオドールが死んでから、リーベは生きる希望を失った。悲しくて、寂しくて、苦しくてたまらなかった。だけど、泣けるだけ泣いてしまったら、心はマヒしたかのように何の感情も宿さなくなった。


 ――僕、どうやって笑っていたんだっけ?

 ――楽しいって、どういう感情だっけ?


 そんなこともわからなくなって。

 だから、それからのリーベは「以前の自分」を思い返して、演じ続けた。


 ――以前の僕なら、こういう時、笑った。

 ――以前の僕なら、こういう時、慌てた。


 それは上辺だけの振る舞いだ。

 リュディヴェーヌ・ルースは死んだ。今、ここに残っているのは空虚な入れ物だけ。かつて『英雄』だった見かけをかぶって、自身の面影を必死でたどって、演じ続ける道化がいるだけ。それがいかに滑稽であることもわかるから、誰の目にもさらしたくなくて、リーベは殻に閉じこもった。

 これからは外界との関わりを閉ざして、1人きりで生きていこうと思った。


(そうした方が楽かもしれない……。でも、ここで僕が逃げたら……この子たちは、)


 グレンたちは『友人を助けてほしい』とリーベを頼った。その純粋な思いを、裏切ることだけはできない。

 だから、向き合わなくてはいけない。

 あの時、蓋をして閉ざしてしまった心をこじ開けなければ、前へと進めないのだ。


 リーベが聖剣を魔導で起動する方法を教えたせいで、テオドールは戦地に駆り出され、死んだ。

 だから、もう二度と誰かに教えたくないと思った。

 リーベの思考はそこで中断して、それ以上を考えることを放棄していた。

 だけど、


 ――本当にそうなのか?

 ――テオドールが死んだのは、リーベが彼に戦う術を授けたからなのか?


 レオナルトの姿を視界に映す。彼はテオドールと似ている。戦う力を持たなくても、誰かのために立ち向かう勇気を持っている。

 その姿にリーベの目頭は熱くなる。泣きそうなほどに心が熱く爆ぜるのは、忘れようとしても決して忘れることのできなかった姿と重なるからだ。


 ――もしこんな時、テオドールならどうしていただろうか?


 きっと同じように駆け出していた。

 戦う力なんてなかったとしても。

 誰かを守るためなら、自身を犠牲にすることも厭わなかった。


(あの時、僕がテオに出会ったことも。彼に聖剣の扱い方を教えたことも。きっと間違いじゃない。だから……)


 リーベの心に、温かなものがあふれ出す。心臓がドクンと動いて、久しぶりに「生きている」ということを実感できた。


「待って」


 今にでも飛び出していこうとするレオナルトをリーベはつかんだ。

 彼の持つ聖剣を示す。


「それ、使おうとすると気分が悪くなるって言ってたよね」


 レオナルトは訝しげにリーベを見る。それから、ゆっくりと頷いた。


「起動できるのは、いつも一瞬だけだ。その後、身体中の力が抜けるような感じがして……」

「それは君が悪いわけじゃない。魔器はマナの代わりに星光石で作動する仕組みになっている。でも、君の持つそれは、星光石の出力が足りてないんだ。そうすると、どうなるか。魔器は君からマナを吸いとって、起動することになる。だから、気分が悪くなる」


(テオも……初めはそうだったんだよ)


 リーベの声には懐かしさと慈愛が宿る。

 レオナルトはハッとして、リーベを見つめた。


「どうしたらいい?」


 意外な素直さに、リーベは目を見張る。


 自然と口元がほころんでいた。演じるのではなく、今の自分の感情がそうさせた。

 リーベは優しくほほ笑みながら、自身の生徒と向き直る。


「少し授業をしようか。――君に、聖剣の使い方を教えてあげる」


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