はなさないで

柏木 維音

第1話

 私は神奈川県神奈川区の八角橋を拠点にしている探偵である。所長である私と助手が1人、計2名で時には慎ましく、時にはいつかは小説に出てくるような事件を扱いたいと夢を見つつ活動中だ。

 そんな私たちのホームグラウンドである八角橋商店街は、道の両脇に趣のあるお店たちがずらりと並んでいるという、まさに『古き良き商店街』という雰囲気を醸し出している。今回の話はこの商店街のうちの一軒、私が行きつけだったお茶屋さんに関係する出来事だ。



 ──ある日。

 外での用事を終え事務所に戻ると、中では助手のミーコが珍しく難しい顔をしてソファに座っていた。いつもあっけらかんとしているこの子でもそんな顔をするのだなと思いつつ、私はミーコに声をかける。


「何かあったのかい? それとも眠たいのか?」

「あっ先生! ちょっとこれ見てくださいよぉ」


 ソファーの前のローテーブルに、年代物の手回し式コーヒーミルが置かれている。それは、先日閉店した行きつけだったお茶屋さんの奥さんに貰った物だった。

 



 そのお茶屋さんは八角橋商店街の中程にある。お茶関係の品物だけでなくコーヒー豆も豊富に取り扱っており、中でもオリジナルブレンドは好みの味だったので私はすぐに常連客になった。そんなお店の主人であるオヤジさんはとても気前のいい人で、稼ぎの少ない私を心配して会計をおまけしてくれたり、貰い物のお菓子を分けてくれたりしたのだ。


 ある日、その店のシャッターが上がらなくなった。偶然通りかかった奥さんに話を聞いたところ、オヤジさんは不整脈で倒れ入院中とのことだった。その時は「今はすっかり落ち着いているから心配しないで」という話を聞けたので、「じゃあ、そのうちお見舞いに行きますね」なんて呑気に言っていたのを覚えている。

 オヤジさんはその日の夜、急性心不全により他界してしまった。今から1年前の出来事だ。


 1周忌を終え数日が経過した先日。店をしまい遠くに住む息子家族と一緒に暮らすことになったからと奥さんから家の片づけの手伝いをお願いされた。もちろん私は快諾し、ミーコと共に片づけの手伝いに行った。

 片づけには私たち以外にも近所のお店の人たちが来ており、みんなでオヤジさんの思い出話をしながら作業をした。そんな時ふと、私はオヤジさんが愛用していたコーヒーミルを見つける。それを手に取って眺めていると、『私はコーヒーを飲めないから使わないの。よかったら持っていって』と、奥さんが言ってくれたのだった。




「それがどうかした? 使い方がわからないのかい?」

「違います、これで豆を挽こうと思ったら中にこれが」

「ん……紙? これが中に?」

「はい。粉受けの引き出しの中に」


 その紙はメモ用紙と思われる物をちぎってさらに小さくした物で、そこには『はなさないで』と書かれていた。


「はなさないで……? この見覚えのある癖字はオヤジさんの文字だが」

「何なんでしょうね? あ、奥さんに宛てたラブレターでしょうか?」

「そんな大事なもの何でコーヒーミルの中に入れるんだよ」

「ですねぇ……でも、入っていたものがレシートとかなら何も気になりませんけど、そんな意味深な事が書かれたメモはすごく気になります」

「全くだ。全くもって、ミステリ全開だな」

「どうです先生、旦那さんと仲が良かったんですよね? 何かピンとくるものは?」

「うーんこれだけだとすぐには……」

「あ、もしかして!」

「何かひらめいた?」

「はい、この『はなさないで』っていうのは、『手放さないで』って意味なんじゃないでしょうか?」

「ほう。つまり、このミルを手放さないでってことか?」

「そうですそうです! このミルって旦那さんが大事にしていた物なんですよね?」

「ああ、とても気に入っていたね。以前私が見せてもらっていた時にうっかり落としそうになったことがあったんだけど、すごい剣幕で怒られたよ。温厚なオヤジさんに怒鳴られたのは後にも先にもあの時だけだ。奥さんは1度落としたことがあるらしく、それはもうすごい勢いで怒られたって言ってたっけ」

「ですから、もし自分の身に何かが起こった時はこれを捨てずに、誰にも譲らずにいてほしいと考え、こうやってメッセージを残しておいたんですよ!」

「何でわざわざ見つかりにくい場所に仕込むんだよ。奥さんはコーヒーを飲まないからなおさらだぞ。それこそ直接伝えておくか、わかりやすい形で手紙を残しておけばいい」

「それはですね、捨てないでって伝えた後、長い年月が経ってしまったら忘れられちゃう可能性がありますよね。だから、中に仕込んでおけば誰かの手に渡ってしまったとしてもこうやって使う前にメッセージが見つかるじゃないですか。もしかするとミルの中以外にも、家の中のいろんな場所にメッセージを仕込んでいたのかも」

「なかなか面白い説じゃあないか。そういやオヤジさん、サプライズとか好きだったっけ……」

「ですよね? 今度奥さんに聞いてみましょうよ! これと同じようなメモが家のどこかで見かけませんでしたかって」

「といっても先日の片づけの時にそれらしい話は出なかったしなぁ。まあ、奥さんが引っ越しをする前に1度話を聞きに行ってみる必要はありそうだな……どれ、コーヒーを飲もうじゃないか」


 そう言って私はコーヒーミルを持って台所へ移動し、冷蔵庫の中からファスナー付きの保存袋を取り出す。その中にはオヤジさんのオリジナルブレンドの豆が入っていた。袋に入っている豆の量はもう半分を切っている。オヤジさんが居なくなってしまった今、このブレンドを味わえるのも後わずかだった。

 2人分の豆をミルの中に入れガリガリと音を立てながらハンドルを回すと、懐かしい香りが漂ってくる。この香りを嗅ぐと、いつもオヤジさんとの思い出が蘇ってくるのだ。


「────よく言っていたよ。『俺ぁ料理は全く出来ないけれど、コーヒーを淹れるのは誰にも負けない自信があるんだ』ってね」

「へぇ~いいなぁ。私も1度飲んでみたかったです」

「オヤジさんが亡くなったのはミーコがここに来る前だからね…………ん、あれ?」


 ふと、私はとある会話を思い出した。


「そういえば、そんな料理を全くしないオヤジさんと、料理の話を1度だけした事があるな」

「何の料理の話ですか?」

「米だよ。白米の炊き方について。確か……せっかく新しい炊飯器を買ってきたのに、あんまりうまく炊き上がらないとかなんとか……」

「それで、先生はなんて答えてたんですか?」

「その場でスマホを使っておいしいご飯の炊き方を調べてあげたんだよ。ミネラルウォーターを使ってみてはどうか? とか、目分量ではなくきっちり水を計って入れてみてはどうかとか、浸水がどうたらこうたら…………まてよ、浸水……? あ!!」


 私はコーヒーミルを投げ置き(オヤジさんが見ていたら絶対に怒るであろう)、ソファーにあった鞄から勢いよくスマホを取り出しての意味を調べる。それを見た瞬間、全ての謎が解けた。



「どうしたんですか突然……」

「やったぞミーコ君、全部わかった」

「ホントですか!?」

「ああ、これは奥さんに教えてあげないとな……予定はいつ空いている?」

「明日空いてます」

「それは丁度よかった!」

「明後日も明々後日も空いてますよぉ。だって、今週は依頼ゼロですからね」

「…………ああ、そう」





 ※※※





『どうしたんですかオヤジさん、そんな難しい顔をして』

『……ん? ああ、探偵さんか。ちょっとな』

『私でよければ相談に乗りますよ』

『いや、そんな大したことじゃないんだけどよ…………今まで使ってた炊飯器が大分古いモンだったから、最近買い替えたんだよ。新しくて、それなりにいい値段のモンにさ』

『へぇ、奥さん喜んだのでは?』

『いや、逆なんだ』

『逆、というと?』

『ウチの奴、その炊飯器で炊きあがるご飯がどうも気になるらしくてな。いや、全然美味いよ? 美味いんだけどさ、確かに言われてみると以前使ってた十数年前の炊飯器と比べても、殆ど差が無いっていうか、感動が無いっていうか……』

『へぇ、どうしてでしょうね』

『で、俺ぁ別に気にならないって言ってんだけどよ、それ以来ウチの奴、ずっとああでもないこうでもないって試してやがんだよ』

『つまり、そんな余計な気苦労をかけさせてしまって申し訳ないって訳なんですね』

『そうなんだよ。探偵さんよ、何かいい知恵ないもんかね?』

『そうですね、調べてみましょう…………えっと、よく言われるのが水の質だったり、量ですね』

『そういうのはあらかた試してたはずなんだよ』

『そうですか。あとは……あ、これじゃないですか? 水の浸水について』

『浸水? そういうのもキッチリ時間を計ってやってたはずだけど』

『いえ、逆です。機種や炊き方にもよるんですが、最近のジャーは浸水をしなくていいみたいですよ』

『え、そうなの!? ってことは、米洗ったらすぐにスイッチ入れるのか?』

『はい。スイッチを入れた後、しばらく浸水の為に時間をおいてから加熱が始まるらしいんですよ。つまり、スイッチを入れる前に浸水をさせておくのは、浸水をさせ過ぎることになるんですね』

『はあ、つまり……前使ってた古い奴は浸水時間を考慮していない機種だから丁度良かったけど、新しく買った機種だと浸水時間を考慮したつくりになっているから、浸水させ過ぎで炊きあがりがイマイチだったのか。いや良いこと聞いたよ! こっそり試して、ウチの奴を驚かせてみるわ。忘れないようにメモしておこう。えっと、炊く前に、米を水に、っと……』




※※※




「──以上のような会話を、私はオヤジさんとしました。その時聞いた言葉が気になったのですが、わざわざ話の腰を折る必要もないなと思い帰ったら調べるつもりでした。それを昨日まですっかり忘れていましたが……。野菜等の食材を調理前に水に浸け置きすることを『水にさらす』とよく言いますが、『水にはなす』とも言うそうですね」

「はい。私は『放す』の方を使っていたので、夫にとってそちらの方が馴染みだったみたいです……今の探偵さんのお話を聞いて、思い出したことがあります」

「というと?」

「ある日の夜中、ふと目が覚めた時台所に電気が点いていて……消し忘れたのかと思って行ってみると夫が1人立っていたんです。飲み物を取りに来た様子でもなく、コーヒーを淹れていたわけでもないようで、私は不思議に思いました。何をしていたのか聞いてみても『何でもない』としか答えてくれず……そんな妙な出来事があったんです」

「もしかして、オヤジさんは炊飯器の近くに立っていたのでは?」

「そうです。あの人、私が寝ている間に炊飯器の使い方を調べようとしていたんですね。それでこっそりと探偵さんに教わった方法でご飯を炊いて私を驚かそうと……結局、それは実現しませんでしたが」

「もしかして翌朝……」

「倒れて、入院して、数日後に逝ってしまいました」

「…………」


 部屋は沈黙に包まれる。しばらくして、それを破ったのはミーコだった。


「あの、先生スミマセン。気になる事が1つ……」

「なんだい?」

「どうして旦那さんはコーヒーミルの中にそのメモを入れたのですか?」

「ああ、それはおそらく、炊飯器を調べようとした時に奥さんの足音が聞こえてきたからとっさに隠したんだろう」

「それなら普通ポケットに隠しません?」

「ポケットが付いていないデザインのパジャマだってあるじゃないか。それに、コーヒーミルはオヤジさんにとって安全な隠し場所だからね」

「どうしてですか?」

「それはですね。私が1度ミルを落として夫にひどく怒られた経験があるからですよ。あれ以来、触ろうとしませんでしたから」

「ああ、そっかぁ。じゃあメモの一部が残っていたのは回収しようとした時中で引っかかって破れた物で、そのことに旦那さんが気が付かなかったとか……?」

「多分そうだろうね」

「あの人が私を驚かそうなんて考えたせいでお二人にはご迷惑を……普段堅い性格をしているくせに、たまにそういうおふざけをするんです」

「いや、迷惑だなんてそんな……なあミーコ君!」

「はい、全然。お引越しする前に気がつけてよかったです」



 部屋は少し前とは対照的な、明るい雰囲気に包まれた。そんな時、遠くからピーッという電子音が聞こえてくる。


「ご飯が炊けたみたいです。お昼、食べていってください」

「はい、是非」


 その後、オヤジさんの仏壇の前にちゃぶ台を用意し、4人で奥さんの料理を味わった。炊き立てのご飯はとても美味しく、奥さんも「これなら夫も満足してくれると思います」と嬉しそうにしている。


 ふとオヤジさんの遺影に目をやると、「ありがとう」と言ってくれたような気がした。 

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