第37話 伝えたい気持ち




「おはよ〜。やっぱり、美樹ちゃんは図書館ここに来たんだね〜」


 昨日、教授から図書館には近づくな、と言われたばかりなのに、美樹と優斗は図書館の前でばったりと出くわしていた。


「優斗、くん……。どうして、ここにいるんですか?」


「ふふっ。それは、こっちの台詞だよ〜」


 いつも通り掴めない様子の優斗に、なんと声をかけてよいのか美樹が迷っていると、優斗はにっこりと微笑んだ。


「結局、教授にも止められちゃったからね〜。図書館担当だったボク達は、夕方に皆と合流してから何を調べるか決めよ〜って話になっていたけど……。美樹ちゃんはきっと図書館に来るだろうな〜って思って、待ってたんだ〜」


 えっへん、と腰に手を当てて、こともなげに言ってみせる優斗に、美樹は首を横に傾げた。


「あの、そんなにわたし、わかりやすかった……ですか?」


「う〜ん。まぁ、昨日の様子を見ていたら、真人くん辺りは気づいてたんじゃないかな〜? あ、多分、他の皆は気づいてないと思うよ〜」


 六人の中でも、特に人の様子をよく見ているであろう、優斗と真人だけが美樹の様子に気がついていたようだ。


「優斗くんは、本当に人のことをしっかりと見ているんですね……」


「……美樹ちゃんだからだよ」


 優斗の言葉に、美樹が頬を赤らめる。けれど、すぐにその表情からは照れが消え、自己嫌悪の表情が浮かび上がっていた。


「美樹ちゃんの行動はわかるよ。ボクは、美樹ちゃんのことを見ていたからね……」


 勘違いしそうになる思考を振り払おうとする美樹に、追い打ちをかけるように優斗が真っ直ぐと見つめて言った。


「……好奇心、だけじゃないんでしょ。美樹ちゃんは、虐めてきた相手への罪悪感をずっと引きずっていて、消えた記憶の謎を解くことで、払拭ふっしょくしようとしているんだ」


「そんな、ことは……」


「ない、って言える?」


 穏やかな優斗の鋭い視線に、嘘や誤魔化しは通じなさそうに思えた。


「……そうかも、しれません。わたしは、この行き場のない罪悪感を、早く無くしてしまいたい。そうすれば、もっと自分に自信が持てるかもしれないって……そう思うんです」


「……罪悪感なんて、美樹ちゃんが感じることじゃない。ボクなんかはそう思っちゃうけど、美樹ちゃんは、その人に囚われているんだね」


「……はい。いつも心のどこかに、わたしの何が悪かったのか、引っかかっているんだと思います」


 そう言うと、美樹は自嘲気味に笑って、どこか遠くを見つめていた。


「そ、れ、じゃ〜。ボクにも、付き合わせてよ」


 ぴょん、と見えない心の壁を飛び越えるように、軽い調子で言うと、優斗は美樹の隣へと移動した。


 肩が触れるほど近くで見る、優斗の優しい笑顔が眩しくて、美樹は思わず視線を逸らした。


「……どうして、わたしなんかにそこまでしてくれるんですか?」


 優斗は優しい人だから、自分は特別なんかじゃないのだから、そう自分へ言い聞かせていたはずなのに、美樹は思わず優斗へと問いかけていた。


 自意識過剰だと思われてしまう。思わず口を滑らせてしまった美樹が、しまった、と口を噤んだところで、口に出してしまった言葉は取り消せはしない。


「う〜ん。美樹ちゃんのことが気になるから、なんて言うのは少し逃げ腰が過ぎるよね〜」


 独り言のように、ぽつりと呟くと、優斗は真っ直ぐと真剣な眼差しで美樹を見つめて微笑んだ。


「ふふっ。放っておけないんだよね〜。ボクは、美樹ちゃんのことが好きだから」


 朝日が、キラキラと優斗の髪を照らしている。

 まるで愛おしそうに、優しく微笑む優斗があまりにも輝いて見えた。どくんどくんと鼓動が脈打つ音が、優斗にも聞こえてしまいそうで、美樹は胸をぎゅっと押さえつけた。


「……わ、わたしも好きですよ。大切な、お友達……です」


 勘違いしてしまわないように、恥ずかしい想いはしたくない、と美樹は自分へ言い聞かせるように、お友達、と付け足して言った。

 美樹の声は微かに震えていて、優斗はそれを見逃してはくれなかった。


「ボクが、こんな時にそんな曖昧な言葉を使うような、臆病者だと思う?」


 美樹の真意を読み取って、優斗はぐい、と美樹の手を取ると、美樹へと身体を寄せた。


「ボクの好き。は、特別な好き、だよ。ボクは……美樹ちゃんの特別になりたいんだ」


 はっきりと告げる優斗の言葉に、逃げ場をなくした美樹の心は期待に胸を高鳴らせた。


「わたしは、その……」


 このまま、自分も好きだと伝えてしまいたい。そう思いながらも、この関係を変えてしまうことに、始まる前から終わりを迎えることに怯えてしまい、美樹は口を噤んでしまう。


 不安そうな表情で、なんと答えれば良いのか迷っている美樹を見て、優斗は楽しそうに笑っていた。


「ふふっ。そんなに難しい顔、しないで? ボクはただ、ボクの気持ちを知っておいて欲しかっただけなんだ〜。美樹ちゃんが答えるのは、今すぐじゃなくていいんだよ。いつまででも、待ってるから」


 あくまで伝えたかっただけなのだと、いつもの調子で楽しそうに告げる優斗に、美樹はほっと胸を撫で下ろした。


「……優斗くんは、わたしにとって大切な人、です。……今はまだ、それしか答えられない、臆病者のわたしを嫌いにならないで欲しい、です」


 きゅっと拳を軽く握って、震えながらもおずおずと告げる美樹は、今にも泣き出してしまいそうに見えて、優斗はその手を優しく握って歩き出した。


「ありがと。嫌いになったりなんてしないよ。だから、美樹ちゃんは美樹ちゃんのペースで、ゆっくり自分のことを好きになっていこ?」


 優斗の視線は真っ直ぐと前だけを見つめていて、美樹の方を見ようとしない優斗の優しさに、美樹は熱くなる目頭を誤魔化すように空を仰いだ。


(わたしは、なんて臆病者なんでしょう……)


 締め付けられる胸を抑えながら、美樹は優斗の手を少しだけ強く握り返した。


「それで、目立たないように潜入するには、どうしようか〜」


「その、やっぱり、わたしの我儘に優斗くんは巻き込めないです」


「ん〜。ボクは巻き込んで欲しいんだよね〜」


 優斗の言葉に、美樹は複雑そうな表情を浮かべた。


「……教授に、怒られちゃいますよ」


「じゃあ、怒られる時は一緒に怒られよう。ね?」


 軽い調子でそう言うと、いつものようにウインクをして見せる優斗に、うっかりときめいてしまいそうになった美樹は、早々に優斗への説得を諦めた。


 昼間のうちに図書館へと入り、閉館時間の後で行動しよう、と決めた優斗と美樹は、図書館へと足を運んだ。

 繋いだ手を離すタイミングを逃してしまった美樹が、少しだけそわそわと優斗の様子を伺っている。


「……美樹ちゃん、隠れて!」


 優斗に言われるがままに、近くにあった本棚へと身を隠すと、図書館の中からスタスタと焦った様子で教授が早足で出てくるのが見えた。


「……教授?」


「……早速、見つかっちゃうところだったね〜」


「……危ないところでしたね」


 二人は顔を見合わせると、隠れて悪いことをしている子供のように、くすくすと笑い合った。


『好奇心は猫をも殺す』


 共にいることが、優斗と美樹を心強くさせてしまったのか。普段であれば、きっとここで引き返していただろう二人は、好奇心に心を弾ませてしまい、昨日の教授の言葉を忘れていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る