RDB-CR “þyrnumeyjar”

たかぱし かげる

þyrnumeyjar -ささくれの乙女-

 この “þyrnumeyjar” と言う呼び名は古くは9世紀の書物にも見られるもので、訳すならば『ささくれの乙女』となるであろうか。

 北欧の森に棲む美しい幻種である。

 長くその実態は謎に包まれてきた。かつてはおとぎ話フェアリーテイルの類いであると考えられていたが、18世紀にイギリスの伝承研究者ローレンス・カレッジが実在を報告したことで広く知られるところとなった。

 それ以来、þyrnumeyjarささくれの乙女は密猟の危機にさらされることとなり、23年時点でも『野生で極度に高い絶滅のリスクに直面している』とされる。現在において野生での生存が確認されている個体はわずか3体であり、フィンランド政府は保護の観点から棲息地を一切公開していない。

 þyrnumeyjarささくれの乙女は多くモミの木に宿るとされる。始めはわずかなささくれのようであり、それこそがþyrnumeyjarささくれの乙女という名の由来であろう。

 小さなささくれは時をかけて育ち、あたかも幹に彫刻が施されるかのように徐々にその姿を現す。まず顔と頭が形作られ、首、肩、腕、そして胸へと下がっていく。始めは荒々しく削り出された姿かたちは、時と共に造型が精緻になっていき、髪はおろか、睫毛の一本までもが再現されていく。そうして出来上がった滑らかで柔らかな肢体は、木であったとは到底思われないほどだという。その様は樹上の芸術と評されている。

 幸運にもþyrnumeyjarささくれの乙女に出会った研究者の報告によると、彼女らは腹まで出来た頃には美しい声で歌い、話すという。人の言葉にも堪能で、その知能の高さは驚くべきものがある。木から離れることのできない彼女らは森の木々や妖精から学ぶのだと、あるþyrnumeyjarささくれの乙女が述べた記録が残されている。彼女らは近づいてくる人間もそうした“妖精”の一種と捉えているのかもしれない。

 þyrnumeyjarささくれの乙女の造型が腰、そして足先まで完成し、木から独り立ちをするまで実に100年単位の時間がかかるという。その動けぬ間に木やþyrnumeyjarささくれの乙女自身が傷つくことがあれば、彼女らはあっけなく死に至ってしまう。ひとつのささくれが一人の乙女にまで成長する確率は非常に低く、絶滅に瀕する原因のひとつと考えられている。

 無事に成長し、木から離れたþyrnumeyjarささくれの乙女は、しかし木から離れて長く生きることはできない。食べることをしないからだ。ただ彼女らは森を歩き、いくつかの木を選んで小さなささくれを遺す。そして10日ほどで朽ちて死んでいく。

 忌まわしいことに美しいþyrnumeyjarささくれの乙女の姿は美術品として好事家に狙われることとなった。親である木から無理矢理剥がし取られ死んだ彼女らは彫刻像として高値で取り引きされるため、絶滅危惧幻種レッド・データ・ブックリストに載ってなお密猟者に狙われ続けているのだ。

 愚かな人間はþyrnumeyjarささくれの乙女を絶滅させるだろう。

※写真は大英博物館所蔵のþyrnumeyjarささくれの乙女標本。

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RDB-CR “þyrnumeyjar” たかぱし かげる @takapashied

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