第13話 危機はまだ去ってなかった

 女官長ニネットは穏やかな手つきで、しかし、有無を言わさずシャルルを化粧部屋パウダールームへ押し込んだ。


「素材はとてもよろしいのですもの。わたくしが責任をもって、立派な淑女にしてみせますわ」

「――うっ⁉ いや、ぼくは、このままで」

「マナー講師もすぐに手配いたしますわね」

「ぐっ」


 王子服に着慣れたシャルルは、もうドレスなど着たくなかった。何をするにも邪魔すぎる。ひらひらのドレスでは空を飛ぶのだってはばかられる。

 それに王子教育は知らないこともあっておもしろかった。淑女教育はつまらないうえに、もうお腹いっぱいだ。


 何より、記憶を取り戻してからの五年間で培った“王子”という役どころに、どっぷりとはまって抜け出せそうにない。


(いまならまだ……逃げられるかも)


 そう思ったのも束の間、ニネットが手を打ち鳴らすと、お仕着せ姿の侍女たちに取り囲まれた。いったいドコから出てきたのだろう。

 ひとりは窓の外から飛び込んで来た気がする。その侍女は黒髪をツインテールにした機敏な少女で、年は十六歳ほどだろうか。


「ピピ! この御髪を美しくしてちょうだい」

「お任せあれっ!」


 言うが早いか、ピピは目にも留まらぬ早業で髪を梳かし、オイルを塗り込んでまた梳かしていく。おかげで髪色はワントーン明るくなり、サラサラの手触りになった。


「長さが足りないので、編み込んで大きなリボンを」

「この髪色に合うドレスは?」

「クリーム色なんてどう?」

「お顔立ちは女の子にしか見えないのに、どうして気付かなかったのかしら?」


 王子メイクも落とされ、あっという間に王女シャルルができあがった。「完璧だわ」とつぶやいたのはニネットだが、鏡に映った姿に自分でもおどろいた。


(シャルルって、こんな容姿だったの?)


 いままでがあまりに無頓着だったのもある。王子として作られた顔しか記憶になく、鏡を見ても他人のように感じていた。

 それがいまはどうだろう。鏡の中には、間違えようもないほど可愛らしい少女が佇んでいる。


 ドレスの裾を揺らしながら、くるり、くるりとまわれば、侍女たちから黄色い声があがった。魅了の魔法をかけるよりも熱狂的かもしれない。


 九年のブランクがあるとはいえ、ひとたびドレスをまとえば、挙措もそれなりにさまになるのは人生二回目である所以ゆえんだろう。

 しずしずと歩く姿を見て、ニネットたちが震える。


「これならば、すぐにでも王妃陛下の御前にお連れできますわ!」

「王妃陛下の?」

「さぁ、参りましょう」


 ニネットに先導されて向かったのは王妃の執務室。王妃セリーヌは離宮近くの城内に仕事部屋を持っていたが、こちらも引っ越して来て間もないらしい。執務机や応接セットなどの家具は入っているが、書類などは半分箱に収まったままだ。


「あら、可愛らしいわね」


 明るい声のほうへ振り向けば、セリーヌが優しい笑顔を浮かべてソファに座っている。


「掛けてちょうだい」とソファに手を向けられ、セリーヌの向かいに座ったものの、シャルルの瞳はセリーヌの隣に釘付けだった。なぜか国王ジェラールがベッタリとくっついている。宰相はまだ復帰していないのに、油を売っていて大丈夫なのだろうか。

 セリーヌの咳払いで視線を前に向ける。


「シャルル、こうしてお話しするのは初めてね」


 シャルルは曖昧に頷く。ベルティーユとしての記憶も持っているから、初めてという気がしない。


「あなたが虐待されていたことを、侍女や護衛たちがしゃべったわ」

「――え?」


 それは少し意外だった。マルガレータのまわりにはべっている者たちは皆、自分に火の粉がかからなければそれでいいという態度だったから。

 しかし、口を挟んだジェラールの言葉に納得する。


「政務官には【自白】を促すギフト持ちがいる。マルガレータにも使ったが、【錯覚】というギフトを持っていたのに突然消えたと言い張るのだ」


 話の流れからして嫌な予感がする。シャルルがついと目を流した先にはワゴンがある。先ほど、玉座の間で見たものと同じ形、同じ色。掛け布を取れば石版があるのだろう。

 ジェラールが続ける。


「十歳になれば例外なくギフトを判別する。教会からも報告を受けていないし、【悪魔】のギフトを持つ者は十歳以下ではないか、という話になった」


 ――ご明察です。と心の内で拍手を送りつつ、絶望に打ちひしがれた。

 国王がこの場にいるのは油を売っているわけではなかったのだ。やはりシャルルのギフトを疑っている。

 目の前に石版が置かれ、セリーヌが手を向けた。


「あなたのギフトはわたくしたちが見届けます。それから異例だけど、身内以外の証人としてニネットを同席させるわ。今回は大事になってしまったから」


 今度こそ幸せになるために【再出発】ギフトを使ったというのに、結局シャルルは殺されてしまうのか。せめて心の準備をしたい。


「あの、国王陛下は……」

「なんだ?」

「ぼくのことが……憎いですか?」


 マルガレータのことは殺したいほど憎いだろう。ならば、その子どもでもあるシャルルのことも、疎ましく思っても仕方がない。けれど、少しでも憎からず思ってくれるなら、【天使】の能力が育つまでは、牢屋で生かしておいてくれるかもしれない。


 わずかな望みを託し、ドキドキしながら答えを待つ。

 ジェラールは顎に手をやりながら瞳を揺らし、頷くでもなく答えた。


「正直に言うと、お前を見るだけで苦い気持ちにはなる」


 肩を落としたシャルルに、「だが」と言葉尻を強めて顔を上げさせた。


「お前を憎む気持ちはない。それに、すべてをマルガレータのせいにするつもりもない。あれは私が未熟なせいで起きたこと。これから家族に対して償っていくつもりだ。その中にはお前も入っている」

「――え?」

「お前も私たちの家族だからな」

「……お父様」


 思わずつぶやくと、セリーヌがそわりと身じろぎをした。


「ねぇ、シャルル。あなたさえよければ、わたくしのことも母と呼んでほしいわ」

「よ、よろしいのですか?」

「もちろんよ」

「はい、お……お母様」


 大人ふたりはくすぐったそうにしているが、いまのシャルルにとっては最初からこのふたりが唯一の両親だ。また再会できてよかった。やり直してよかった。

 聞きたいことは聞けたし、温かい言葉ももらった。どんな結果になっても、もう思い残すことはない。こぼれそうな涙を乱暴に拭き取り、シャルルは石版に手を乗せる。


 石版は低い唸り声をあげて分析をはじめ、シャルルの眼前に、思ってもみなかった文字を表示してみせた。


 ――こ、幸運?


「ほう、【幸運(小)】か。よいではないか」

「ええ。喜ばしいギフトだわ」

「……ほえぇ?」


 期せずして危機を回避し、シャルルは間の抜けた声を出す。

【悪魔】のギフトは、もう必要がなくなったから消えてしまったのか。だったらいいなと思いつつも、【幸運(小)】という文字に引っかかりを覚える。これは侍女ドナが持っていたギフトだ。


(そういえば、さっきリストをいじったわ)


 ギフトを返すことはできなかったが、リスト内の順番を入れ替えることはできた。

 通常、ギフトはひとりひとつしか持って生まれない。だから石版は、リストの一番上にあるギフトを表示させた。――おそらくこれが正解だろう。


 いまだ口を半びらきにしたままのシャルルに、セリーヌが続ける。


「あなたの部屋も整ったから、ニネットに案内してもらって」

「ぼく……わたしの部屋、ですか?」

「離宮にあなたをひとりきりにはできないわ。残念ながら、マルガレータが離宮に戻ることはないの。それにルーセルも……」

「え? ルーセルも?」


 ――ルーセルのギフトに問題があったのだろうか。まさか、他者からギフトを奪えるものだった?


 気まずげにセリーヌが視線を彷徨わせ、ジェラールは苦悶の表情で眉間を揉む。なかなか言葉が出てこないふたりの代わりに、隅に控えていたニネットが進み出た。


「殿下、わたくしのギフトは【血縁視けつえんし】というものでして、シャルル殿下のお顔を拝見すれば、両陛下のお顔が浮かびます」


 ふんふんと頷きながらも、思い出すのはルーセルの髪色だ。金髪とも赤毛ともいえる朝焼けのような髪色は、宰相に似ているなと思ったことがある。

 あ、と口をひらきかけてすぐ、唇を引き結ぶ。九歳の子どもが察するのはあまりに不自然だ。


「ルーセル様は……、近く宰相閣下の家に迎えられる予定でございます」


 遠回しなニネットの言葉に、「どうして?」と無邪気に突っ込むのが子どもらしい言動なのだろうが、大人の思考を持つシャルルには到底無理だった。


「あ……うん。なんとなく、わかり……ました」


 大人たちがホッとした表情を見せたので、これでよかったのだろう。



 王妃の執務室を辞し、ニネットに先導されながら廊下を進む。途中で侍女のピピが合流し、シャルル付きの侍女だと紹介を受けた。


「ピピは平民上がりで、礼儀が足りないところもありますが、護衛も兼任しておりますので、何かあれば頼ってください」

「運動神経がとってもいいんですっ! 必ずやお守りいたしますっ」

「そう。よろしくね、ピピ」


 むやみにギフトを聞き出さないというのがマナーであるし、王族に問われたら答えなければならなくなる。だからシャルルは何も聞かない。


「こちらのお部屋ですわ。南向きで日当たりもよく、はす向かいはベルティーユ殿下のお部屋なのですよ」

「――え? ベルティーユ王女が北の部屋なの?」

「ええ。陽の差込むお部屋を好まれません。お肌を気になさるお年頃ですからね」


 本人が望むなら問題はないけれど、シャルルは気後れしてしまう。

 ふと、玉座の間で見たベルティーユの顔が浮かんだ。どう考えても好意的には見えなかった。


「あのね、ニネット。ベルティーユ王女には嫌われていると思う。だから――」


 もう少し離れた部屋にしてほしい。そうお願いしようとしたけれど、続けられなかった。


「――そんなことないわっ」


 差し込まれた声は息が弾んでおり、振り向いたシャルルの目に、肩を上下させるベルティーユが映った。怜悧に整った眉が元気をなくしていく。


「私が誤解していたの。お母様からあなたのギフトを聞いたわ。【悪魔】だと疑ってごめんなさい。……許してくれる?」

「も、もちろん!」

「よかった! 仲よくしてね」

「はい、お姉様」


 ホッとして差し出された手を握る。

 騙している後ろめたさには、気付かないふりをしながら。

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