5.魔眼フィッター・カンペー


 鼻につく消毒液のような匂いで目を覚ました。


「んぁ? ぁー……」


 確かアイナの猫耳弄ってたらキレてぶん殴られて寝たんだっけか? いや、突然気を失ったんだか?


 やけに固いベッドの正体は、診療所のベッドだったらしい。結局異世界で残業してそのまま寝落ちとは……しょうもない週末が始まってしまった。ふて寝でもしようと腕で視界を遮ろうとしたその時、顔の左右と頭に2つ耳を持った少女がこちらへやって来た。


「お目覚めかな?」

「猫耳より狐耳…………」

「何を言ってるんだ君は…………」


 アイナ・グレイその人である。

 目の前で黄緑色のレンズを外すと、猫耳は引っ込んでもとの少女に戻った。


「その耳出し入れ自由なのか……」

「魔眼レンズの副作用だね。装用している間は半魔猫化まびょうかしてしまうようだ。代わりに暗いところでも、ほんのわずかな光があれば医学書でも辞書でも読めたよ」


 猫の眼は光が少なくても見えると聞いたことがあるが……そのもっとすげぇ状態なのかな。魔眼……もとい、魔眼レンズって言うには地味だな。満足顔のアイナを目の前にとても口には出さない。


「これで蝋燭代が浮くよ、ありがとカンペー」

「俺に払う金があるなら蝋燭くらい買えよ……」

「魔眼レンズの作成にはお金が掛かるんだ。切り詰める所は切り詰める、当然の節約さ」


 そういえば昔、暗いトコでゲームしてたら母さんに怒られたっけ。なんで今思い出したかはわからんが。異世界の流通事情は全くしらないけど、眼球なんて普通扱わないんだろうから物入りなんだろう。


「私には身体能力強化の魔眼が合っているようだね。代償も凶悪な類じゃないし、幸運だ」

「へいへい、それはよぅござんした……あ、やべ。昨日レンズつけっぱで寝ちまった」


 アイナの代償って言葉で思い出した。

 コンタクトレンズなんて寝たままつけてたら寝起きは痛いもんだが……痛みはない。


「魔法で作成したレンズだよ? 適合率も高そうだし、ずっとつけてても問題ないよ」

「ばっきゃろう、ただでさえ得体の知れないモンなんだから外しておくことに越したことはねぇ」

「洗面所はそのまま奥だよ」


 ベッドから飛び起き、アイナの指さした方へ。

 現代でも見るような円柱型の蛇口ハンドルがついた洗面台が鎮座していた。正面には鏡、蛇口の横には現代でみる業務用の緑色の水せっけん入れ。あまりにも見慣れた空間は置いといて、さっさと手を洗おう。


「ほんとに異世界なのかぁ?」

「昨日はあれだけ順応してたのに、疑り深いねカンペーは……」

「大人になったら非日常より退屈な毎日が大切ぅ…………んぉ!?」


 様子を見にやってきたアイナに言葉を返そうとしたその時、異変に気付いた。鏡に映る寝ぼけた男の顔……いや、俺のことなんだけど、その両目。金色は言わずもがな、本来ならレンズ1枚が角膜に乗っていて、黒目の外側にはレンズの輪郭が見えるはずなのだが……なのだが……


「ない……というか、完全にくっついてる…………!」


 中心の瞳孔は黒色。

 周囲の虹彩は完全に黄金色。むしろ輝きは昨日よりも増している。瞬きをすれば多少上下運動をするはずの膜など、そこになかったように。


「おぉ~完全適合ぉ! まさかこんな早い段階で見られるなんて驚きだ」

「うっそだろ、これ……もしかしてもう取れないのか!?」

「いいや、魔眼とはいえ複製・転写したレンズだから効果が切れればそのうち外れると思うよ」

「いつ!?」

「さぁ? 早ければそのう゛ッ――!?」


 朝っぱらから人の血圧を上げてくれる良いお医者さんだなこいつぁ!

 濡れた手でアイナの両頬をぶにっと潰す。


「レンズのつけっぱなしは乾燥、角膜障害、酸素不足による充血! その他弊害発生のリスクありッ! 魔眼とやらのデメリット以前の話だぞ! おぉん!?」

「ぼぢづい゛で……」

「25年生きてきて健康な目に何かあったらどうしますかせんせーっ!?」


 

 ◇ ◇ ◇



「ま、魔眼レンズはまだ研究段階だから完全に適合する例は初めてなんだよぉ」

「偶然くっついたモンをそれっぽく言うな」


 アイナ医師お手製の魔眼レンズが外れなくなってしまったまま、診療所外のテーブルで朝食を摂っていた。よく口にする食パンよりちょっともそもそするパンとなんかの葉で煮だした茶。忙しい朝に食ってるメニューをなぜ異世界くんだりまで来て…………


「ごめんってば。ほら、野イチゴのジャムもあげるから機嫌直してよ」

「ますますいつもの朝に……」


 なんかこう……あるだろ。ほら、異世界特有の食い物がさ。モンスターの肉とか、この世界にしかない果物とか……

 とはいえ、目の前の光景を見ると日本でないことはよくわかる。海外旅行のパンフで見たような城郭都市が眼下に広がっているのである。とても日本の地方とは思えない。


「安全に外せるよう努力するから許して、ね?」

「はいはい、金貰うわけだからな。不機嫌もここまでにしといてやるよ」


 謎の坊主頭、魔眼レンズの研究協力、俺自身に完全適合した『選定の魔眼(レンズ)』。んでもって異世界と。考えることが多いなぁ。


「基本方針として、目で困った人々に魔眼レンズで何かできないかってことは本心だ。ここを訪れる人の為に、頼むよカンペー」

「それはいいんだけどよ、このままこっちにいたら仕事クビになるんだけど」

「それなら大丈夫、こちらの世界と君のいるニッポンで流れる時間は違うから。いつ帰ってもあの日の夜だよ」


 わぁお、都合の良いことで。

 でもこれで余計な心配をする必要は一つなくなったな。とりあえずは副業ができるわけだ…………あの眼科、副業認めてたっけかな。まぁいいや、異世界だしバレないだろ。多分。


「よろしく頼むよ、魔眼フィッターさん」

「なんだその肩書き」

「選定の魔眼使い、カンペーって宣伝してるから」

「いつの間に…………」


 選定の魔眼レンズ使いに修正しといてくれ。

 結局どうやって力を使うかはまだよくわからないし、要検証だ。


 退屈な日常から一転、何の因果か異世界でも眼科に関わる事になってしまった。とりあえずはこの魔眼レンズを外したいのと、日本に帰って金貨を換金したい。


「あ、あのぅ~」

「ほら、さっそくおきゃ――患者さんだよカンペー」

「それ、絶対言っちゃだめなワードな」


 どこの世界も患者は待ってくれない。

 魔眼フィッター・カンペーの始まりである。

 

  

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