妖精薬師と吟遊詩人

葛瀬 秋奈

妖精薬師と吟遊詩人

 雪がふるふる、雪が降る。しんしんと積もりゆく雪を小さな足でしっかりと踏みしめながら、妖精薬師は白い息を吐いた。


 こんな日は家でゆっくりハーブティーでも飲んで過ごしたいところだが、妖精薬師のフィオレにはそうもいかない事情があった。


 世界中で蔓延していた疫病にようやく解決の目処が立って、大手を振って表を歩けるようになったのだ。今のうちに材料をたくさん集めて、雪が溶けたら完成した薬を街へ売りに行かなければならない。


 貨幣なんてなくても妖精は生きていけるけれど、自分の作った薬で人間たちが笑顔になるのがフィオレは好きだった。そのためなら少しぐらい寒くても我慢できる程度には。


 そういえばあの人間に出会ったのもこんな寒い日だったな、とフィオレは思い出す。



 数年前の春の初めのことだ。


 大して重くもなっていない薬草かごを背負い、フィオレは帰途についた。もう日が沈みかけている。悪戯好きな氷の精霊たちが全てを凍てつかせる前に、家に帰らなければいけない。


 ふと、叫び声のようなものが聞こえた気がした。雪の日は森が静かだから、小さな音でもよく響く。フィオレのような耳の良い妖精には尚更だ。辺りを見回すと、黄色いキャンプテントがあった。


 テントには気配遮断と断熱の防護魔法がかけてあった。声が聞こえなければ気づかず通り過ぎていただろう。フィオレは迷ったが、恐る恐る声をかけた。


「すみません、何かお困りですか。私はこの近くに住む妖精ですが、良ければお話聞きますよ」


 やや間があって、テントの出入り口が開いた。中から顔を覗かせたのは、人間の青年だった。彼の手招きに応じてテントの中へと入る。


「お気遣い頂きありがとうございます。しかし、ほんの小さなささくれを弦に引っかけてしまっただけなのです。お恥ずかしい」

「弦というと、弓を扱う方ですか」

「いえ、旅の吟遊詩人をしています」


 吟遊詩人を名乗った男が見せてくれたのは、手に収まる大きさの竪琴だった。


「古代人のようなことをしているのですね」

「よく言われます。笛もあるのですが、弾き語りにはこちらの方が便利でして」


 吟遊詩人は照れたように笑った。ぼさぼさの赤毛がふわりと揺れる。その仕草の一つ一つに人の良さがにじみ出ていた。だからフィオレはこんな提案をした。


「ささくれと仰いましたね。ちょうどよく効く薬があるので、良ければ使ってみませんか」


 フィオレの差し出した塗り薬を、吟遊詩人は不思議そうな顔で患部に塗る。すると消えるように傷が治った。吟遊詩人はひどく驚いて、しかし瞬時にその顔に陰りが指す。


「あなたの薬は素晴らしい。ですが、きっと高価なのでしょう。その対価に見合うだけのものを私は持っていないのです」

「したくてしたことですから、お代は結構です。それでも気がすまないと言うのなら、この薬の宣伝でもしてください」

「お安い御用です」


 吟遊詩人は今度こそ手放しで喜び、感謝した。正直言ってフィオレは大して期待していなかったのだが、その年は軟膏がよく売れた。吟遊詩人は約束を守ったのだ。


 彼はそれから何度か冬が近づいてくると薬を買い求めに来てくれたのだが、外出自粛令が出てからは会っていない。元気にしているだろうか。疫病に負けてはいないだろうか。異邦の友との再会を、妖精薬師はずっと待っている。


(了)

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