第2話 先生と呼ばないで

 リーベとセザールは場所を移して、食堂へとやって来ていた。

 かつては王族の食事場として使われていたのだろう、豪華な造りのホールだ。しかし、置いてあるのは一般市民が使うような、質素なテーブルと椅子のみ。床には絨毯すら敷かれていない。


 荘厳な城の外観には不釣合いな簡素さだ。

 結局のところ、住居の美しさを維持できるかどうかというのは、住む人の性格次第なのである。

 その点、普段から寝てばかりいるリーベは、掃除も適当だし、部屋のコーディネートには興味を抱かない。「食事? テーブルと椅子が置いてあればいいでしょう?」という無頓着さだ。


 リーベはふわふわと宙を浮かびながら移動する。

 同時に無詠唱魔術で『浮遊術』を起動。テーブルの上に置かれていた物が浮かび上がって、別室へと放りこまれた。

 ばたんと扉が閉じて、お掃除完了。

 いらない物はこうして浮遊術を使って、別室に放りこんでいる。物置と化した部屋が、現在はどんなゴミ部屋となっているのか、リーベも怖いので確認したことはなかった。


「コーヒー、いる?」


 リーベは浮遊術で瓶を引き寄せながら、尋ねる。

 セザールは苦い表情で頷いた。「かつての英雄がダメ人間としか言えない暮らしをしていることに物申したい」という顔をしつつも、どうにかその文句を呑みこんだようだ。


 リーベは空中で器用にコーヒーを淹れた。コーヒー豆がひとりでに挽かれて、ペーパーフィルターにセットされる。魔術で熱湯を生成すると、その中に注いでいく。

 水道も、コンロも、必要とせずにすべてを1人でこなしている。


「さすがは神秘の魔術師ですね。マナが希薄となった浮島で、古代魔術を扱える人間はあなただけですよ。リュディヴェーヌ様」

「ああ、そう」


 リーベはどうでもいいという調子で返してから、カップを彼の前に置いた。

 セザールは優雅にカップに口を付けると、


「さて、リュディヴェーヌ様。本日はご提案に参りました」

「働きたくない」

「あなたほどのお方が、夕刻まで惰眠を貪るよりは有意義な時間を過ごしていただけるようにね。お仕事の紹介です」

「絶対に働きたくない。セザール、僕の持論を教えてあげる。人は皆、本当は働きたくないんだ……朝から晩まで、寝て過ごしていたいんだよ」

「皆が働かなくなったら国は滅びますが?」

「稀に働くのが大好きな、おかしな人がいるんだよ。君のようにね。その人たちにすべてを任せればいいと思う」

「ははは、24年の間に錆びついたその頭、そろそろ修理に出した方がいいのでは? それに、あなたに拒否権は存在しないのです。この契約書に見覚えはありますか?」


 彼がとり出した紙に、リーベは「ぐぬう……」とうめき声をあげる。


「あなたと政府の間には、このような盟約が結ばれています。お忘れなら、この契約書をシーツにされてみては?」

「うう、知ってるよ、覚えてるよ! 僕が世間的に死んだことになって、この浮島でひっそりと暮らすことを認めてもらう代わりに! 僕は3年に一度、政府の持ってくる仕事を1つだけこなすこと!」

「その通りです」

「うー……3年じゃなくて、10年に一度にすればよかった……」


 リーベは軽率な盟約を結んだ過去の自分を悔いた。

 しかし、『自身の生存を公表しない』という条件は今のリーベにとって魅力的なものなので、仕事を拒否することはできない。


(あー……今回の仕事も簡単なものだといいなあ)


 数年前にこなした仕事は、ハイジャックされた飛空艇ひくうていを奪還するというものだった。テロ集団といえど、相手はただの人間だったので、リーベにとっては赤子の手をひねるくらいに楽な仕事だった。


(そういう仕事がいいなあ~、またハイジャックされないかな、飛空艇……)


 ひどく不謹慎なことを考える。


「それで、今回のお仕事は何?」

「リブレキャリア校」

「ひぃ、学校!」

「に潜入していただきます」

「ひいい、学校に、潜入!? むりむりむり!」


 天敵を見つけた猫のようにリーベは飛び上がる。部屋の隅まで漂って、壁に背をぶつけた。


「不可能な理由を1つずつあげていこうか? まず1つ目。はい、僕の見た目は?」

「とても美しい」

「ありがとう! じゃなくて……僕って10代に見える?」

「いいえ。若く見積もっても20代前半かと」

「その通り! じゃあ、生徒に紛れるのは無理だよね?」

「でしょうね」

「2つ目の理由。リブレキャリア校といえば?」

「我がレルクリア共和国における、魔導教育の最先端をいく名門校です」

「そう、それ。その上、校舎は首都近郊の浮島に存在します。島1つ丸ごと学校の敷地であるという、大胆かつ、閉鎖的な空間です」


 セザールに指を突きつけながら、熱弁を振るう。


「3つ目の理由。僕は教師なんてできない! そんな閉鎖的な施設で、生徒や教師に紛れずに潜入することは不可能である!」

「いいえ。1つだけ方法が残されています」


 セザールは慈愛あふれる笑顔を返した。両手を広げて提案する。


「用務員という、道が」

「お、おおう……。ああ、なるほど」


 リーベは何度か首をひねって、その提案を咀嚼。やがて納得すると、席へと戻ってくる。


「用務員ってさ。生徒に『先生!』って呼ばれたりする?」

「呼ばれても『用務のおじさん』とか、『ちょっとそこのおじさん』とかじゃないでしょうか」

「うう、せめて『お兄さん』がいいよぅ……」


 またいじけてみせつつも、首を縦に振る。


「じゃあ、いいよ。僕は用務員に、なる」

「ええ。なってください。用務員」

「学校に潜入して、僕は何をすればいいの?」

「こちらの資料をご覧ください」


 セザールは鞄から書類をとり出した。リーベが指を曲げると、その書類が浮遊してくる。

 1人の男の経歴について書かれていた。顔写真の添付があり、10代後半の少年が映っている。

 赤髪赤眼の少年だ。記された名前をリーベは読み上げる。


「レオナルト・ローレンス。17歳……若っ!」

「生徒ですから。皆、その年齢ですよ。あなたも10代の精気を吸って、すさみきった心が少しは潤うといいですね」

「精気を吸うだけで若返るのなら、それで商売始めるから。で、この子が何?」

「彼は聖剣『アスタ=ラミナ』に選ばれし者です」

「おお、勇者だ」

「はい、若き勇者です。リブレキャリア校に用務員として潜入し、あなたには彼のことを見張っていただきます」

「将来有望な少年の近辺を警備して、彼が楽しい学校生活を送れるよう、影ながら補佐でもすればいい?」

「いいえ。あなたに命じられた任務は、」


 セザールはそこでためらうように口をつぐんだ。

 しかし、リーベと目を合わせると、苦笑いを浮かべる。何気ない口調で続けた。


「――若き勇者の暗殺です」



 ◇


 夕日が室内を照らしている。夕暮れ時の教室は気だるげな雰囲気に満ちていた。

 室内に残っている生徒は4名。

 そのうちの1人が机の上で伸びをした。


「ねえ、レオ。オレ、もうこの遊び、飽きちゃった」


 そう告げたのは金髪の少年だ。

 彼は緩慢とした動きで頬杖をつく。美しい見目の少年だった。少し長めの金髪や、息を吐く様には色気が満ちている。彼の制服はサイズが大きめで、袖が手の甲まで覆い隠していた。

 それがだらしなさではなく、妖艶さに昇華されているのは、彼が持つ艶っぽい雰囲気のおかげだろう。悪戯好きの猫のような少年だ。


 彼の言葉を受けて、対面にいた少年がにやりと笑う。


「お前は自分が劣勢だと、すぐにそうやって文句を付ける。上がりだ」


 赤髪赤眼の少年だ。

 こちらも恐ろしく見目が整っていて、少年とは思えないほどに濡れた色気を放っている。相手を圧倒し、平伏させるような気迫の持ち主である。

 それは獅子のごとき貫禄だった。


 彼がカードを机の上に放る。

 すると、対面に座っていた2人の少年が崩れ落ちた。


「うえー、またレオの1人勝ち?」


 不満そうに目を細めるのは、猫似の少年。

 もう片方は、


「おいおい。そりゃないぜ。もっかい! もっかいやろうぜ!」


 おどけたように肩をすくめる。こちらは大柄で人懐こそうな顔付きをしている。大型犬のような少年だった。

 2人が降参だとばかりに手持ちのカードをばらまかせると、赤髪の少年は挑戦的に笑った。


 楽しげにカードを囲む、3人の少年。


 少し離れたところではもう1人、黒髪の少年がイスに腰かけている。

 彼らの様子を歯牙にもかけず、読書に勤しんでいた。しかし、はぐれ者という雰囲気ではなく、こちらはこちらで独特の世界を形成している。細長い指が優雅にページをめくる様は、1枚絵のように美しい。

 例えるのならその少年は一匹狼のような、気高い雰囲気を宿していた。


 彼がふと視線を上げる。カードに興じる少年たちに声をかけた。


「レオ。時間だ」

「ああ」


 レオと呼ばれた赤髪の少年が頷く。

 椅子から立ち上がると、教室の一角を見据える。ゆっくりと足を踏みしめて、彼はそちらへと向かった。

 夕暮れ時の教室。そこで談笑しているのは、親密な雰囲気に満ちた生徒4人。

 それはどこにでもありそうな、平和な光景だった。


 ――だが。

 レオが向かう先。

 そこには周囲の雰囲気になじまない、異質な光景が広がっていた。


「……はぁ……、はっ……は、……」


 乱れた呼吸が零れ落ちる。獣じみた呼気は、必死に、健気に、切羽詰まった様子でくり返される。

 ――追いつめられた獲物のように。


「ひぃ、……は……っ、ひっ、ひぃ……」


 呼吸が恐怖にひきつっていく。レオが近付く度に、それは大きくなっていった。壁を叩く音が重なる。暴れて、逃れようともがく音が、みじめに響く。


「もう、やめ……! やめてくれ!」


 部屋の隅で塊が跳ねる。それが勢いよく壁を打った。

 床には男が倒れている。目隠しをされ、手と足を縛られていた。

 体には何もまとっていない――全裸だ。

 男は必死で体を動かして、壁に体を打ち付けている。アザができるほどに壁に体当たりをくり返している。


 レオが男の眼前に立つ。その気配に彼は大きく身を震わせる。


「先生……待たせて悪かったな。そろそろ俺と遊ぼうか?」

「ひっ、もう、やめてくれ……! 何でもする! だから、こんなことはもう……っ」

「震えてる。泣くほど嬉しいのか?」


 レオは爪先で男の体を軽く蹴った。彼は「ひいい」と情けない悲鳴を上げている。目隠しをされているので、自分がどのような状態にいるのかわからないのだろう。

 その上、裸に剥かれているのだ。視界は閉ざされ、身にまとう物は何もないという状況――それは彼の精神力を著しく削いでいた。


「それとも、俺が相手じゃ不満か?」


 レオはしゃがみこんで、男の顔を覗きこむ。

 目隠しを巻かれていても童顔であることがわかる。張りのある肌といい、びくびくとした小動物のような雰囲気といい、若手の教師なのだろう。

 汗と、涙と、鼻水で――彼の全身はぐちゃぐちゃになっていた。


 レオはそれを気分が良さそうに見下ろしている。そして、どこからかナイフをとり出した。

 ナイフの背で、男の脚をひたひたと叩く。冷たい感触でそれが刃物であることを悟ったらしく、男はぎょっとして、体をのけ反らせる。だが、レオはそれを許さず、無機質な感触を男に押し付けた。


「嫌だ、やめてくれ! なあ、君たち! 助けてくれ!」


 彼はレオの後ろに助けを求める。視界は閉ざされていても、聴覚から他の少年がいることに気付いていたようだ。

 黒髪の少年は読書を続け、無視をしている。

 その他の2人は男を見ると、呆れたような声を出した。


「は? うざ……泣いてるじゃん。これくらいのことで音を上げるとか、雑魚すぎ」

「ダメだって、先生。諦めなよ」


 見下したような声音だった。教師の男はぶるぶると身体を震わせる。

 そして、今度はレオに向かって懇願を始めた。


「頼む! もうやめてくれ……っ」

「……先生?」


 レオは唇の端をつり上げた。

 捕食者の顔で笑いながら、言葉を継ぐ。男の肌をゆっくりとなぞるようにナイフを移動させていく。


「その顔、最高だ。すごくそそる」

「な……!? 何を言って……」


 男の顔が蒼白を通り越して、土色に変わる。レオの声に含まれた、愉悦の感情に気付いたのだろう。


 彼はごくりと息を呑む。

 この生徒は――この状況を愉しんでいる! そして、自分が泣いて、怯えて、懇願する様を心から求めているのだ。

 それを理解して、彼は猛獣に睨まれた獲物のように、全身を引きつらせた。


「けど、まだ足りない。もっと泣いてくれよ。先生の泣き顔、最高だからさ……。なあ、先生は痛いのは好きか? このナイフを刺したら先生がどんな顔をしてくれるのか。試してみようか?」

「や……やめてくれ、やめるんだ! レオナルト・ローレンス―――ッ!」


 懇願するように告げる声。しかし、レオは相手に猶予を与えることもしなかった。

 彼はためらいなくナイフを振り下ろした。さく――それは、意外にもあっさりとした音だった。

 教室内に絶叫が響き渡る。

 レオが立ち上がると、ナイフからは血が滴っていた。


「みじめな姿をたっぷりと拝ませてくれて、ありがとう。――アーチボルド先生?」


 教室の片隅で行われていることに、他の3人は興味を示さない。

 黒髪の少年は、黙々と読書を続けている。

 机の2人は、呑気な様子でカードをシャッフルし直していた。


「で? 次はどうする? ポーカー?」

「早く席につけよ、レオ。勝ち抜けなんて許さんぞ」


 レオは彼らの言葉に頷く。何食わぬ様子で、友人たちの下へ向かった。

 少年の背後では、男が泡を吹いて倒れ、痙攣をくり返しているのだった。



 ◇



「レオナルト・ローレンス……どんな子なんだろう」


 城の中でリーベは、彼の写真を宙へと浮かべる。

 その姿を眺めて、呟くのだった。


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