第7話、過去

 尚王は思う。夜燈が毒を盛られたことは、ほぼ間違い無いだろう。

 では、誰が? その理由は? それが大舟だとして、下働きの奄人えんじんを利用するやつがいるのか? 刃物でも持たせればもっと楽に殺せるだろうと思う。機会がない? 護衛がいる? なら、どうして少しずつ毒を盛るなどということを。俺にやったように、一晩で死ぬようにすれば良かっただろうに。


「自分が逃げるため……という感じもしないんだよなあ」


 呟いて、そのおぼろげな違和感を確認する。誰かが大舟を利用してというには回りくどい。であれば、大舟個人の恨みだろうか。奄人になったというからには、去勢を施した国に対して恨みがあっておかしくない。だとして、なぜ夜燈だけを狙った? 夜燈が直接関係すること……。


 尚王は蔵書閣まで来ていた。大宰である夜燈が関わるような大きな事件であれば、必ず記録があるはずだ。重い扉はかんぬきがかかっていなかった。誰かいるようだ。薄暗い中から、落ち着いた声がかかる。


「おや、尚王様」

「少しよいか。れきしを調べたい」

「何を、でございましょう」


 出てきた老史官が目を瞬かせた。大史である。史官とは王に仕えるのではなく神に仕えるものだと言ったのは誰だったか。この大史もまた尚王を見て恐れることはなかった。璃珠りしゅのほうが話しやすいだろうが、彼女は大舟を疑っている。できれば、他の者に頼みたかった。


「二十年前から王家に関わるもの全てだ」


 大舟の年は二十過ぎだ。であれば、とりあえず二十年前から調べるのがいいだろう。……何も出なければそれでよい。


「全てと。二十年のことを全て語るには二十年かかりましょう」

「はぐらかすな。王とは恨まれるものである。これまで俺たちが何をやってきたかを知りたい」

「……なるほど」


 大史は長い白髭しろひげでてみせた。この男は淡々としている。彼は目の前の尚王ではなく、その向こうにあるもっと大きなものを見すえているようだった。


「二十年前といえば、豊王様が大公様を太師にむかえ、兵を挙げた頃ですな」


 豊王は尚王の祖父だ。皓華に長男を人質に出していたが、それを殺され挙兵したという。それから一年で亡くなり、挙兵から五年で皓華は滅んだ。豊王はこの華の基礎を作った偉大な王として祀られている。


「豊王、思熾しし様は当時の華国では西方の公でいらっしゃいました。主君に刃向かうことは大罪です」

「だが皓華とて黎華を打ち倒して成った。滅ぼされるのは当然であろう?」

「では、この華とて同じことですな」

「まったく、その通りだ」


 間髪入れずそう返せば、大史は髭の下でわずかに笑ったようであった。尚王は、少しこの史官を試してみたいと思った。あれほどに退屈な歴史を、後の世のために書き記すという仕事がどんなものか知りたくなった。


「天は我らを選んだという。まことか」


 大史は静かだが、何にも動じることのない声で答える。


「黎華の時代は天を祀っていたわけではありません。狐や熊といった自然のものを祀っていたのです。それが皓華では祖先を祀るようになった。そして皓華二十二代の王、舞丁ぶていが祖霊のおわすところとして天を祀り始めたのです」

「祖霊か。人は死ぬとたましいが天に昇りにくたいが地に還るのだな」

「はい。天に昇った魂は、いずれ降りてきて魄を得て人になります。しかし、王は違うと舞丁は考えました」


 しんとした蔵書閣に朗々とした声が落ちる。


「かつての七王のような神に遣わされた英雄は役目を終えて天に昇り、そのまま天人てんじんとして神に仕えているという伝承があります。であれば偉大な王も天人になったと信じたのです」

「それで供物として人贄じんしんくぎをか」


 衡大公の一族はみな殺されたという。その血は天――皓家の祖霊への供物となった。


「人は祖霊への供物として最も良いものとされました」

「それを止めたのが祖父上だ」


 この華でも天を祖霊の行くところとして祀る。しかし人を殺しはしない。いや、正確に言えば今でも人を供えなければ天は満足しないと考える者はいる。父、勇王の時代にも、人贄が使われていたと聞いた。しかし今、そのようなことはしない。少なくとも、王家の祭祀では使わない。


「良いことではないか」

「天のことは図りかねますゆえ、なにも」

「言いたいことがあれば言え」


 老大史はゆっくりと口を開き、揺るがぬ声でこう言った。


「天が……つまり神といわれるものが何を求めているかなど、人には分からないのですよ」


 尚王ははっと彼の目を見た。そこには目に見えない時が沈んでいた。


「その点で言えば、皓華が間違っている、この華国が正しいとは言えないわけです。祖父君である豊王様が、それを建前にして皓華を滅ぼした。これだけが事実なのです」

「……言いたいことは分かった。だが、太師の一族のようなものはそれで助かっただろう。だからこそ彼らの支持を得て、皓華を倒すことができたのだ。それを悪いとは言えまい」

「悪いとは言えませんが良いとも言えません。王家が変わり、皓華の民は追いやられさげすまれるようになりました。技術を持つものは国に仕えておりますが、決して良い身分とは言えません。これではにえになる者が変わっただけです」

「……確か、皓華の遺民の大きな反乱があったのだな」

「はい。十二年前のことでございます」


 新たな華が建ち三年で勇王が崩御した。そして十二年前、つまり勇王が崩御してすぐに皓華遺民の反乱が起きたのである。


「恨まれたか……」

「しかし国を維持するためには武力で鎮圧しなくてはならなかったでしょうな。そして反乱があった以上、厳しく押さえ込まねばなりません。でなければ世が乱れますので」


 本当に、この男はどちらの味方をしているのか分からない。


「鎮圧したのは叔父上だな」

「少なくとも大宰様はそうお考えになってそうしたのです」

「母上が亡くなったのもその時のことだ」


 夜燈と衡大公が兵を出し、反乱の鎮圧に向かった。そのさなかに王城に侵入した賊によって尚王の母、雅妃が死んだ。仲燿が生まれてすぐの話だ。尚王はそうと知っていても、夜燈たちに深く聞いたことはなかった。聞いてはならない気がしていた。


「その通りです。そして侵入者と通じていたとして緑公清ろくこうせいが首を刎ねられました。一族も連座して処刑されたのです」

「……誰がやった」

「大宰、夜燈様の名で行われました」


 本当に恨まれる理由に事欠かない。尚王は内心でため息をついた。


「そうか。なぜ緑公ろくこうが賊と通じていたかわかるか?」

「なぜかは分かりません。しかし、なぜ疑われたかなら存じております」

「ほう」

「捕らわれた賊が吐いたこと、そして――」


 大史は言葉を確かめるように語った。


「緑公が都に出兵していたためでしょう」

「兵を?」

「王宮から要請がある前から、都に向けて進軍していたと聞いております」

「……賊に俺と燿を殺させ、兵によって都を押さえるつもりだったと」

「さて、どうでしょう」


 緑公は都に兵を向かわせた。それはいかにも国家転覆を狙ったように見える。


「何かありそうだ」


 夜燈にしてみればやむを得ないことだったのだろうが、あちこちで恨みを買い過ぎている。それと同時に、なぜこんなに俺は知らないでいたのだろうと思った。皓華の遺民の反乱にしても、緑公清の反乱にしても、尚王が夜燈から教えられなかったことだ。

 ……夜燈は隠していたのだろうか。不都合な何かがある?


「尚王様、我々は事実を書き記すのみです」

「そうか」


 確かに、この者たちは王の下僕ではない。


「分かった。よく励めよ」

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