つまらない私の話

闇之一夜

つまらない私の話

 自分を長年苦しめてきたのは、トラウマよりも、たんに「かっこよさ」だとわかってきた。もし普通育ちだったら、確実にお笑いの方に行ったはず。最近チャップリンを見て、かっこ悪いことはなんと気分がよくて気楽なことか、と。自分がミチロウでもマルクス兄弟でもなく、こっちだったとはなあ(注意・2023年の話で、今は全くそうは思っていない)。


 いや、スターリンの遠藤ミチロウと縁もゆかりもなかったわけじゃなく、彼の歌詞のシュールな感覚とかは共通してたと思うし、ほかに無理やり手本にしてきた過激で狂った人たちも、どこか似た部分てのはあったろう。が、同類では決してなかった。ただ、自然では絶対にいられず、常に極端にかっこつけなくてはならなかったせいで、それらの人たちと自分が「同じ」だと「思い込んだ」わけである。


 もちろん実際は過激でもなんでもなく、むしろ前向きだが大人しく、人畜無害で小心者だったはずなのだが、親にそれを完全に否定され潰されたので、「誰よりもかっこいい自分」という虚像を作りあげるしかなかった。80年代という時代も悪く、ホラー映画やパンクロック的に過剰なエログロ作品が子供が起きていようが平気でテレビから垂れ流され、あるいはマンガなどに、子供時代に蝕まれた人は多いだろうが、自分はかなり悪い方向に影響された。当時の表面的な暴力表現が、血肉になるほど残っているのは、五十代半ば(2024年現在)では自分くらいだろう。それらは平凡な自分を偽り「大きく見せる」のに格好の素材だった。


 母親は、平和なお笑い系の私を全否定したが、それで仕方なくかっこいいふりをしようとしても、全く上手くいかなかったため、ますますバカにして潰すだけだった。女だがマカロニウェスタンが好きだった。これは長男には「死ね」というのと同じである。なれるわけがない。第一架空の人物だ。演じる役者だって、たとえばイーストウッドだって別に夕陽のガンマンじゃなかった。


 だが奴には生まれながらのヒーローが必要だった。なんせ幼少から父なしで、それも長女として無理ばかりさせられて育ったので、長男の私にはなんとしても、強く立派で、自分の父親が務まるほどの男になってもらわねばならなかった。普通に考えれば、これはどうしたって無理だろう。親子の逆転は、毒親にはよくあるパターンらしいが、こっちは役割を押し付けられるだけで本当の親ではないから、権限もなく、向こうはいい気になってやり放題だ。毒親に卑怯などという言葉はない。常に溺れてアップアップして、足を引っ張ってやっと海面から顔を出して息をする。代わりにガキが沈められて窒息する。生きるか死ぬか。食うか食われるか。毒親家庭では、人間はただの動物である。


 といって暴力で応戦すれば、たちまち弱いふりをして被害者面だ。実際自分も親からやられてきた被害者だが、これは虐待されて育った通り魔が被害者ぶって殺人を正当化するのと同じだ。母親から学んだことは、人間は薄汚くて腐っていて当たり前。なにもいいところも、なんの魅力もなく、ただ不快で恐ろしくて嫌なだけの避けるべき存在である。はるかにマシな弟と共依存でなければ、最悪犯罪者か、よくて重度の精神疾患だったろう。中途半端に運がよかった。現在も全くなにも幸せではない。といって不幸のどん底でもない。なんなんだよてめえは。と自分に殺意しかない。


 自然にしていると殴られ、嘘をついても下手なので殴られたが、上手くてもどうせやられたろう。相手は、ただ殴りたいだけだからだ。卑怯と卑劣に手足が生えた糞野郎の汚物の黴菌なので、自分の親からされた恨みを無抵抗な弱者の子にぶつけて、やっと精神を保ってるだけだ。はたから見ると可哀想な人だろうが、こっちはそんな場合ではない。いかに生き延びるか、それだけである。サバイバルといっても、無力なガキに策などなにもないので、いかに絶望に耐えるか、あきらめるかが課題である。昭和にはネットもないから、子供は同志の存在も知らずに、ただ一人で地獄に耐えるだけだ。


 何をしても殴られるだけだと、何もしなくなる。親が全く信用できないと分かれば、最低限の会話しかしなくなる。といって独立する能力もなく、親元にいるしかないので、黙ったまま憎悪だけが溜まっていく。母は「いつか子供に殺される」とよく騒いでいたが、それは自分が親に持っていた殺意を自覚しそうになってあわてていたのだと思う。ただ、自分が殺されるようなことをしたという自覚はあったようだ。


 自分の母親から何ももらえなかった母の願望は、ただの死だった。よく私に「私は愛情をもらえなかったから、お前には何もやれない。ない袖は振れない」と、はっきり言っていた。死んで楽になるのが夢だったと思う。火葬しても頭蓋骨が残るほどに頑丈だったので、体を壊すにも相当苦労したようで、数日おきにゴミ置き場にビール瓶が山のように並んだ。五十代にやっと肝臓癌になり、入退院を繰り返して、七十で無理に作ったような家族に看取られて死んだが、誰かを責めたり非難したりはしなかった。寝たきりで世話をされることで「誰かに頼る」という夢がかなって満足だったのだろう。




 私は幼少は性格の悪い父方の祖母にゴマをすり、母が家を出てからは、すぐキレる母におびえては殴られる(私のおびえは、イコール自分に対する攻撃である、という解釈だった)、それでますます気弱に情けなくなり、かっこよさの殻を着込んでは、すぐ剥がされて丸裸で切り刻まれる、の繰り返しにより、本来の自分というものは意識下に深く封印された。呑気でお笑いの自分を、まず祖母が消し去り、次に母がないものにして葬る、という具合に二重にやられたせいで、私は今の五十五歳の年齢になるまで、自分の性格というものをろくに知らないどころか、容姿すら知らない。

 自分を見るのが気持ち悪くて常に無視して育ったので、周りの証言から元は結構なイケメンでスタイルも良かったらしいが、育つにつれ、ゆがんだ幽霊のようなおぞましい顔になり、みっともない猫背になった(さらに悪いことに怒り肩だったので、見た目はヤクザそのもので、どこへ行ってもやたら絡まれ、職質の常連だった)。今はやっと鏡を見れるようにはなったが、見てもまるで知らない一人の爺さんが、気味の悪い目でにらんでくる恐怖しかない。


 もちろん外見だけでなく、自分の性格も性質も無視して年老いたので、なにをやっても全て失敗した。あるものを好きだと思っても、大抵はカッコつけのために無理してハマっているだけで、まっかな嘘だからだ。「俺はこういう人間だ」とか「こういうのが好きだ」と誰かに言っても、「へー、全然そうは見えないね」と言われ、まるで納得できなかったりした。そして続けるうち、しんどくなって、急に嫌いになってやめる。もし人並みに人付き合いしたり恋人なんか作っていたら、今頃そこら中で家庭を作っては壊しして不幸を撒き散らし、「男のクズ」「女の敵」と呼ばれていたろう。


 そうならなかったのは、完全に弟のおかげである。というか彼が精神的に依存してあれこれ世話してくれなかったら、生活力ゼロの私はおそらく二十年も生きられなかったろう。弟は母の遺伝をもろに継いでいて性格がとてつもなく悪いので、みんな怖がって逃げてしまい友達がおらず、同じく不適応な私にはちょうどいい相棒なのである。

 最近は私が彼の「求愛」を受け入れてきたせいか八つ当たりもしなくなった。彼は太宰のようなお道化という名の「求愛」をするが、若いころの私はそれを嫌がっていた。が、ほかに相手が誰もいないので、彼は無理に押し付けてきた。実はこっちもそのお道化を嫌いなわけではなく好きだったが、それでも拒否していたのは、たんに自分が誰にも受け入れられないのに、他人を受け入れねばならないという理不尽に耐えられなかったのだと思う。




 そして今年で五十五歳。無理をすることに心身が耐えられなくなり、ちっぽけで無才な自分を、あきらめて「大人しく」受け入れるようにはなってきた。


 自分は自己愛性パーソナリティ障害(以下、自己愛)の軽いやつだが、両親はともに重症で、酷い嘘つきだった。自己愛は、親に愛されなかった事実を隠蔽するために、嘘をついて自分を防護する病気だが、私も幼少から今日に至るまで映画や音楽、詩の世界で大成功した自分を妄想し、なんとか自尊心を保ってきた。子供のころ、無価値な自分を完全に忘れ果て、「自分は世界から評価され、好かれ、愛されている有名人である」「偉業を成し遂げた価値ある偉人である」という大嘘に耽溺しうっとりしていた、あの甘い快感を思い出すと、今ではぞっと恐怖するが、それでもその時代に帰りたい自分がいる。普通の人には想像するのもおぞましい世界だろう。

 実際、忌み嫌われて学校でも社会でも散々いじめられた。いつも親しめず不自然で、頭が妄想でいっぱいの人間なんて怖くて気持ち悪いだけだし、仕事が出来ないとかで自分に害が及んだら、攻撃して当然だろう。その地獄は、少なくとも五十過ぎまでは続いた。が、五十五になると、なぜかぴたっと止まった。もう無理をする体力がないからだろう。


 といって、そこから抜けれたわけではない。五十年以上も続けてきた悪癖だ。ゆるぎない血肉になっているのは間違いない。

 詩などは才能が皆無だったわけではないので、勘違いに拍車をかけたが、「どこぞの大企業の誰かと知り合いだ」と大嘘を吹いていた義理の父(離婚後、母が連れ込んだ)と違い、そんなふうに他人に吹聴して承認される必要があまりなく、ある程度は妄想だけで済んでいた。


 私はその義理の父を腹の底から憎んだが、それはなんのことはない、「自分と全然違う」「少なくとも自分は、あんなのよりは全然マシだ」と思い込んでいたのが、実はほとんど同じだったからだ。近親憎悪である。

 その嘘つきの義理の父と同じく、私も妄想が現実と完全に乖離していた。だが、それを認めることは、別の意味で死んでも無理だった。息子の自分に全く愛情をくれなかった母が、そいつの言うことなすことは全て喜んで肯定し、身も心も捧げて愛してやっていたことに、ガキの自分はとても耐えられなかったのである。これじゃハムレットにハマるのも無理はない。


 そいつが酷い死に方をして十年以上になる今では、「なぜ、ああもそいつを嫌っていたのか」とか、「あれは完全に自分そのものだったじゃない」とか、後悔の念もおきる。が、向こうも厳格な父親面して虐待しかしてこなかったし、ぶっちゃけ幼い同士のいがみあいでしかなかったから、仕方なかったとしかいえない。

 とにかく自分は、わずかな才能と弟の存在のおかげで、酷い自己愛にはならずに済んだ。それでも現実との乖離や、対人恐怖は変わらないが。




 今の目標がなにかといえば、簡単なことで、カウンセリングを受けて少しでもまともになることだ。若くて金があるときには、どんなに鬱状態で苦しもうが、周りから虐待されようが、受ける気がしなかった。「自分が世界的に認められる天才である」という甘美な「設定」を放棄し、「ろくに才能がなく、誰が見ても、ただの平凡なダメ男でしかない」という現実を知ることになってしまうからだ。年寄りの今でも、そう思うのは怖いくらいである。


 しかし、もうそうは言っていられない。このままだと鬱が高じて悲惨な最期になることは明らかだ。だが、切羽詰ったときに限って、先立つものがない。一回に一万もかかる治療のため、何ヶ月もかけて貯金するしかない。もし、そのあいだにくたばったら、それはそれで仕方がない。それまでだったということだ。


 最近は頻尿による不眠鬱になっており(夜中に何度も尿意で起こされて睡眠が激変し、鬱状態になる)、医者に泌尿器の薬をもらったが、そんなに効くわけでもない。そして鬱になると大食いになって金がかかり、また治療が遠のく。


 行く末には絶望しかないが、これも元は親のせいとはいえ、長きにわたり嘘に溺れていた自分の自己責任というやつだ。六十まで生きられると思ってはいないが、まだ最低限度の仕事は出来るので、手遅れではないし、まあやってみようと思う。


 思えば人生は、自分という変な物体を使った実験のような感覚がある。前例がなく手本もない。道なき道を開拓するしかない。

 いやカウンセリングくらい誰でも受けるから前例はあるが、自分の顔も姿も中身も知らずに年老いた人間なんて、ほかに見たことがないからね。



(追記)

神「これだけバカを繰り返して苦しめば、もうてめえがただの詩人でしかないことが分かったろう!」

私「はあ、そうすね」

神「なんだ、歌の用意はせんのか? 小説の新人賞は? ネットでバズる手もあるぞ。承認欲求さえ満たせば、それでいいんじゃないのか?」

私「詩の朗読はします。ギターを使って」

神「ほらほら、まぁたミュージシャンになって大成しようって魂胆だな! よしよし、また嫌になって苦しんで、泣いて詩に戻るまで、せいぜい動かぬ指を駆使して大恥を――」

私「弾きません。ノイズを出すためです」

神「そんなんじゃ、成功しないぞ。また誰も理解できないことをして引かれたいのか? 有名になって、お前を無視し、バカにしてきた世間を見返す。それがお前の望みだろう?」

私「それ、私じゃなくて母親の望みなんで。しかも奴は死んでもう十年以上にもなります。もう幻影に振り回されてバカを繰り返す体力も気力もありません」

神「バカが! このバカが! それじゃ今まで散々苦労し、傷ついてきた悲惨な人生は、一体なんだったのだ?! 今まで生きた地獄の日々を全て無駄にし、フイにし、まるっきりなかったことにして、いいのか?! それではただのバカではないか。フヌケではないか。この負け犬が! やり返せ! 復讐するのだ! お前をいじめ抜いてきた全ての糞どもに!」

私「全部無駄でいいですよ。私はただ、幸せになって気楽に生きたいだけです」

神「よくぞ言った。その言葉を待っていたのだ」

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