第3話

 一方、捨てられた王子だと知る者が一人もいない孤児院にて、アベルは代り映えのしない毎日を過ごしていた。


「アベルにいちゃーん、またロットとエインがケンカしてるよ」

「わかった、すぐ行くよ」


 年下の女の子の知らせに、孤児院の費用稼ぎの内職の手を止めて、古ぼけた部屋から出るアベル。

 ゆっくりというわけでもないが焦りも見せないその歩みは、カインとは別の意味で十歳とは思えない。


 さほど大きくない孤児院の広場でにらみ合っている男の子二人を見つけたアベルは、側に近寄ると落ち着いた声で尋ねた。


「どうしたんだい、二人してそんな怖い顔をして。下の子たちが怖がっているよ」

「アベル」 

「アベルにいちゃん」


 片方はアベルと同い年のロット、もう片方は一つ年下のエインだった。

 そしてロットの手には、孤児院では見るのも珍しい、丸ごと一個のリンゴがあった。


「エインがこのリンゴを隠し持っていたんだ」

「それは俺が道で拾った銅貨で買ったもんだぞ!」

「だからってみんなに見せびらかすことはないだろ! 分ける気もないくせに!」

「なんだと!」


 再び熱くなった二人が互いを押し合う。

 その様子を広場の隅で見ている小さい子たちから、悲鳴交じりの泣き声が聞こえた。


「二人ともやめるんだ」


 そこに、厳しさも鋭さもまるでない、穏やかな制止の一言。

 それだけにはっきりとした意志が感じられるアベルの声は、興奮しているロットとエインをを止めるには十分な力を持っていた。


「いつも言っているだろう、楽しいことも苦しいこともみんなで分かち合おうって。リンゴだって、一人ぼっちで食べるより、みんなで分けるほうがずっとおいしいだろう、ロット?」

「それじゃ全然足りないよ!」


 アベルの諭しに抵抗するエイン。


「なら働いて、みんなで食べるリンゴを買うお金を作ればいい」

「うちの孤児院に入ってくる内職じゃそんな余裕ないだろ、アベル!」


 ない袖は振れないという、子供でも分かる理屈。

 これには、アベルと同い年のロットが反論する。

 だが、アベルはにっこりと笑って見せた。


「大丈夫。本当は準備ができるまで内緒にしておこうと思ったんだけど、この間スウェインさんから割のいい内職をもらえることになったんだ。その分作業は大変だけど、みんなで協力すればきっとちゃんとやれる。だから、このリンゴはみんなで少しずつ分けて、内職のお金が入ったらみんながおなかいっぱい食べられるくらいのリンゴを買って来よう」


 ワアアア


 まただ。

 エインだけでなく、遠巻きに見ていた小さな子たちまでもアベルに駆け寄る様子を見ながら、ロットはそう思った。

 振り返れば、アベルは幼いころから不思議と周囲を和ませるところがあった。

 どんな人に対しても人当たりが良く、アベルのことを悪く言う人間はロットも含めて誰一人としていない。

 普通なら孤児として蔑まれる立場のはずのアベルが、孤児院だけでなく近所中から好かれるアイドルのような存在に、いつの頃からかなっていた。


(別に、足が速いわけでもないし頭もちょっといいくらい、手先だって人並みだ。こう言っちゃなんだけど、特に顔がかっこいいわけでもない。だけど、アベルが近くにいるとなぜか寄って行きたくなる。何なんだいったい……)


 自分の考えに疑問を持ちつつも、ロットもまたみんなに囲まれるアベルの元へ行きたい衝動を抑えることができなかった。

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