嘘つきメイドと主人様

栗尾りお

第1話



 「……リア?」



 掠れた声が愛しい名を呼ぶ。


 カーテンフックの音で目が覚めたのだろうか。ベッドから降りたご主人様はふらつきながらこちらに向かってくる。


 窓を掃除していた雑巾を窓枠に置き、躊躇いながらも高価なドレスで手を拭く。ささくれやヒビ割れがある指は動かすたびに痛みを生んだ。


 しかし、そんなことはどうでもいい。ご主人様に呼ばれたのだ。それ以上に重要なことなどない。



 「リア⁈ リア⁈」



 震えた声が何度も呼ぶ。しかし返事をすることは許されていない。


 仕方なく私は笑みを浮かべる。目を細め、口角を上げ、花に負けないくらい可憐な笑みで。


 笑顔の私をご主人様は抱き締める。逃げることは出来ず、次第に息苦しくなる呼吸。


 この苦しさは私だけのもの。


 妙に心地よく感じるのはそのせいだろうか。



 「……すまない。動揺してしまった」



 しばらく続いた苦痛も不意に終わる。

 抱き締めるのをやめたご主人様は赤くなった瞳で私を見つめる。肩に置かれた手は少しだけ痛かった。



 「いなくなってから君の大切さを改めて知った。どんな豪勢な料理も素晴らしい景色も君なしじゃ意味がない。リアの願いならどんなことでも叶える。だから私の隣にいてくれないか。これからも変わらず私の妻として」



 まっすぐな愛の言葉。

 

 それを受けた私は両手を口に当て、頬を赤らめる。そして目に涙を浮かべながら何度も頷く。


 求められているのは、きっとそんな反応なのだろう。



 「リア?」



 気付けば、ご主人様の頬に触れていた。

 ささくれやヒビ割れの酷い指。それは指の腹も例外ではない。どれだけ優しく触れても傷つける。


 この関係も同じなのだろう。



 私の名前はリアではない。ご主人様の妻になった覚えもない。


 亡くなった奥様に瓜二つだから。そんな理由で私はメイドとして雇われた。


 声で気付かれてしまうかも知れないから、喋ってはいけない。メイド服では奥様と思われないかも知れないからドレスを着なければならない。仕草でバレないように真似なければいけない。


 多くの人が願い、いくつもの無理を重ねて作られた嘘という名の幸せ。いつかは壊れるのなら、せめて私の手で。



 今じゃなくていい。今じゃなくていいから。



 そんな願いを託し、私はご主人様の肌を傷つけた。

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嘘つきメイドと主人様 栗尾りお @kuriorio

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