第5話 英雄は仕事からエスケープしたい

 魔器まき特進クラス。

 その名の通り、魔器の扱いや知識について、専門的に学ぶクラスである。


 新学期ということもあり、教室内は活気に満ちていた。久しぶりに会う友人の姿にはしゃいで、会話が弾んでいる。

 喧騒を聞き流しながら、レオナルト・ローレンスは机の上で頬杖をついていた。周囲の女生徒が気を引きたそうに彼の顔を見ているが、レオナルトは気付いていないふりで、窓の外を眺める。

 大柄な少年がレオナルトの机に腰かけた。親しげな様子で声をかける。


「おい、レオ。知ってるか?」

「知らねえし、寝る」

「まだ何も言ってねえ!」


 ぞんざいな対応に気を悪くした様子もなく、話しかけた少年はけらけらと笑う。

 レオナルトは不機嫌そうに目を背けた。

 すると、横手からまた別の声がかかった。


「レオって、ほんと、朝に弱いね」


 金髪の少年がやって来て、前の席に腰かける。背もたれに覆いかぶさって、レオナルトと向かい合った。

 レオナルトはそちらを一瞥しただけで、何も言わずに目を閉じる。

 レオナルトの隣では、黒髪の少年が本を開いていた。ページから視線を外さずに口を開く。


「昨日も妙な夢を見たのか?」

「別に……」


 レオナルトは気だるげに自分の腕に顔を埋める。その面倒くさそうな様子にも色気が漂っている。周囲の女生徒が頬を染めて、レオナルトを見ながら、友人同士できゃっきゃとはしゃいでいた。

 金髪の少年が大柄な少年を見上げて、


「それで、アル。何かあったの?」

「おお、そうだ。今日から新しい先生が来るらしいぜ」

「ふーん。男? 女?」

「男で、若いらしい。20代って聞いたぞ」

「へえ……」


 どうでもよさそうに彼は息を吐く。そして、読書をしている少年に声をかけた。


「ああ、そうだ。グレン、筆記用具、貸してくれない?」

「またか」


 グレンと呼ばれた少年は、本から顔を上げる。

 レオナルトが机の上に伏せながら、目を開けた。途端に彼のまとう雰囲気が変わる。気だるげな様子が一変して、険しいものになった。

 鋭い視線でレオナルトは問いただす。


「……それ、何度目だ?」

「んー。どうだっけ」


 苛立った様子のレオナルトを、金髪の少年はさわりとかわしている。

 グレンはペンをとり出すと、


「ほら。すぐ返せよ、クリフォード。もしなくしたら、弁償だ」

「グレンは抜け目ないね。ありがと」


 クリフォードは苦笑しながら、それを受けとる。

 教室内では様々な話が飛び交っている。

 とりわけ話題になっているのは、新任教師のことだった。


「新しい先生ってどんな人かな?」

「何でも校長先生に、一目で気に入られたらしいよ」

「それも、若いんだよね? かっこいいといいなあ!」


 予鈴が鳴ると、生徒たちは自分の席へと戻っていく。

 そして、期待の眼差しで扉を見た。

 しかし、それからあっという間に5分が経過した。噂の新任教師は現れない。

 生徒たちは待つのに飽きて、教室内は喧騒に包まれる。


 ようやく扉が開いたのは、それから更に5分後のことだった。席を立っていた生徒たちは慌てて自席に戻った。

 視線が集中する中――。

 現れたのはあまりにも冴えない、よれよれの青年だった。

 息を切らして、今にも死にそうな顔をしている。


「か……階段が……。教室が4階にあるなんて聞いてない……」


 青年は入口に手をついて、ぜーはーと肩で大きく息をついた。

 そして、教室に足を踏み入れようとするが、


「うわっ」


 ドアの溝につまづいて、転びかけた。ずり落ちそうになったメガネを押さえる。


「危なかったー……!」


 その瞬間、女生徒の顔付きは大きく落胆したものに変わった。新任教師が「20代の若い男性」と聞いて、彼女たちは期待していたのだ。

 異性を恋愛対象にできるかどうかということは、初対面の数秒のうちに判断できるという。

 彼はその瞬間、すべての女生徒から「対象外!」と判定されたのだった。


 ――圧倒的に、ださくて、冴えなくて、みすぼらしかった!


 一方、男子生徒は呆れたような、見下したような視線を送っている。

 新任教師が教壇の前に立つ。やる気も覇気もない声で語り出した。


「えー……今日から……その……つまり。このクラスの担任を受け持つことになった、リーベ・バルテです。……帰りたい……」


(今、『帰りたい』って言った……)


 その瞬間、クラスの生徒たちの心は1つになった。


「僕から言いたいことは1つだけ。僕のことを絶対に『先生』と呼ばないでください。そう呼ばれたくないので……」


(教師なのに!?)


 またもや生徒たちの心は1つになった。

 レオナルトは寝ていると見せかけて、片目を開いてリーベの方を見る。グレンも本から視線を上げて、リーベを見つめた。

 しかし、レオナルトは興味を失くしたように目を閉じた。グレンも肩をすくめて、読書へと戻る。

 教室内を何とも言えない沈黙が流れた。


 そんな中で、


「はいっ!」


 威勢のいい声が上がる。

 片手を挙げているのは、先ほどレオナルトに話しかけていた大柄な少年だった。

 手が上がるとは予想外だったのか、リーベは呆気にとられている。そして、「えっと? そこの君。何?」と尋ねた。


「アルバート・ラクールです! それじゃ、先生のことは何て呼べばいいですか~?」


 無邪気な問いかけだった。

 女生徒たちが顔を見合わせて、くすくすと笑う。馬鹿にした風ではなく、好意的な反応だった。

 どうやら人気のある少年らしい。

 リーベは面食らったように目を瞬かせ、


「え? 考えてなかった。うーん、呼び捨てでいいよ」

「じゃ、リーベちゃん。リーベちゃんって何歳?」

「ひゃ……24、です」

「見えねえ! それじゃあ……」


 更に質問を続けようとしたアルバートを、別の声が押しとどめた。


「そこまでにしろ」


 グレンが鋭い視線でリーベを射抜く。


「先生。すでに授業の開始時間は過ぎています」

「ひっ……『先生』とかは、やめて……?」

「1限目。魔導学の授業を始めてください」


 冷ややかな声に、リーベは情けない表情で引きつっている。

 端から見れば、グレンの態度に怖気付いているように見えた。クラス全体の温度が更に下がる。

 ――ダサい上に、頼りにならなそうな先生だな。

 生徒たちは内心で評価を下していた。


「ええっと……それじゃあ、授業を始めます……」


 リーベが教科書を開いて、どこから始めたらいいのかわからず、生徒に尋ねている。段取りまで最悪だった。

 クラスの大半は、すでにリーベの授業に期待していなかった。

 グレンは問題集を開き、自習を始めているし、レオナルトは頬杖をついて、うとうととしている。クリフォードは退屈そうに外を眺めていた。

 こうして新任教師の初授業は、最悪な空気の中で始まったのだった。




 ――やる気のない様子で教科書をめくるリーベも、他の生徒たちも気付いていなかった。

 男子生徒の1人がリーベの顔を凝視している。

 それが熱心で、好意的な眼差しであったということに。




 ◇


 リーベが教師初日を乗り切った夜のこと。

 彼は職員寮の自室でぐったりとしていた。うじうじと負のオーラを振りまいている。


「もうやめたい。よし、やめよう。明日、辞表を出してきてもいい?」

「まだ初日なのに何言ってるんですか、あなたは」


 リーベの愚痴に、冷たい声が返ってくる。受話器の向こうから聞こえるのはセザールの声だった。

 通信電話は、魔導機関が登場してから発明された。

 寮の1階には電話室がある。電話は3台しかないので、いつもそれを使いたい者で行列ができていた。


 リーベは魔導学の知識を使って、電話を自室に設置した。しっかりと盗聴防止の措置も加えている。

 そのことをセザールに報告すると、「ああ……無駄に才能だけはあるんですよねえ。あなたというダメ人間は」と呆れられたが。

『無駄って何? 必要なことなのに』と、リーベは思った。任務に関わる話を、電話室でするわけにはいかない。


「それほど魔導学に精通しているのですから、学生に教えるのも簡単でしょう?」

「無理です。もうむり……」


 たった1日教壇に立っただけで、リーベは精神が擦りきれそうになっていた。青い顔でベッドに沈んでいる。

 今はメガネを外しているから、リュディヴェーヌの素顔だ。

 セザールは呆れたようにため息を吐く。


「魔導学の第1人者が何を言っているんですか」

「えー? それって何のことですかー?」

「マナの代わりに星光石からエネルギーを得て、古代魔術を使う。それが魔導技術です。それを確立したのは、神秘の魔術師リュディヴェーヌ・ルースと、その他2名であり……」

「わー、すごいよ! セザール! 君の授業、とってもためになるね! よし、明日からは僕の代わりに、君が魔導学の教師になろう」

「はいはい。それでは、明日の授業も頑張ってくださいね。リュディヴェーヌ様」

「話を、聞いて!」


 非情なほどにすっぱりと切り捨ててくる旧友に、リーベは涙目ですがりつくのだった。





「バルテ先生! どういうことですか!?」

「ひっ……せ、先生って呼ばないで……」


 職員室にヒステリックな声が響き渡る。

 教師陣はぴくりと反応を示す。しかし、それがおなじみの声であることに気付いて、聞き流すことに決めたらしい。顔も上げずにそれぞれの職務に専念している。


 新任教師リーベに詰め寄っているのは、クレマンス・ヴェルネだ。5年生の担当の中で、唯一の女性教師である。

 髪をひっつめにまとめ、細長の顔にメガネをかけている。神経質そうな目でリーベを睨み付けた。


「あなたの授業の評価は散々です! 生徒全員が授業を聞いていないと言うじゃないですか! 自習や雑談、席を立って歩き回るのは当たり前、中には教室から勝手に出歩いて、堂々とさぼっている生徒までいるとか!」


 ヴェルネはリーベに食ってかかる。リーベは両手を上げて、おろおろと視線を漂わせていた。


「えっと……そうなんですか?」

「『そうなんですか』!? あなたは生徒の授業態度すら把握していないと?」

「授業は校長に渡されたシラバス通りにやってます」

「ええ、その通りでしょうね。教科書通りに進めていらっしゃる。教科書をそのまま音読するだけの、オウムにでもできそうな授業をね!」

「つっかえない分、僕よりマシかも?」

「自尊心ッ!」


 怒りが沸点に達したのか、ヴェルネは乱暴に机を叩く。

 2人の間に学年主任であるファブリスが割って入った。


「まあまあ、ヴェルネ先生。落ち着いてください。バルテくんは教師として働くのはこれが初めてなんだから。まだ慣れていないだけじゃないですか?」

「慣れじゃなく、これは意欲の問題です! この人は教師としての責任感が著しく欠如してるんです!」

「僕もそう思います」

「はあ!?」


 ヴェルネはきつい視線をリーベに叩きこむ。


「そこまで言うのなら、あなたが次にやるべきこともわかっていますね? 辞表なら事務室に置いてありますから」


 吐き捨てるように告げ、ヴェルネは職員室を後にする。

 ファブリスは苦笑いを浮かべた。


「悪いね、バルテくん。ヴェルネ先生は教育熱心なだけで、悪い人じゃないんだよ」

「……そうですね」


 リーベはぼんやりと頷いた。

 彼女は正論を告げている。


(僕は教師になるべきじゃない)


 それはリーベ自身、よくわかっていた。


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