ぶどう

@yawatako

ぶどう

 プシュ、と情けない音を立てて、電車の扉が開く。流れ込んでくるのは、あるがままの夏――体にへばりつく熱気と、ミーンミンだとかジジジジだとか鳴くセミの大合唱と、意外にも冷たさの残る風。

 都市ドームの外は人の住むところじゃないってよく言うけど、本当にそうだと思う。管理のされていない自然はどうしようもないくらいに暴力的で、不快で、好きになれる気なんてしなかった。

 一瞬で噴き出た汗を手の甲で拭って、わたしは空を見上げる。憎らしいほどまでに青い空に、昼間でもよく見える大きな星が一つ、浮かんでいた。


 あと少しで、あの星は隕石になって落ちてくる。


 それはあんまりにも大きかった。地球にぶつかったら、何もかもなくなっちゃう。……って、みんな言っている。

 たぶんそれは、本当のことなんだろう。わたしは難しいことはわからないけど、空に浮かぶ星の一つがどんどん大きくなっていくのを見れば、子供のわたしでも理解できる。

 だから何もかもを宇宙船に乗せて、順番にコロニーへ避難するんだ。小学校でも一人、二人と友達がいなくなり、夏休みに入る頃にはクラスの三分の二がいなくなっていた。

 わたしとお母さんとお父さんと、おばあちゃんとおじいちゃんの番が、来週やってくる。その通知が来たのは半年も前のことだ。わたしたちは物を減らし、送って、引っ越しの準備を整えた。だから今度は、おばあちゃんの家に行く。おばあちゃん一人じゃ、手が回り切らないだろうからって。

 おばあちゃんちは都市ドームの外にあった。ずっとずっと昔から同じ場所で、ぶどうを育てている。今はちょうどぶどうのシーズンで、本当だったら収穫で大忙しだったはずだ。毎年お母さんはおばあちゃんちに行ってお手伝いをしていたけど、今年は違う。


 今年は、わたしが、おじいちゃんのお手伝いをするんだ。


 もちろん、自分からしたいって言ったわけじゃない。お父さんとお母さんがおばあちゃんちを片付けている間は暇だろうからって、おじいちゃんからの提案された。ううん。あれはもう強制だったと思う。私は電話口で固まって、うん、って言うのがやっとだった。

 駅前にはおばあちゃんが車で迎えに来てくれていた。みんなで乗り込んで、おうちに向かう。

 正直、このままおうちに行くのは、すっごく気が乗らない。だって、おじいちゃんはよくわかんない人なんだもん。あんまり喋ったことないし、いつもおうちにいないし。見上げるほどに大きいし。たぶん、怖い、のだと思う。


「ねえ、お手伝いって、なにすればいいの?」


「何すると思う?」


 お母さんが笑いながら言ったので、わたしはすこしむすっとした。


「ぶどうをとったり、箱に詰めたりとかじゃないの?」


「それ以外にも、出荷用の段ボールを組み立てたり、選別もしないといけないのよ」


「選別?」


「収穫してきたぶどうの状態をチェックして、出荷できるように分けるのよ」


 そういうのもあるのか、と思った。食べ物がどうやって自分の家に届くのか、わたしは農家の孫だけど、何も知らない。

 車はスムーズに、おばあちゃんちについた。飛び出して、身体をぐぐっと伸ばす。一日中移動していたから、とっても疲れた。はやく冷房の効いた部屋でごろごろしたい。アイスも食べたい。地球最後の夏をのんびり過ごしたいなんて思っていたら、


「ほれ、じいちゃんを手伝ってきな。離れの小屋でやってるはずだから」


 おばあちゃんが顎で庭にある作業小屋を示した。わたしは全身でNO! って言ったと思う。だけどお母さんにも、お父さんにも、行けって言われちゃったから、しぶしぶ離れに向かった。

 離れはいつも鍵がかかっていて、中が見えなくなっている。だけど今日は全てのガラス戸が開いていた。ラジオの音が聞こえる。


 そこには、ぶどうの海があった。


 新聞紙が敷き詰められた部屋の中央に、きれいに三列、ぶどうが並べられている。その目の前、部屋の奥に、よく日に焼けたおじいちゃんが陣取っている。

 おじいちゃんは茶色いプラスチックのケースから、大きな手でぶどうを摘まみ上げ、そっとはかりの上に置いた。メモリを確認し、ハサミで房を少し切って、真ん中のぶどうの列に置いた。

 次の房は見るなり一番端っこの、あきらかに状態が悪いぶどうの列に置いた。

 淡々と、静かに、ぶどうは仕分けられていった。


「お、おじいちゃん。わたし、手伝いに来たよ」


 完成された光景を壊すために、私は声をかけた。完璧な集中力を見せていたおじいちゃんは、ぶどうを摘まみ上げる手を止め、私の方をちらりと見る。一瞬だけ交差する視線。「何しに来たガキンチョ」おじいちゃんに呼ばれたから手伝いに来たのに、なんだかそう言われているような気がした。


「上がれ。お前は向こうだ」


 よく見れば、おじいちゃんの反対側、ぶどうの海の対岸に、作業スペースができていた。私は恐る恐る靴を脱いで、上がった。はかりと、ボウルと、ぶどうがいっぱい詰まったプラスチックのケース。その真ん中に置いてある、小さな椅子にわたしは座った。


「ぶどうの選別だ。房の軸がよくよく見えているもの、持った時にぐにゃりと曲がるものはだらっぷさだ。お前から見て一番右の列に置け。腐っている実、かびが生えている実、色づきが悪い実、ジベ焼けしている実ははさみで取り除け。百五十グラム以下は一番左。以上は真ん中の列だ。二百グラムを越えたら、上の方を少し切って重さを調節しろ」


「じ、じべ?」


「ジベレリン。種なしぶどうにするときに使う薬品だ。液につけてすぐに落とさないと、ぶどうに跡がつく。網目のようについているシミがそうだ。悪い実を取って、穴だらけになったらだらっぷさだ。いいか?」


 わたしはなんとか頷いた。頭の中は大混乱を起こしていて、全然理解できてない。だけどもう一度聞く度胸なんてないから、私はぶどうに手を伸ばした。


「持つ時は摘まむようにしろ。粉が落ちすぎると見栄えが悪いとかで商品価値が下がる」


 確かに、ぶどうの表面は白い粉で覆われていて、鈍い紫色になっている。人差し指を押し付けてみる。そこだけ楕円状に、鮮やかな紫になった。

 熊手みたいに開いた手で、ぶどうをそっと持ち上げる。思っていたよりもずっしり重い。ぐにゃりともしない立派なそれを、ゆっくりとはかりの上に乗せ、ぎゅんぎゅんと動く針を見つめる。針は百六十グラムを指して止まった。ええと、だからこれは、真ん中? 列に加えようとして、おじいちゃんに睨まれた。


「ちゃんと見たか」


 慌ててぶどうを確認する。見てなかったところに、潰れて汁の出た実がいくつもあった。ハサミをつかって取り除き、もう一度はかりの上に乗せる。百五十グラム以下にはならなかったので、今度こそ真ん中の列に置く。

 これでやっと、一つだ。ケースの中にはまだ気が滅入るくらいにぶどうが入っている。何時間かかるんだろ。涼しい部屋にいるであろうお母さんとお父さんが恨めしかった。

 気を取り直して、次のぶどうを摑む。今度のは手がつりそうなくらいに重い。ぱっと見た限りでは汚れも傷もなかった。なんだか嬉しいな。重さをはかってから真ん中の列に置く。

 そんなふうに一喜一憂しながら作業を進めているから、どうしてもスピードは出ない。その間にもおじいちゃんは手早くぶどうの選別を進め、わたしが一ケース終える頃には、別の作業に取り掛かっていた。ぶどうの箱詰めだ。

 列になったぶどうを、お店でよく見るプラスチックのトレーに詰め、そっとはかりの上に置く。房を入れ替えては、またはかる。そうやって目指している重さになったトレーを、段ボールに入れていく。

 おじいちゃんの顔が見たことないくらいに優しくて、私はじっと見入ってしまった。


「……作業、終わったなら、帰っていいぞ」


 わたしは頬がかぁと赤くなるのを感じた。そう言われるまで、自分が目の前の光景に夢中になっていることにさえ、気づかなかったからだ。


「えっと、じゃあ、先、帰るね」


 返事も聞かず、そのまま逃げるようにおうちへ向かった。



 ●


 次の日も、また次の日も、お手伝いをした。朝ご飯を食べて、水筒を片手に離れに行く。おじいちゃんは先に来ていて、作業をしている。わたしの方を見もしない。朝、わたしが起きるよりも前に畑に行って、ぶどうを収穫しているらしかった。

 たまにお母さんやお父さん、おばあちゃんが様子を見に来るのを除けば、とっても静かに作業をしている。響くのはラジオとハサミとセミの声だけ。おじいちゃんは機械みたいにぶどうを選別しているから、声をかけるのは怖くって駄目だ。わたしもうつむきがちに、淡々とぶどうを区別する。

 真ん中、左、真ん中、真ん中、右、左、左……。

 わたしの選別の腕は、なかなか上達しない。粉を落としすぎないようにしようとすると、傷を探すのがおろそかになる。潰れた粒を念入りに取り除くと、その穴だらけのぶどうはだらっぷさなのかと何分も悩んでしまう。房を摑んでいた右手が痛み出したのも辛かった。たぶん、ただの筋肉痛なのだけど、余計に作業が手間取るようになった。こうなってくると本当に駄目で、気づくとラジオを聞く方に集中している自分がいたりする。「避難が六十パーセント終了しました」「備蓄食料の準備はおすみですか?」「宇宙服の申請はお早めに!」とか、全部隕石の話題だ。聞いていても楽しくない。

 本当に、避難するその日までに、ぶどうの出荷は終わるのだろうか。こんなのでほんとうにおじいちゃんの助けになっているのだろうか。頭の中でぐるぐると回る考えが二つ。でもそれを、目の前にいるおじいちゃんにぶつける勇気は、無かった。


「……どうした。何か分からんことでもあるのか」


 だから、おじいちゃんからそう切り出されて、わたしは手からぶどうを落としそうになった。えっと、とか、その、とかしか、言葉が出てこない。だけど、わたしを見つめるおじいちゃんの瞳が、とってもやさしい色をしていることに気づいたから、わたしはその先の言葉を口に出していた。


「……この仕事に、意味はあるのかなって」


「意味なんかない」


 わたしは目を見開いた。おじいちゃんはその大きな手で、ぶどうの粒を弄んでいる。


「じゃ、じゃあなんでわたしに手伝えって言ったの?」


「宇宙では……これから行くコロニー、だったか? そこでは、こういうことができないだろう。だから、お前には覚えておいてほしかったんだ。ぶどうを食べるたびに、夏が来るたびに、地球の夏を思い出してほしい。だから俺は、お前に手伝ってもらうことにした」


「なに、それ」


 わたしはくすくすと、それからげらげらと笑った。おじいちゃんの前で笑うなんて、もしかしたら初めてのことかもしれない。


「忘れるわけないじゃん。おじいちゃんからはいつも土のにおいがするんだよ。嫌でも思い出すに決まってんじゃん」


「……ああ、そうだな」


 おじいちゃんの目に、悲しいような、寂しいような、そんな表情が一瞬だけ浮かんだ気がした。だけどわたしは、笑うのに必死で、見なかったふりをした。


 ●


 意味がないと言われた作業をしながら、最後の夏は過ぎていった。

 お母さんと調べてみたところ、出荷したぶどうは保存食に加工されるから、まったくの無意味でもないみたい。そのことがなんだかとっても嬉しくて、鼻歌を歌いながら作業した日もある。

 おじいちゃんは、最後の日までおじいちゃんだった。いつも静かで、無言で、機械みたいに、完成された絵みたいに、ぶどうの海を豊かにしていった。

 わたしはというと、あんまり上達した気はしないまま、その日を迎えていた。手は筋肉痛でずきずきするし、同じ姿勢を続けた腰も肩も痛かったけど、最後だと思うと頑張れた。だから、ちょっと頑張りすぎたみたい。最後の夕飯としてお寿司を食べている間も、お風呂に入っている間も、ずっとずーっと、眠たくて仕方がなかった。

 すっかり広くなってしまったおばあちゃんちで、布団に寝っ転がる。不思議な感じだ。明日も、今日みたいに作業を続けているような気がしてならなかった。そんな意識も水に溶けるみたいに、すぐに眠りに落ちていったのだけれど。

 次に目が覚めると、お父さんに背負われていた。

 眩しいくらいに明るい照明と、鳴り響くアナウンス。「宇宙船にご登場される方は、ID確認を行います。首を露出してお待ちください」

 ここは、宇宙港だ。そう気が付くのに、たいして時間はかからなかった。


「あ、やっと起きた? これから船に乗るから自分で歩ける?」


 お父さんに促されて、わたしはあくびをしながら、動く歩道の上に立った。

 まだ頭の中がふわふわする。思いっきり伸びをして、辺りを見渡した。お母さんたちがいない。


「おばあちゃんは高齢者用の手続きがあるとかで、お母さんと一緒に行ったよ。お父さんたちは先に乗って、待ってようか」


 はい、とわたしのリュックを渡される。記憶にあるよりもずっと重くて、よろめいた。ん?


「おじいちゃんは?」


 お父さんはとっても優しく微笑んだ。


「おじいちゃんは、また別行動だよ。ほら、そろそろIDリーダーをくぐるよ。首出して首」


 IDを読み取られる間も、お父さんに手を引かれて宇宙船に乗り込む間も、ずっと、なんだか妙な気持ちだった。おじいちゃんのことが気になって仕方がない。思わず後ろを見るけど、人ごみがあるだけで、土のにおいはどこからもしなかった。

 飛行機みたいに並んだ座席に座って、私はリュックを抱き抱える。隣でお父さんが荷物を上の戸棚に乗せている間に、ファスナーを開けた。

 そして、それを見つけた。


「本?」


 辞書のように分厚くて、重い、立派な本が一冊、リュックの中に入っていた。表紙には「果樹大全」と書いてある。なんだこれ。わたしの本じゃないぞ。見たこともないし、入れた記憶なんてもっとない。思わずお父さんの方を見た。お父さんは、なんだか悲しそうな顔で、頷いた。だからわたしは混乱しながらも表紙をめくった。そこには、一枚の手紙が挟まっていた。

 あ、と声が出た。そこに何が書かれているのか、もう、なんとなく、想像がついていた。



 結局のところ、書き残しておくことにした。そうでもしないと、お前の両親と祖母に迷惑をかけることになりそうだったからだ。

 結論から先に述べる。俺は、コロニーへは行かない。

 俺や俺の父、祖父、曽祖父、それよりも昔の先祖一同。彼らが守ってきたこの畑と、最後まで共にあろうと決めていたからだ。

 俺は、良い祖父ではなかった。これまでの通りに行けは、このおいぼれが死んでもお前はさほど悲しまず、コロニーでの生活を送れただろう。

 詰まる所、俺のわがままにお前を巻き込んだのだ。お前との、思い出が欲しかった。

 お前は、怒るだろうか。悲しむだろうか。それとも、せいせいしたと笑うだろうか。

 俺にはわからない。これまで、お前とは深くかかわってこなかったからだ。

 そのことは少し、後悔している。

 そうそう。くれてやった本は、果樹についての基本的な知識が載っているものだ。もし興味があれば、そして可能ならば、向うで何かを育ててみるのもいいと思ってな。給料代わりとしては安いかもしれないが、祖母に補填してもらってくれ。

 いつまでも健やかに。



 わたしは手に力を込めた。手紙がぐしゃりと歪むけど、気にしてなんていられなかった。

 胸がばくばく言っている。呼吸が浅くなる。文章の、文字の理解がうまくいかない。何度も何度ども読み返す。何度も、何度も。そのたびに言葉は、摑みどころもなく溶けていく。

 自分が泣いているのだと、ようやく気付いた。

 頭の中が真っ白だった。わかりたくなかった。だけど、お父さんが私の肩を力強く摑んで、抱き寄せたから、ああ本当なんだって、これに書いてあるのは間違いのない事実なんだって、理解した。

 おじいちゃんは、行かないのだ。宇宙へは。

 あの暑い夏に、セミのうるさい夏に、意外と涼しい風も吹く夏に、一人で取り残されることを選んだのだ。

 わたしは涙をぬぐうこともせず、窓の外を見た。そこには、憎たらしいほどの青空があった。


 夏。ぶどうに彩られた、地球最後の夏。


 わたしは、大好きになれたんだ。この夏のことが。


 わたしは本を抱きしめたまま、うわんうわんと泣いた。

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