作家と編集

円 一

作家と編集

「玉稿、拝見させて頂きました」


 担当氏がそう切り出すと、カプ子は緊張で身体を硬くした。

 カプ子は恐るおそる尋ねる。


「それでどうでしたか?」

「いいですね。これはカプ子先生の新境地じゃないですか! 編集部でも上々の評判ですよ」

 担当氏の答えにカプ子は内心でガッツポーズをした。


「ただ、ちょっといくつか指摘したい点もございまして……」

「もちろんです。なんでも言ってください」

 カプ子はうなずいた。それなりに作家生活を経験してきて、原稿に赤が入るのは

もう慣れっこだ。


「こんなこと作家先生に申し上げるのは大変心苦しいのですが、どうも表現がありきたり過ぎるように思うんです」

「ありきたりですか?」

「あ、いや気を悪くしたらすみません」

「大丈夫です。ただ、今作は、繊細な心理描写を通して、瑞々しい高校生男女の恋愛を描いた小説なので、奇をてらった表現よりも、読みやすさを重視したつもりだったんですが……」

「ですから、問題なのはそこなんですよ。最近の若者は、小さい頃からアニメやゲームに親しんで、刺激に慣れていますから、少々突飛な展開や文章でもちゃんとついてきてくれる一方で、コンテンツのフックが弱いと、すぐに離れてしまします。今回のように十代をメインターゲットに絞るからには、もう少し文章表現にも攻めの姿勢が必要なんです」

「なるほど」

「たとえば、このシーンのここ。『純子の心はささくれだった』という表現がありますね」

「はい、ヒロインの純子が密かに想いを寄せるクラスメートの男子。その彼が自分の仲の良い友達とデートに行くと知って、もどかしい気持ちを抱くシーンですね。我ながら上手く書けたと思います」

「ちょっと陳腐ですね」

「ち、陳腐ですか?」

「申し訳ありませんが、そう言わざるを得ませんね。先生には釈迦に説法でしょうが、『心がささくれだつ』とは、『気持ちが荒れて、とげとげしくなる』ことを表現した慣用句です」

「ええ、もちろん、その意図で使ってます」

「これって、ささくれが爪の周辺の皮膚が乾燥してめくれることからきてると思うんですが、ささくれって、なんか地味じゃないですか」

「はあ、地味……」

「地味ですよ。小説ってのは、読者の願望を叶えてあげるものですからね。フィクションの中でまで、指の先の、そのまた爪の周辺の皮膚って、そんな地味な部位のことに、わざわざ気を回したくないってのが、読者の本音です」

「そんなこと考えたこともありませんでした」

「読者はわがままですからね」

「それなら、どんな表現がいいんでしょうか?」

「そうですね。たとえば『気持ちが荒れて、とげとげしくなる』ことを表現したいのなら『純子の心にモヒカンザコの肩パットが着装された』というのは、どうでしょう」

「も、モヒカンザコ……?」

「はい。モヒカンザコです。モヒカンザコの肩パットといえば、謎のとげとげがついていますから」

「確かに、世界が荒れて、とげとげしくなったという意味では、喩えとして間違っていないかもしれませんが……。でも、ここは純子の気持ちに余裕がなくなるニュアンスも込めてるんですよ」

「モヒカンザコだって、しょっちゅう『ヒャッハー』って叫ぶくらいに余裕がないですよ」

「あれって余裕がないんですか? てっきり余裕があるからこそ叫んでるんだと思ってました」

「カプ子先生だって、余裕がないと『ヒャッハー』って叫ぶでしょう?」

「余裕があろうがなかろうが、現実世界で『ヒャッハー』と叫んだ経験がないのでわかりません」

「経験がないから、わからないって、カプ子先生も作家だったら想像力で補おうと思わないんですか。そんなこと言ったら、小説家は何も書けませんよ?」

「すみません」

「仕方ないので、このすぐ後に、ヒロインの友達に『ヒャッハー』と叫ばせましょう」

「え、どうして?」

「先生の作家としての引き出しを増やすためですよ。このシーン、友達は純子の反応をみて彼女の気持ちに気付き、クラスメート男子とのデートを後悔するわけでしょう。まさに心情的にぴったりです」

「でも、純子がモヒカンザコの肩パットを装備して、その友達が『ヒャッハー』と叫び出したら、それはもう完全にモヒカンザコの集まりになりませんか?」

「なに言ってるんです。モヒカンザコの肩パットは、あくまで比喩表現ですよ。しっかりしてくださいよ」

「す、すみません」

「それから、この『純子は魔法にかけられたように言葉を失ってしまった』という表現。これもやはりよくありませんね」

「どこがでしょうか?」

「最近の若者はファンタジーに造詣が深く、魔法にも詳しいですからね。ただ『魔法』と書いただけでは、作者の見識が疑われます」

「ですけど、これは恋愛小説ですよ」

「読者はわがままですからね」

「はあ」

「ここは『純子は冥王ド・メルドザップが編み出した禁断の暗黒魔法ガリル=セントナス――あるいは‟解き放たれし因果”をかけられたように言葉を失ってしまった』にしましょう」

「え、そのド・メル、メルドなんちゃらってのは、なんですか?」

「僕が中学生の時にノートに書いていた大長編ファンタジーに出てくる中盤のボスです」

「そんなものを文中に入れなくちゃいけないんですか」

「そんなものって、なんですか。失礼な! ド・メルドザップの正体が先代勇者ディナセスの魔族にさらわれた息子だったことを知っても、そんなことが言えるんですか。せっかく魔法の知識が浅いカプ子先生のために、僕が大事な設定アイデアをお貸しするというのに」

「わ、わかりました。なんか長くなりそうなので、もういいです」

「それから、ここの表現も――……」


 〇


「私、たけるとデートするんだ」


 朱美のその言葉を聞いた瞬間、純子の心にモヒカンザコの肩パットが着装された。

 そんな純子の異変に気付くと、朱美はうろたえて「ヒャッハー!」と叫んだ。

 しばしの沈黙が流れた後、朱美は言葉を続けた。


「ご、ごめん……。もしかして純子って、たけるのこと……」


 そんなわけないじゃん。そう笑って誤魔化そうとしたのに、純子は冥王ド・メルドザップが編み出した禁断の暗黒魔法ガリル=セントナス――あるいは‟解き放たれし因果”をかけられたように言葉を失ってしまった。

 そのくせ心の半分では、朱美に激しくジェラスィーツ番長ショコラ山崎な自分がいる。こんな自分、陰・陽いやだ。


「大丈夫。そんなに心配オブ心配。略してシンシンパイパイしないで。たけるにはハーリースケジュールがメイクイットしたってレぺゼンするから」


 朱美のそんな優しさが、純子の胸を必殺・万力固め! 息苦しくてタマランチョ! 純子は今、タマランさん家のタマランチョなのであります!


 純子が何か言おう・腎臓・フォンドボウするより早く、朱美は立ち上がると、教室をロケット発射。グッバイ地球テラ。純子は本校と運命を共にする。


 いとをかし。恋をすると、なんでこんなにもしんどいのかな?

 純子が長女なら我慢できたかもしれないが、次女だったから我慢できなかった。

 純子の目から涙が溢れる。それは、もしここに女子高生の涙の味ソムリエおじさんがいたら、ちゅるるるる、ちゅるるるるるるると舌の上で空気を含ませながら転がして「OH!マーベラス!」と感嘆の声をあげるほどに苦いものだった。


 それでも、涙は、純子の嫌な気持ちまで、まるでモヒカンザコが汚物を消毒するかのように洗い流した。


「ヒャッハー!」


 純子は、そう叫ぶと、恋のライバルを追いかけるのだった。


 〇


「はい、もしもし。ああ、カプ子先生ですか。え? 新作がネットで酷評されている? あー、だからエゴサはやっちゃいけないって言っておいたじゃないですか。なに、そうじゃなく、僕の助言のせい? いや、先生。そりゃあ僕は編集ですからね。それが仕事だからアドバイスくらいしますよ。でもそれを受けて、最終的な作品を仕上げたのは誰ですか。そう、先生ですよね。あくまで、あの作品は先生のものなんだから、責任転嫁されては困ります。ちゃんと自覚を持ってくださいよ。まったく。僕は今日、職場の飲み会なんでね。ええ、先月からフグの名店を予約していて、ずっと楽しみにしてたんですから、あとは今度にしましょう。じゃあ切りますよ。もう切りますからね!」


――カプ子の心はささくれだった。

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作家と編集 円 一 @madokaichi

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