KAC20244 ささくれのできる愛

狐月 耀藍

第1話

「っ……!」

「どうした?」


 夕食後、キッチンで洗い物を終えたはずのリノが小さな悲鳴をあげたのを見て、ムラタはリノに声をかける。


「大丈夫、ボク、痛くないもん」

「ということは、痛いんだな?」


 ムラタが苦笑しながら寄り添うと、リノが指を押さえている。手をどかせると、指の爪の根元に一筋、小さな赤い筋ができていた。指先のささくれを、手で引っ張って引きちぎってしまったらしい。


「ぼ、ボク、痛くないもん!」

「分かった分かった」


 苦笑しながら、ムラタがオライブの実の油を取りに行こうとすると、それに気づいたリトリィが「はい、あなた。オライブの油です」と、一足早くムラタに油壺を差し出した。


「ああ、ありがとうリトリィ」

「いえ、どういたしまして」


 子供ができたことで、外に出る時は再び白いレースの尾飾りに包まれるようになったリトリィのしっぽ。だが、家の中ではふかふかの毛並みを誇るように大きく揺れている。


 ムラタは、手のカサつきに対して、日本での記憶──ハンドクリームがわりに、妻たちの手にオライブの実の油を擦り込ませるようにしていた。愛する妻たちが献身的に働いてくれる、そのせめてものお返しだ。


 リノも俺との結婚が決まってから、家事、特に水仕事を手伝うようになって、しばらくになる。リトリィたちは手の保湿のために目をかけていたが、リノについては失念していたことを、ムラタは悔いた。


「ごめんな、気づいてやれずに」

「そ、そんなことないもん! ボク、だんなさまのためなら、こんなの……!」

「そう言ってくれるリノだからこそだよ」


 頭を撫でてやりながら「指がささくれるくらい、水仕事を頑張ってくれているんだな。ありがとう」と礼を言うと、リノはうれしそうにムラタを見上げた。


「えへへ、だってだんなさまのこと、大好きだもん!」

「それはうれしいね」


 油を擦り込み終わると、彼女の紅潮した頬にキスをする。うれしそうに「ほっぺにちゅーされちゃったーっ!」と飛び跳ねるリノ。


 ……瞬間、視線を感じて振り返ると、そこにリトリィがいた。

 微笑みを浮かべて。


「リトリィ、油壺、ありがとうな」


 彼女に渡しながら、その金の毛でふかふかの頬にキスをする。


「ありがとうございます、あなた」


 やきもち焼きだが誰よりも自分を愛してくれる彼女が、柔和な微笑みを浮かべ直してくれたことに、心底ホッとするムラタ。


 すると、マイセルとフェルミがダイニングルームからキッチンにやってきた。

 こちらの様子を見ていたらしい。


「リノちゃん、良かったわね。……ね、ムラタさん?」

「なになに? ご主人、リノちゃんにはチューをして、こっちには無しっスか?」


 マイセルが小首を傾げるように、フェルミがニヤニヤしながらそう言うのを見て、ムラタは「わかってるって」と苦笑しながら、二人にもキスをする。


「ご主人、今夜は『ヴァン・サレンティフスを讃える日』から、ちょうどひと月っスねえ?」


 言われて、ムラタは思い出した。そう、今日は、日本で言えばホワイトデーのようなもの。


「ふふ、あなた。今夜の贈り物、期待してよろしいですか?」

「本当ですね、姉様?」

「そろそろ二人目が欲しいっスね、ご主人?」


 三人に詰め寄られ、ムラタは「あーもう、わかったわかった! 三人まとめて面倒見てやるよ!」と叫ぶ。

 今夜も干からびることを覚悟して、ムラタは幸せな試練にため息をついた。


「じゃあ、ボクも! ボクも赤ちゃん、欲しい!」

「リノはまだ早いっ!」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

KAC20244 ささくれのできる愛 狐月 耀藍 @kitunetuki_youran

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ