第9話 秘密兵器

 ついに修二くんが札幌に帰ってくる。というより私の家に帰ってくる。せっかく入籍したのに約3ヶ月、私が東海村に行くとか修二くんのご両親の北海道旅行に同行するとかで、修二くんが私の家に泊まるのが初めてなのだ。昨日大学から帰ってきて一通り掃除し、花屋さんで小さなひまわりの切り花も買ってきていた。


 もちろん新千歳まで迎えに行く。本当は今日の午前に研究室のゼミもあったのだが、泣く泣く欠席した(ウソ)。池田先生にゼミを休むと言ったら、微妙な顔で許してくれた。今日の発表はカサドンで、情けない顔をしていた。カサドンは私になんか甘えてないで、今のうちにしっかり真美ちゃんに甘えておけと思う。それはともかく昼に修二くんと合流し、午後大学で各種打ち合わせの予定だ。


 7月初めの高速道路は快適だ。エアコンをかけるまでもなく、窓を少し開ければ気持ち良い風が吹き込んでくる。畑などの緑が目に眩しい。後席の窓も少し開けているので、車の中を風が吹き抜ける。情報では東海村はまだ梅雨の真っ最中だから、修二くんは私よりもっと快適に感じるだろう。


 空港到着ロビーで待つことおよそ十五分、人の流れの中に修二くんが見えた。

「修二くーん!」

「おー」

 私が手を振ったら、修二くんも大きく手をふった。

 修二くんは私の顔をじっと見てくる。私は私の顔も見てほしいし、修二くんの顔も見たいけど、そんなことより修二くんを実感したくて抱きついた。

 耳元に修二くんの声が聞こえる。

「やっと帰ってこれたよ」

「うん」

「またせたね」

「うん」

 このまま大学をサボりたくなってくる。

 一旦体を離し、荷物を持とうと手を伸ばす。修二くんはまた、リュックを渡してくれた。


 修二くんを助手席にすわらせ、札幌へ向かう。

「修二くん、風、気持ちいいでしょ」

「うん、最高だね。夏はやっぱり北海道だね」

 そう言ったばかりなのに、修二くんは窓を閉め始めた。

 私は夏場、晴れている時はまず冷房をつけない。エンジンのパワーが喰われるのが嫌だし、サーモスタットによるエアコンのオンオフの瞬間のトルク変化も好きではない。そもそも北海道はあまり渋滞しないので、走行風で十分快適なのだ。

「修二くん、風、気持ちよくない?」

「気持ちいいんだけどさ、杏との会話を優先したくてね」

 私はエアコンを入れ、すべての窓を閉じた。


「杏、今日ね、君を見て驚いたよ。すてきな服だね」

 そう、この日のためにひまわり柄のワンピースを新調したのだ。後席にはツバのひろい白い帽子も準備してある。このあと研究室に行く時、これでみんなを驚かせてやるのだ。だから今回のこの服装は、のぞみにも真美ちゃんにも相談していない。

「いいでしょ。ありがと」


「ねぇ、お昼だけど、前行ったファミレス行こうよ」

「うん、私もそう思っていた」

 去年の秋、修二くんが東海村への出張から帰ってきた時行ったレストランである。

「いや、ちょっと待てよ、学食の方がいいか?」

「え〜、なんで? 私美味しいの食べたい」

「そうなんだけどさ、みんなに奥様を見せびらかしたくなった」

「うーん」

 嬉しいことを修二くんが言ってくれるのであるが、結局は食欲が勝った。

「やっぱファミレス行こ」

「そうだね、あそこさ、二人きりて初めて行ったお店だよね」

「うん」

「杏がさそってくれたんだよね」

「うん」

 会話が途切れた。


 ファミレスは昼直前、まだ席は空いていた。

「なに食べよっかな〜」

「杏、ほんとは決まってるんでしょ」

「わかる〜?」

 メニューを開けばやっぱりあった。小さなステーキにエビフライとカニコロッケ。私はこの店に来るたび、これを頼んでしまうに違いない。

「ケーキも頼もうよ」

 修二くんが言ってくれる。

「去年と同じでいいよ」

と私が言ったが、修二くんは、

「桃のタルトもいいんじゃない?」

と言う。確かにブルーベリーは季節じゃない。

「桃のタルトにする」


 食事しながら会話する。

「ハンカチ、使ってる?」

 まずい質問をされた。去年、東京土産に銀杏のマーク入りハンカチを7つももらったのだ。修二くんは毎日でも使えるようにと7つも買ってくれたのだが、実は全く使っていない。

「うん、ほら」

 こんなときのために、ポケットには一つだけ人に見せるためのそのハンカチがいつも入れてある。使うわけではないので時々しか洗っていないが、それがいい感じの使用感になっている。

「ほんとだ、ありがと」

 貰い物を使ってなぜ礼を言われなければいけないのかわからないが、まあホッとした。


 家に着いた。荷物を置いて、徒歩で大学に向かわなければならない。

「杏の部屋はいるの初めてだ。なんか緊張する」

「あなたの部屋でもあるのよ」

 真昼間なので他の住民には会わない。

 ドアを開け、修二くんを中に入れる。

 ドアをしめ、修二くんを抱きしめる。

 あたまがくらくらする。

「今なら、住民、誰もいないよ」

 私から修二くんを誘ってみる。

「そうだけど、スケジュールから、みんなに全部ばれるよ」

「いいじゃん」

「それでみんなに顔合わせられる?」

 そこまで言われて、不満だが体を離した。


 靴を脱いで部屋にあがる。

「あ、ひまわりだ」

 修二くんは生花に感動しているらしい。買っておいてよかった。


「修二くん、ちょっと休憩する?」

 もう一度誘ってみる。

「うーん、だけど僕、杏が大学行きたくなる秘密兵器持ってるんだよね」

「え、なにそれ、なんか見たいような見たくないような」

 修二くんはテーブルの上に論文をのせた。

 つい見てしまう。

「低次元性反強磁性体の中性子非弾性散乱実験……」

「面白そうでしょ」

「うん」

 

 一通り目を通したところで、修二くんに言った。

「大学行こっか」

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