【下】 話さないでほしかったのは、彼の本音。

 セーレンに決断を迫られたプラハトは、レープハフトと別れることを選択した。プラハトにとって究極の選択にも等しいそれは、大きな喪失感を伴ったが、大きな前進でもあった。


「プラハト。この部屋、整理するよ」

「どうぞ、セーレンのお好きなように」


 丁寧な物腰でぐいぐいとプラハトを引っ張っていくセーレンに、複雑な気持ちを抱いていた。セーレンはレープハフトの名残を消し去ろうとしているのではないかと、ひっそりと怯えていた。

 そんな彼女の気持ちとは関係なく、セーレンはどんどんレープハフトの部屋を片付けていく。


「セーレン」

「何?」


 プラハトの声に、セーレンが顔を上げる。レープハフトそっくりの、しかしプラハトが出会った時よりも歳若いかんばせが向けられる。


「私、ちょっと離席しますね。セーレンは気の済むまでお片付けしていてください」


 レープハフトだけど、レープハフトじゃない。プラハトは過去の思い出を引きずりながら微笑む。

 セーレンはプラハトの行動を特に気にした様子もなく、穏やかな表情で一時の別れを告げた。


「わかった。また後でね、プラハト」

「はい、セーレン」


 プラハトが頷くのを待ってから、彼は作業に戻る。その様子を見たプラハトはそっとレープハフトの部屋から去るのだった。

 そうして自分の部屋に戻ったプラハトは、レープハフトの立体映像を見つめてため息を吐いた。

 プラハトへの丁寧な振る舞いはセーレンの優しさだ。そのセーレンの小さな優しさ一つひとつが、プラハトに彼がレープハフトとは別人なのだという事実を突きつける。


 世代を跨ぎすぎて、見た目はほとんど同じでも、DNA的にも明らかに別人であると、分かっている。DNAが一致したとしても、同じレープハフトになるわけがないということも理解している。

 しかし、つい……望んでしまうのだ。

 レープハフトの帰還を。


 こぼれ落ちた命は決して戻ることがないのだと、今までさんざん経験してきたというのに、プラハトは愚かにも願ってしまうのだ。

 部屋をそっくり残していたら、目を覚ましてくれるかもしれない。似た姿の人間が産まれたら、全てがレープハフトそっくりかもしれない。

 プラハトの大きな喪失を、埋めてくれるかもしれない。


 死んだレープハフトが戻らないのは理解しているが、戻ってきてほしい。セーレンに対して期待しすぎたくない。でも、期待したい。

 プラハトは、そんな論理的に破綻した思考をしてしまう自分からも逃げたかった。




 プラハトから向けられる視線がなくなり、セーレンはそっと息を吐き出した。彼女の視線はうるさくなかったが、一挙一動を見られているという事実がセーレンを緊張させる。

 それに、レープハフトの考えを知る為の遺品整理である。少しだけ後ろめたかった。遺品整理という名のもとで行っているが、セーレンがしていることはほとんど物色だ。


「……ごめん。でもきっと、あなたの言葉をプラハトに伝えないと、彼女はずっと闇の中にいることになる」


 レープハフトはプラハトと何十年も過ごしていたのに、どうしてこんなプラハトが傷つくであろう別れ方をしてしまったのか。記録から察するに、レープハフトだってプラハトのことを大切に思っていたはずだ。

 レープハフトの考えを知る資料が残っていないか、セーレンはひたすら彼の荷物を探るのだった。


 恐ろしいくらい何も出てこない。雑な物言いが目立つ印象だったが、レープハフトは意外と几帳面な人物だったのだろう。

 セーレンは、ガラクタのようなものすら見当たらないこの部屋にがくりと肩を落とした。宇宙船のカスタマイズなどにこどわりを持っている話などの映像記録を見た限り、この部屋はレープハフトの生活イメージと一致しない。

 しかし、である。この部屋は確実にレープハフトのものだ。プラハトがこれだけ厳重に保管していた部屋である。別の人間の部屋であるわけがない。


 では、プラハトが整理してしまったのか。答えはNOである。プラハトが「空気も、何もかも……自然に帰ってしまうんですね……」と悲しそうに呟いたのを聞いてしまった。

 空気も、とはどういうことかとセーレンが聞けば、当然かのように彼女は「換気システムを止めて完全密室にしていたんです」と答えた。異様なこだわり具合に、セーレンはプラハトのレープハフトへの執着具合を再認識する結果となり、何とも言えない気持ちになったものだ。

 だからこそ、プラハトが彼の遺品を勝手に何かするとは思えなかった。


「レープハフト、いったい君は何を考えていたの?」


 セーレンはフォトフレームを手に取り、笑顔で写るレープハフトに向けて呟いた。


「音声、認識できません。遺伝子情報で確認しますか?」

「えっ?」


 フォトフレームから針のようなものが飛び出してきた。

 ――遺伝子情報。もしかして……。セーレンはその突起で指を刺す。


「いったぁ……」


 勢いよくやりすぎた。セーレンは思ったよりも深く刺さってしまった針から指を抜き、慌てて口に入れる。じわりとにじみ、口内に鉄の味が広がった。

 少し埃っぽさを感じる指先を舌でなぞっていると、セーレンの血がついた針はすうっとフォトフレームの中に戻っていった。


「確認が完了しました。レープハフトの複製品と認めます」


 ピピッと軽やかな電子音が鳴り、ベッド脇の壁が動いた。すうっと白い壁に筋が入ってスライドした先には、暗闇が広がっている。

 セーレンは秘密の入口の出現に、ごくりと唾を飲み込んだ。


「ここに、レープハフトがプラハトに隠したくて、でも僕のような存在に知ってほしかった何かがある」


 レープハフトは、こうなることを予想していたのだろうか。そうでなければ、宇宙船の主であるプラハトですら開けられない空間を作るわけがない。

 いや、もしかしたらプラハトが扉の存在に気づいたとしても、開けようとしないことを見越して作ったのかもしれない。

 この部屋が閉ざされていた理由はともかく、レープハフトがセーレンのような存在の為に残したものを受け取ろう。

 セーレンは、ゆっくりと暗闇の中に足を踏み入れた。


 勝手にライトが点いた。部屋の中はガラクタでいっぱいだ。その中のいくつかはセーレンが映像記録で見たことのあるアイテムだった。

 自分がその場にいたわけではないのに、懐かしく感じるそれらを見回し、小さく息を吐く。


「お前、名前は?」

「えっ!?」


 突然、立体映像が現れた。驚いて映像を凝視すると、セーレンの動きをどこかでチェックしているのか、立体映像が笑い出す。


「そうだな……まずは俺が自己紹介するべきだったな。俺はレープハフトだ。お前は?」


 ずいぶんと作り込まれたそれに、セーレンは何とか返事をする。


「僕はセーレン。あなたの遺伝子を継いで、ようやく奇跡が起きたらしいよ」

「奇跡、なぁ……ってことは、プラハトの奴はクローンを作らずに頑張ったってことか」


 やはりレープハフトは、自分が死んだ後のことをある程度予測していたようだ。フォトフレームとそっくりな姿をしている擬似レープハフトは「巻き込んじまって悪いな」と悪びれもせず謝罪した。


「プラハトは、どうだ?」


 まず先に彼女の心配か。セーレンは彼が彼女のことを大切に思っているのが分かって少しほっとする。


「大丈夫だとは思うが、あいつ、暴走して人間を食い散らかしたりしてねぇか?」

「してないよっ!?」

「そうだろうな。人間は愛すべき対象だ。無闇やたらに害して良い存在じゃない」


 時々映像に乱れが起きるものの、レープハフトの立体映像は生き生きとした動きを見せている。

 なんだか本人が生きている気がしてしまう。セーレンはまだ少ししか話をしていないのに、どっと疲れてしまった。


「セーレン、プラハトは泣いているか?」

「え……?」

「俺は、プラハトの作った涙しか見たことがない」

「…………」


 プラハトの涙は何度か見た。そのどれが本物で、偽物だったのか、セーレンには分からない。

 人間が生み出した種族、アンヘンガー同調する者。彼らはプログラムされた通りに思考し、自主学習を経て成長していく。いずれは人間と変わりないくらいの情緒――それも、人間とは違って暴走しない秩序的な性質の――を手に入れるはずだった。

 プラハトはレープハフトを失った影響で、暴走とはいかないまでも正常な状態ではなくなってしまった。セーレンに見せた涙の全てが偽物だったら……セーレンは、そうだとしてもかまうものか、と思い直す。


「悪い。不安にさせちまったか。俺は、プラハトに本当の涙を教えてやりたかったんだ」


 意外な言葉に驚いた。


「……本当の、涙?」

「そうだ」


 レープハフトは、目の前にプラハトがいるかのように優しく微笑んだ。


「俺は、プラハトを愛している。でもな、あいつのあれは……まだ完成されてなかった」


 そうして語られたのは、プラハトへの愛だった。レープハフトが愛を囁けば、きっとプラハトは応えただろう。

 しかし、彼女は本当の意味で“人間の恋愛感情”を理解していない。そんな状態で、レープハフトとプラハトが正常な関係を築いていけるわけがなかった。


「だから、俺は諦めたんだ。妥協した、とも言うな」


 代わりに死ぬまでプラハトの面倒をみることにしたのだという彼は、途中で気がついてしまったのだ。

 このままでは、永遠にプラハトがその感情を得ることができない、と。そして、レープハフトは画策した。


「セーレンが産まれたってことは、本当の意味で俺を愛してくれたんだな。あいつを残して死んだ甲斐があった」

「レープハフト……」


 なんと懐が広く、そして残酷な男なのだろうか。セーレンは目を見開いた。己の命を使い、プラハトの感情を芽生えさせようとしたというのか。その先に、自分は存在しないのに。

 セーレンにはできそうにない。これを決断する胆力が、ない。


「俺の気持ち、ずっと知りたかったんだろう? プラハト」


 レープハフトがセーレンの奥に視線を向ける。ハッとして振り返れば、呆然としている乙女の姿があった。


「愛しているからこそ、俺は去る。お前を解放させようとしたんだ」

「いやです。レープハフト。私は、そんな言葉が聞きたかったんじゃないんです」


 頭を振って耳を塞ごうとする彼女の足元に、雫が落ちる。顔を上げたその目は煌めき、水気に満ち、どんどんとあふれていく。

 そんなプラハトのことを優しげに見つめる壮年の男は、ゆっくりと口を開いた。


「プラハト。今度こそさようならだ。愛を知らないお前を、俺は愛していたんだ」

「話さないでほしかったです……私、そんな言葉、聞きたくありませんでした……」

「だろうよ。でもな。俺はお前と添い遂げてやれねぇんだ。悪いな」


 立体映像が再び悪びれもせずに謝罪する。だが、今ならば分かる気がする。そう軽い口調で言うことで、少しでも今後の重しにならないようにしているのだろう。この立体映像と対話機能を設計したレープハフトの、繊細な気遣いが憎い。

 こうしてプラハトと対話する立体映像は、作られたものであって本人ではない。だからこそ、セーレンはなおさら憎たらしく感じてしまう。


「プラハト、もう大丈夫だな?」

「全然大丈夫じゃないですぅ……っ」


 プラハトはとうとう、わんわんと泣き出した。レープハフトの立体映像はそれを見て嬉しそうに笑う。もう、ここには存在しないくせに。セーレンは叫びたかった。

 すぐ隣には、初めての愛の消失に泣く乙女。そんな彼女に触れることができないレープハフトの代わりに、セーレンがプラハトの涙を拭う。とめどなく流れ出る涙に、セーレンは眉を下げた。

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はなさないでほしかったのは。 魚野れん @elfhame_Wallen

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