水色のきみ。

西奈 りゆ

内見

「どうですか、日当たりもいいですし、収納スペースも充実しておりますし」


「はあ・・・・・・」


気のない返事ばかりの私にうんざりし始めたのか、不動産社員さんは口をつぐんだ。


玄関を入って、靴置きの裏に浴室。そこに区切られて、トイレ。

続けてキッチン。二口コンロ。

地続きの洋室は6帖で、中くらいの押し入れと、その半分程度のクローゼット。

バルコニーからは、直射日光が輝いている。

クーラーを付けるにしても夏は暑いだろうなと、ぼんやり思った。

1K。築年数25年。家賃、3万5千円。


「ここにします」


前に住んでいたマンションを思い浮かべながら言うと、

予想していなかった答えだったのか、社員さんは一瞬、びっくりした顔をした。


正直、理由なんてほとんどなかった。

あってないような内見を適当にして、手取りと合わせて適当に決めた部屋だ。

家具の配置もほとんど目視だったけれど、まあなんとかなるだろう。

私一人の空間なのだから。


中学の同級生って、幼馴染みに入るんだろうか。

つい先月まで一緒にいた恭也きょうやの姿が、ぼんやりと浮かんだ。

2か月前。「他に好きな人ができた」と申し訳なさそうに、けれど私が「そう」ということを分かっていたあの目だけ。あの人のことではっきり思い出せるのは、そんな部分的な、ひどく歪な記憶だった。


「ここ、何のスペースなんですか」


契約手続きの説明を聞き終えて、私はふと気づいたスペースを指さした。

6帖の洋室の片隅。くぽんと湧き出たように、小さな台座がしつらえてあった。

そういえば、間取り図にそんな箇所があったような気がする。

なにせ、適当にだったから、今の今まで忘れていた。


「さあ、何でしょうね。気になりますか?」


若い社員さんは、「今になってごちゃごちゃ言うんじゃないだろうな」とでもいいたそうな顔を隠しきれていない。別にいいのに。訊いただけなのに。


「別にいいです。ちょっと疑問に思っただけなので」


そう言うと、彼は目に見えてほっとした顔をした。

「もういいよ」と言ったときの、2カ月前の彼の顔を思い出した。



同棲はしておいたほうがいいとどこかで聞いたことがあるけど、その通りだった。

私にとってはそこそこ長い付き合いだけど、生活スタイルが違う二人の関係は些細なことでぶつかりあって、でも私はそんなことも含めて“同棲生活”で、それすらも楽しくて、妥協でもお互いの意見で生活ができあがっていくのが、楽しかった。


けれどそれは、私だけのことだった。

それだけの、話だ。

半分になった部屋を見て、私は一回だけ、泣いた。


一人になったからといって、生活を止めるわけにはいかない。

お腹は空くし、掃除もしないといけないし、仕事も疎かにするなんてことできない。

だから。わたしは手持ちの荷物を置く広ささえあれば、正直なところ、早く片付けばいいとしか、思っていなかった。もしさっきの台座が「盛り塩置き場です」と言われても、「そうなんですね」としか言わなかっただろう。


契約は、わたしの望み通り簡単に終わって、鍵が渡された。

ぼんやりしていても、ライフライン関係の手続きは当然済ませてる。あの頃はまだ何も知らない私と恭也で、あたふたしながらなんとか終わった。と思ったら、ガスの契約を忘れていて、ひどい目にあったっけ。

あ、役所関係もか・・・・・・その他まだまだ。

荷物の搬入は明日。半分になった荷物が、たぶん小さいトラックでやってくる。

大容量のトートバックに詰めてきたのは、だからほとんど最低限のものだけ。


その最低限に、こんなのを入れてしまうのはどうなんだろうと、自分でも思う。

水色の、招きもしていない、お腹だけが膨らんだ猫の貯金箱。


たまたまひやかした、リサイクルショップの片隅。食べ過ぎてお腹を押さえているみたいな様子が可愛くて、「趣味悪りい」と言われながらも、数百円だったので買ってしまった。招き猫では最初からないのだから、別にこの子を責める必要はない。


わたしはこれに、「嫌なこと貯金」をしていた。


ちょっと嫌なこと、100円。

我慢の限界、500円。


恭也と始めた遊びで、お互いの機嫌が直ったら、何かちょっとお祝いしたかったら、入っている中身を出して、ちょっとした贅沢をした。お寿司とか、ピザとか。


いつからだろう。この貯金箱が空になったのは。

硬貨を入れることすら誰もしなくなったのは、いつからだったんだろう。


雲の隙間から出た太陽が突然窓から差し込んで、眩しさで目がくらんだ。

ちょっと痛くて、涙が出た。

差し込んだ光は、あの台座を照らしていた。


ここに置こうと思った。水色の猫を。


わたしはまた、「嫌なこと貯金」を始める。

今度は、わたしだけのための。


嫌なことなんていっぱいあるから、元は少しのお金だって、それなりに貯まっていくだろう。そしてそのとき、わたしは猫のふたを開けるのだ。


「ベランダに花なんて、少女趣味かよ」


あいつはそう笑ったけれど、もう知ったことじゃない。

わたしのやりたいように、わたしはここに花を咲かせる。


そう思うと少しだけ気持ちが晴れてきて、わたしはそっと水色の猫を台座に置いた。

どうか満腹にならないでねと、願いながら。












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水色のきみ。 西奈 りゆ @mizukase_riyu

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