第33話 悪魔とはわかり合えない

 ベルティーユは遠慮がちにシャルルへ近付き、傷付いたような顔をして、弱々しくこぼす。


「シャーリィ、本当にごめんなさい。私、胸が小さいのを気にしていたから、ランバート様に『シャーリィのほうがいい』と言われて、あなたに敵意を向けてしまったの」


(言ったのかあの王子!! それは、たしかにキツイ……)


 子どものころから胸の話題は何度も耳にしていた。コンプレックスを婚約者に突かれるなど、正気でいられるはずがない。しかもランバートは、胸が大きければ誰でもいいという態度だった。ベルティーユはさぞかし傷付いたことだろう。


「ベル姉様、わたしは……」


 ――もう大丈夫。あなたを許します。


 そう言うべきなのに言葉が出てこない。代わりに浮かび上がるのは、恨みがましい気持ちだった。


 ――【悪魔】のギフトは、あなたから渡されたものなのに。


 彼女にその記憶はない。仕方のないことだとわかっている。それでもベルティーユにだけは、【悪魔】のギフトについて悪し様に思われたくなかった。


(違うわ。今回はランバート王子のせいよ。『許す』と言えば終わるのに、声が……出ない)


 そこへセリーヌが、身を屈ませるようにして顔をのぞき込んだ。


「シャルル? あなたも言いたいことがあるでしょう? 胸の内にしまい込んではいけないわ」


 ――なんて言えばいい? わたしも傷付いています。あなたがこわいです。

 これが本当の気持ちだ。


 迷いに迷って、ここは大人になるべきだと思い直す。


「わたしはもう、ランバート王子とは会いません。そうすれば彼はすぐに忘れます。それから……、決して【悪魔】のギフトを悪用しないと誓いますわ」


 ――だからもう殺そうとしないでほしい。


 シャルルの願いが届いたのか、ベルティーユは大きく頷いた。


「ありがとう、シャーリィ。あなたを信じるわ」

「ほ、本当に?」

「もちろんよ。あ……そうだわ! また一緒にお茶しましょう? そうやって少しずつ、前みたいに仲よくしたいの」

「はっ……はい」


 勢いに押されて頷くと、ベルティーユは顔を輝かせ、ポンと両手を合わせた。


「ピピ、お茶の用意を! お母様もお時間あるかしら?」

「え……ええっ⁉ いまから?」

「わたくしはもう仕事に戻るわ」


 一緒にお茶を飲むのは精神的ハードルが高い。

 しかも、バルコニーにセラフィンを待たせたままだ。


「お願い、少しだけでいいからお話ししたいの。今日は長居しないから」

「明日じゃ……ダメでしょうか?」

「ダメよぉ! だって、もうすぐ天使が帰って来ると聞いたの。そしたらシャーリィを取られてしまうわ」


 ――ん?


 父王すらつかんでいない情報を、ベルティーユがなぜ知っているのだろうか。

 違和感に首をかしげているあいだにも、セリーヌがいそいそとドアへ向かう。


「ごめんなさい。もう行かなくては……ふたりとも、仲よくね?」

「は~い!」

「…………ハイ」


 セリーヌが出て行くと、ドアの外ではアルマンが、見たこともないほど不安げな顔をしていた。ドアが閉まるのを呆然と見届けて、ベルティーユの呼びかけにハッとする。


「シャーリィ? 座って。ピピ、お茶を。そうそう、シャーリィの好きなイチジクのタルトも持ってきてね」


 こうなったら仕方がない。シャルルはピピに頷き、お茶を用意してもらう。タルトの用意はアメリに頼んだ。

 アメリが部屋を出て行ったのち、ベルティーユはソファにゆったりと腰かけ、目を細める。


「ピピ、あなたの妹が、北塔の屋根に立たされているわ。ああ待って……南塔だったかしら?」

「「――え?」」

「早く助けに行かないと、落ちちゃうかもね。だって、後ろ手に縛られて目隠しまでされているんですもの」

「ベル姉様、冗談ですよね?」


 笑えない冗談だ。なのに、シャルルの引きつった顔は笑って見えなくもない。滑稽な顔になっているのだろう。それを愉しむように眺め、ベルティーユは鼻を鳴らした。


「ハッ、まぁ信じなくてもいいわ。使用人のひとりやふたり、死んでも構わないもの。もう落ちてるかもしれないしね」


 冗談を言っているふうでもない。シャルルはピピに振り返った。


「ピピ、行って!」

「ですがっ」

「いいから、これは命令よ! 行きなさい!!」


 シャルルはガラス戸に視線を送る。いざとなればセラフィンがいるから大丈夫だ。考えが伝わったのだろう。ピピはギュと目をつむったかと思うと、視線をバルコニーへ向ける。


「殿下、お許しくださいっ!」


 ピピはガラス戸を大きくひらいて飛び出した。これでセラフィンも入って来やすい。

 シャルルもソファに座り、まっすぐにベルティーユを睨みつけた。


「ベル姉様。どうしてこのようなことを……、何が望みですか?」

「フフ。よくぞ聞いてくれたわね」


 ニタリと笑うベルティーユの顔は、狂気の色を帯びている。言葉に尽くすなら、『堪えきれない悦びを噛みしめている』といったところか。


「私の望みはたったひとつ。ギフトを取り戻すことよ」

「ギフトを……? あ……、誤解です! わたしは姉様のギフトを奪ったりしてないわ!」

「そうね。私が渡したんだもの」

「――え?」


 その言葉にまさかと瞳を揺らす。記憶を持ってやり直せるのは自分だけのはずだ。記憶を保てないから自分にギフトを渡したのだから。


「どうして……記憶があるの?」

「正確には、記憶が戻ったのよ。あんたが“破滅の樹”を、完全なものにしたときにね」


 つまり、シャルルが九歳のとき――玉座の間で断罪されたときにはもう、思い出していたということか。なのにベルティーユは、シャルルを罪に問おうとした。


「【悪魔】のギフトは、“破滅の樹”に記憶を溜め込むの。悪意を蓄積するために。【天使】にはない長所よ」

「で、でも……ギフトはわたしが持って生まれたわ」

「ええ、不完全な状態でね」

「っ……」


 セラフィンは『借り物』だと見抜いた。それがずっと引っかかっていた。


「どういうこと?」

「ギフトの珠を割って、中の“核”を取り出したのよ。それを私が持って生まれた」

「そんなこと……」


 できるはずがないと思いつつも、記憶に浮かぶのは、光のない欠けたギフト珠だ。【悪魔】のギフトだから歪な形なのだと思っていたが、“核”が抜かれたせいで光を失っていたのか。

 何より、目の前に記憶を持ったベルティーユがいる。嘘とは思えない。


「数ある人生の記憶から気付いたのよ。“核”を持っていても、完全な珠でなければ見抜かれないってね。うまく行ったわ。石版は私を【ギフトなし】と判定した」


 いつから計画していたのだろうか。『石版には』と言うあたり、我が国の王族に生まれる機会を待っていたかのように聞こえる。


「……最初から、そのつもりで渡したの?」

「当たり前でしょう? 【悪魔】はなかなか日の目を見ないの。殺されずに生き延びるのは大変なのよ? やっと運が巡って来たと思ったら……」


 マルガレータごと、シャルルを処刑してギフトを取り戻す予定が、シャルルは罪を免れてしまった。性別詐称についてもマルガレータに咎が行く始末。


「ま、待って……『取り戻す』っていうのは、具体的にはどうやって?」

「簡単なことよ。あんたが死ねば、ギフトは私のもとへ返って来るの。“核”を持っているのは私だもの」

「なっ……」


 いままでのことが走馬灯のように駆け巡る。


「マリエル嬢をたぶらかしたのは……あなたなの?」

「う~ん、私はカルメに依頼しただけよ? ギフトが返って来れば、誰が死のうがどうでもいいわ」


 なんの罪悪感も持たないのか、ベルティーユのさえずりは軽やかだ。


「そんなことより、私はイヴェールで王妃になるの。そろそろ返してもらわないと、間に合わなくなるでしょう?」

「王妃になるのに、どうして【悪魔】のギフトが必要なの?」


 本当は聞きたくもない。だけど考える時間が必要だった。彼女の暴走を止めるすべを。


「そんなの、不要な手駒からギフトを奪って、排除するために決まってるじゃない。 あんたは【悪魔】の有用性をわかってない! 他人のギフトは奪うためにあるの。それに<傲慢>の能力は、人を殺させたり、自死させるためにあるのよ?」


 ――ああ、これはわかり合えない。


 彼女にとって、人間はギフトの入れ物にすぎないのだ。中身を取り出したらゴミ同然、自分のために動く駒だけを残す。真に目指しているのは“王妃”ではなく、“女王”だろう。


 彼女こそが、ホンモノの悪魔だ。

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