第6話 許すまじ、花粉

 オババ様から退去を言い渡された後、源とセラフィナは近所の者に簡単に挨拶だけしてすぐに集落を発った。

 源はエルフたちからちやほやされていた。

 エルフの尺度から見ると若いということももちろんある。

 しかし、最も大きかったのは源の境遇だ。人間たちに奴隷にされていて、命からがらエルフの同胞がいる樹海に逃げ込んだのだと集落の者達は思っていた。彼らは源に同情的だったのだ。

 当然エルフたちには引き留められたが、オババ様からセラフィナと一緒に外の世界を見回ってくるよう言われたと伝えると引き下がった。

 オババ様の言葉は絶対なのだ。

 それでも数人は鬼のような形相をしてオババ様の家に向かっていったが、源たちは止めなかった。

 半ば追放のように放り出されたことの意趣返しである。

 保護者気取りの厄介エルフに絡まれて困ればよいのだ。


「しかし、便利だな。これ」


 仰向けに寝転がりながら、源は感心する。


「樹海は無駄に広いからね。ちょっと遠出するときはこのいばらの道を使うんだ」


 いばらの道。

 文字通りいばらのツタが一直線上に群生して、道路のようになっていた。

 ツタの上に置いた板の上で寝転がり、植物魔法によるツタの操作で高速移動を可能とする樹海のインフラだ。

 植物魔法を使用できるエルフならではの移動方法だった。

 ちなみに快適に移動できているのはセラフィナが植物魔法の熟練の使い手故である。

 未熟なものがこの道を使うと揺れがひどく、とても乗れたものでは無い。

 いばらの道を利用できることはエルフたちにとって一人前の証だった。


「それよりセラ、本当に良かったのか?」

「ん? 良かったって、何が?」

「俺の旅についてくるってことだよ」


 樹海を出るまでの案内だけでなく、その後の旅にもついて行くとセラフィナは源に宣言した。

 源にとってもそれはありがたい申し出だった。

 しかし、どうしても申し訳なさを感じてしまう。


「ああ、そんなこと」

「そんなことって……」


 源のエルフに対する印象は引きこもりである。

 鎖国して他国との関わりを絶ち、森の中でのびのびと過ごす。

 そんなエルフが外に出るのは一大事のはずだ。


「うーーん。確かに他の奴らだったら大事かもね。もう長い事森を出たことが無いって奴らばっかだし。けど、私は特殊だからね。樹海に戻ってきたのもここ十年くらいのことだし」

「ふーん。その前は外にいたのか?」

「話してなかったっけ? なんだかこの森がひどく狭く思えてね。ちょっと家出したんだ。ほんの百年くらい」

「百年って……」


 ちょっとコンビニ行ってくるというような感覚で百年と言われて、源は長命種の感覚に改めて引いてしまう。


「あははは。別になんてことない時間だよ。だからさ、ゲンの旅に付き合うくらい本当になんでもないんだよ」

「そっか」


 セラフィナの温かい言葉に、うじうじと悩んでいたのが馬鹿らしく思えてくる。

 むしろ申し訳なく思って一歩引く方が失礼だったのではないかとさえ考えてしまう。


「ありがとな。絶対楽しい旅にするから」

「ふふ。期待してる」


 セラフィナの柔らかな笑みに源は改めて決意する。

 自身のスキルを制御できず、この先きっとセラフィナにはたくさん迷惑をかけるだろう。

 でも、それを差し引いても良い時間だった。

 思い返した時セラフィナにそう思ってもらえるよう出来る限り頑張るとしよう。


「ぶぇっくしっ! エルフの奴ら、ずびっ、何考えてやがる! ふわ、ぁ、あっくしょい!」


 そんな覚悟をした矢先に、源は毒づいていた。

 その顔は鼻水やら涙でぐしょぐしょになって酷い有様だ。


「あははは! すっごい顔してるよ、ゲン! やっぱり君は面白いね!」

「クソ! まだ夏だってのに、ぐしっ、なんだって花粉が!!」


 樹海の外縁付近に差し掛かりいばらの道も途切れたので、二人は歩いていた。

 そのさなかに源に樹海の守護者が襲い掛かる。

 花粉である。

 源の最も嫌いな季節は春だった。

 希望を胸にキラキラしている連中が鼻につくということもあるが、最たる原因は花粉。

 源は花粉症だったのだ。


「なんでって、そりゃこの森に人間を入れないために決まってるでしょ。この花粉のバリアで侵入者を阻んでるんだよ。幻覚、眠気、神経のたかぶりにその他諸々。エルフの知恵を結集した特別製だ。ほら、綺麗な花畑だろう?」


 杉のような樹木だけでなく、花もまた花粉をまき散らしていた。

 そのため、樹海の縁は色とりどりの花々で満ち溢れているのだった。


「何が綺麗な花畑だ! こんな堂々と性行為しやがって。どんな特殊性癖ですか、このやろー!」

「あー、やだやだ。これだからもてない男は。植物にまでひがんじゃって、恥ずかしくないの?」

「ぐっ……ずびっ、ずるるる……ぐしゅっ!」


 源はセラフィナに言い返そうとするが、興奮のためか花粉が肺の中に蔓延まんえんし、顔面がべとべとになって何も言えない。


「ま、この花粉のバリアを自力で越えられることが樹海から出ていくことの条件だからね。この壁を潜り抜けるだけの実力があるエルフなら外に出ても大丈夫ってことだよ」

「エルフ……じゃ、ずびっ、ない……!」

「うん。だから手助けはするつもりだけど、自力でやれるだけやってみて。大丈夫。ゲンならやれるよ! 信じてる!」


 エルフじゃないから、その条件の適用外ではないか。必死に絞り出した源の言葉だったが、セラフィナにすげなく振り払われる。


「本音は?」

「今のゲンの顔がとっても面白いから、このまま見ていたい」

「ぶぇっくしょん、ちきしょおおおおお!!」

「うんうん。くしゃみの後ってなんか言いたくなるよね。昔マモノって言っている人がいたよ」

「!!」


 その時、ゲンの脳内に電流が走る。

 くしゃみの後に魔物などという言葉をつける人間なんているだろうか。

 いや、いるはずが無い。

 くしゃみという抗いようのない生理現象。

 どんなに擬態をしていたとしても、その生理現象の直後は本性が出てしまうのだ。

 つまり、かつてセラフィナが見たくしゃみの後にマモノと口を突いて出てしまった人間は、人間に擬態していた魔物だったのだ。そうに違いない。


「はぁっくしょいっ! 魔物」

「うわ、汚っ!」


 源のくしゃみの余波で彼の顔から粘液が四方八方へ霧散する。

 思わず顔を背けるセラフィナ。

 しかし、どこか違和感を感じる。

 ズビッ、ズビビビビ。

 隣から響く粘液をすする音を聞いて、セラフィナがハッとする。

 長すぎる。

 鼻をすするという行為は短く息を吸い込む行為。肺活量に限界がある以上、長くはできないのだ。

 しかし、隣からは粘液の音が絶え間なく響き渡る。

 おかしい。


「! そんな、ゲン!」


 あまりの衝撃に、へたり込む。

 セラフィナが源に視線を戻した時、そこに源はいなかった。

 代わりにいたのは、ずるずると這い回る粘液の塊。

 スライムだった。


「あっ、あっ、あっ……」


 びょるびょる音を立てながらセラフィナへにじり寄ってくるスライム。

 普段であれば造作もなく蹴散らすことのできるそれに、セラフィナはおののいて声を漏らすことしか出来ない。

 走馬灯のように駆け巡るのは、最後に聞いた源の言葉。

 それはくしゃみ。

 源はくしゃみをしたのだ。そして、その後にぽろりと漏らした。

 魔物、と。

 目の前にいるスライム、くしゃみの後に魔物といった源、そして姿をくらました源。

 セラフィナの脳内で全てが急速に結びついていく。

 くしゃみという生理現象。その前では何も取り繕うことはできない。それはくしゃみをしたときに飛沫や鼻水が飛び散るのを防げないことから明らかだろう。

 そうして、くしゃみの直後。本性が出てしまったのだ。

 魔物の本性が。

 一度漏れてしまうと、堤防が崩れるようにすべてが決壊してしまう。

 鼻水と涙の弁だけでなく、擬態していた人間の皮までもが壊れてしまったのだ。

 そして、目の前にあるものだけが残った。

 それは源だったもの。

 いや、そうではない。

 セラフィナが源だと思い込んでいた人間はスライムだったのだ。

 目の前にあるうごめく粘液。

 それこそが源の本当の姿だったのだ。


「って、んなわけあるかぁぁぁ!!」

「ぎぇぇぇ!!」


 脳内に響き渡るあまりに荒唐無稽な自身の声に、セラフィナは全力でツッコミを入れる。

 反射的に目の前のスライムをしばくと、喉がつぶれたような声。

 セラフィナのツッコミを受けて、人型に戻った源が樹海の奥地へ向けて吹き飛ばされていく。

 源が離れ、そのスキルの効力がやや弱まってから、気付く。

 セラフィナが見ていたのは幻影。

 エルフが施した花粉のバリア。その効能の一つの幻覚を源のスキルが強化。そうして、セラフィナに源がスライム化したという幻覚と、そんな荒唐無稽なことを囁く幻聴をもたらしたのだ。

 その事実に気付いて、セラフィナは冷や汗を流す。


「これが勇者のスキル……」


 オババ様の言う通り。魔力の動きは一切感じなかった。

 危なかった。

 源としばらく過ごしてスキルに慣れて、その上でオババ様の忠告を受けて身構えていた。そのお陰で、なんとか源のスキルに飲まれずに済んだ。


「これは……」


 スキルの恐ろしさに戦々恐々として気づかなかったが、右手に何かがある。

 これで源をしばいたらしい。

 視線を向けた先。

 そこにあったのは蛇腹状じゃばらじょうの妙な紙。

 ハリセンだった。

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