ハンドクリームの匂い

凪風ゆられ

第話

 うっすらとレモンの匂いがするハンドクリームをくれたのは、彼氏だった。

 手が乾燥しやすいのもそうだが、なによりも好きな人からのプレゼントというのは、私をとても喜ばせた。


 そして、つい先日彼氏とは別れることになった。


 ほんの些細なケンカだった。どこにでもあるような、さほど重大でもないもの。

 普段ならば一時間もすれば互いに謝るところだったのだが、今回はどこかの歯車が狂ったのか、私も彼も一歩たりとも譲ることはなく──結果、関係を終わらせることを告げられた。


 文字通り全てが終わった後、後悔と自責の念に押しつぶされそうだった私は、彼にメールを送ろうとしたが、散々悩んだ挙句送ることはできなかった。 

 もちろん、向こうからメールが来ることもない。


 別れてから指先に一つのささくれが目立つようになった。

 原因は分かっている。だけど、今は、使いたくない。

 あのハンドクリームの匂いには、あまりにも眩しすぎる思い出が詰め込まれ過ぎている。


 もういっそのこと捨ててしまおうか。

 視界に入るだけで辛く泣き出してしまいそうになるものなんて──と思うものの、今でも想っている人からの贈り物をそう簡単に手離すことなんてできなかった。


 掴んだクリームケースを机の上に置き、ベッドに倒れ込む。

 少しくらいは彼の残り香があるのではないかと期待したが、それもむなしく自宅特有の香りを一切感じることができない匂いしかなかった。


 枕に顔をうずめて何も考えないようにしていると、私の理性が崩れていくような気がした。

 ゆっくりと、されど確実に。自覚したときには時既に遅し。

 顔を押し付けているのに涙が止まらない。


 できるだけ表には出さないようにしていた感情がとめどなく溢れていく。

 泣いて、喚いて、想いを吐き出して。

 落ち着いてきた頃には枕はずぶ濡れ。泣き続けたせいで頭も痛い。

 

 机の上からクリームケースを取り、ささくれのできた指でそっとなぞった。

 私はこれを切ってもいいのだろうか。

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ハンドクリームの匂い 凪風ゆられ @yugara24

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