終焉の剣

見鳥望/greed green

「魔王様、今回の勇者がそろそろ選ばれるようですが」

「そうだな」

「……あまりご興味がなさそうですね?」

「全くもって無意味な歴史よ」

「?」


 首をかしげる側近をよそに、ずぃっと魔王は玉座から立ち上がった。


「魔王様、どうされるのですか?」

「どうもせぬ」

「え?」

「もう全て終わっておる」







「さあ、我こそが勇者だと思う者達よ。祠の奥に眠る伝説の剣を今こそ引き抜くのだ!」


 長老の声にその場に揃った屈強で逞しい男達は割れんばかり雄たけびを上げ、闘志を剥き出しにする。自分こそが勇者であり、この世界を救うのだと。

 

 この世は勇者と魔王の戦いの歴史である。何度も人類は危機に瀕してきたが、勇者の活躍によって、なんとか人類が魔王の手に堕ちる事はいまだなかった。

 

 しかし残念ながら戦いは続いている。

 勇者が、いや人類が出来る最大限の抵抗は、魔王を退ける事で倒す事ではない。

 

 魔王に完全な死はない。討てども討てども必ず復活を遂げる。

 魔王が倒れた数十年は平穏が約束される。しかし必ず魔王は蘇る。人類はいまだ真に平和を手に入れる事は叶っていない。


 だから人類は勇者を生み出し続ける。来る魔王との戦いに備え、この世が魔王の手に堕ちないように。


 そして此度、魔王復活の預言が告げられた。勇者と同じく選ばれし神託者のみが聞くことが出来る預言。預言は必ず当たる、必然の運命の言葉であった。


 また、勇者が動く時が来たのだ。






 

 

「くそっ!」

 

 祠の中からまた脱落者が戻ってくる。その誰もが不適合者の烙印に落胆や不満を隠せない。魔王を倒さんとどれだけの鍛錬を積み、いくら意気込んだところで勇者にはなれない。

 

 勇者の条件はただ一つ。伝説の剣を抜く事が出来るか。それだけだ。

 だがこれだけ屈強な者達が揃ってるにも関わらず、誰一人としてまだ剣を抜いた者はいない。


 ”我こそが”

 そう思っているからこそ、剣を抜けなかった事への絶望は計り知れない。ただ祠の奥に突き刺さっているだけの物が何故抜けないのか。


 この勇者の剣もまた不可思議な存在である。魔王、神託者、勇者に次ぐ選ばれし存在。

 その代での魔王が打ち倒されると、役目を終えたかのように剣はその場で朽ち果てる。そしてまた次の勇者が必要となる時、時を同じくして剣は蘇る。これもまた神の思し召しの一つとされていた。


 何故神は人類に手段と存在を与え、魔王をこの世から排する事をしないのか。これもまたこの世界の不可思議であった。


「次」


 勇者候補として並んだ列は、今や残すところ私一人となった。長老の声からさすがに希望が薄らいでいるように聞こえた。


「はい」


 静かに答え、私は祠の中に身を投じた。

 中は暗く狭かった。こんな場所に剣があるとは誰も思わないだろう。

 どうして人知れず蘇った剣の場所が分かるのか。それは忌み嫌われし神託者の賜物だった。しかし、それで神託者の地位が上がる事はなかった。

 魔王。伝説の剣。”報せるのみで、何の助けにもならない” “やはり役立たずだ”というのが無力で非力な民衆の総意だった。


 勝手な者達だ。自分は命を懸ける事もせずにヤジを飛ばすだけ。そんなもの誰だって出来る。魔王復活は間違いなく悪報ではあるが、対抗する術である剣の預言があるのだから相殺されてしかるべきだと思うのだが。


 そんな事を思いながら進む先に、伝説はあった。

 

「これが……」


 岩の地面に半分ほどそれは埋まっていた。

 身震いした。あまりにも普遍的で朴訥とした、どこにでもあるようなみすぼらしい姿。なのに、こんな剣を誰も抜けなかったのだ。

 信じられない。彼らが落胆した本当の理由が分かった。誰もが思った事だろう。絶対に抜けると。そしてことごとく嘲笑うかのように剣は彼らの思いを粉砕していった。

 

 ーー抜けるのだろうか。


 自分だって勇者として努力は重ねてきたつもりだ。いつか来る時に魔王を討つと、今この瞬間だって心の炎は消えていない。が、もちろん不安もあった。


 ”果たして自分は抜けるのか”


 こんな弱気な人間に魔王が討てるはずもない。それでも不安は拭えない。

 剣の前に立ち手を伸ばす。剣の柄を握り、ぐっと力を込める。


 ーー抜くんだ。私こそが勇者だ。


 もはやそれは希望だった。本当の勇者であれば、何も考えず引き抜けばいい。

 覚悟を決めろ。私のこれまでの血の滲むような努力が無駄になる。いや、私の事などどうでもいい。勇者が生まれなければ、民は絶望を享受するのみだ。

 希望となれ。私こそが希望なのだ。


「私が……」


 抜ける。自分なら抜ける。


「私こそが、勇者だ!」


 渾身の力と覚悟を、私の全てを剣に込めた。そしてーー。









「魔王様、勇者が現れました」

「知っておる」

「どう、されるのですか?」

「何もする必要はない」

「……まぁ、そうですね」

「我らが手を下すまでもない」

「魔王様、もしや全て初めから……」


 魔王は答えず、深紅に染まった液体の入ったグラスを煽った。




 勇者が誕生した。剣を見事抜きさり、祠から戻った勇者の姿に民衆は湧いた。


「勇者よ、世界をーー」


 勇者を讃えようとした長老の言葉は不自然に途切れ、続きを紡ぐことはなかった。先程まで繋がっていた長老の首と身体は分離され、ごとりと頭が地面に堕ちた。


 民衆の声が消えた。何が起きたのか、皆目前で見ているはずなのに、誰もがその事実を理解できなかった。

 

 一体なぜ、勇者は長老の首を撥ねたのか。


 長老の首から凄まじい鮮血が飛び散り、周りを染めていく。

 勇者が顔を上げた。その顔はまるで人間とはかけ離れた悪鬼のような表情だった。

 悲鳴の波が一瞬にして広がっていく。ようやく事実を理解した民衆は一斉に逃げ出した。


 しかしもう全てが手遅れだった。その後は惨劇を待つばかりだった。

 勇者のいた村は血の海に溺れ、家屋も全て剣の絶望的な力で薙ぎ払われ、火の海と化した。


 惨劇は彼の村だけでは終わらなかった。周辺の村や街々にも勇者の剣は容赦なく振るわれた。

 誰も勇者を止める事は出来なかった。

 魔王にではなく、勇者に人類が滅ぼされることになるなど誰が想像しただろうか。

 大半の人々は勇者の凶行の意味を知る事もなく終わりを迎えていった。

 

 世界は魔王が手にかけるまでもなく、終焉の道を辿るのみだった。






「一体これはどういう事なのですか?」

「簡単な事よ。偽の剣を用意しておいたのだ」

「偽の剣?」

「そうだ。勇者が今振るっているものは、本来奴が振るうはずだったものとはまるで真逆のものだ。正式な名ではないが、強いて名付けるなら”終焉の剣”とでも呼ぼうか」

「終焉の剣……」

「その名の通り、全てを終わらせる剣よ」

「なんと恐ろしい事を……これまでの魔王達には考えもつかなった事です」

「我からすれば疑問でしかない。何故むざむざ勇者に剣を握らせ、真正面から戦わねばならぬのか。自分が打ち倒される可能性が少しでもあるような選択肢を、何の疑問も持たずにただ待つばかりなのか」

「それでこのような事を?」

「狡猾か? 下賤か? 構わんさ。望む結果が得られるのであれば」

「しかし、どうやってこのような事を」

「簡単な事よ。というより、これを可能とするのはただ一人」

「……まさか、神託者」

「その通り」

「いや、それはさすがに無理のある話です。神託者の言葉は人類の前でのみ強制的に告知されるもの。その時点で我らが人類の先手を取る事は不可能です」

「違う。それは魔王復活の報せに限っての話だ。伝説の剣に関する神託は、神託者の意思によって決める事が出来る」

「つまり、神託者の意思によって嘘をつく事も出来ると……?」

「そういう事だ」

「……それでも……意味が分かりません。今の話を繋げると、神託者は伝説の剣と偽って終焉の剣の場所をわざと伝えたという事でしょう。しかしそれは、自ら希望をかなぐり捨てるような行為。そのような行為を選び取る意味がーー」

「あるではないか。神託者の扱いがひどい事は知っておろう」

「ええ。勇者とは違い、絶望を報せるだけの役立たずだと」

「彼らも本来は勇者と同じく讃えられるべきなのだ。彼らの力なくして人類に勝利はない。なのに、実際は不当極まりないものだ」

「まさか、魔王様」

「これ以上は本人の口から聞く方が説得力があるだろう。入るがよい」


 魔王の言葉と共に、玉座の間の雄大で堅固な扉が大きく開いた。 そこに立っているのは、矮小な白いフードを纏った神託者の姿だった。


「神託者が、魔王の城に……」


 神託者は立ち並ぶ魔の兵士達の間を恐れることなく真っすぐに歩みを進めた。


「ご苦労。良い働きであった」

「私は人類の味方を辞めただけだ。お前の味方になったわけではない」


 横柄な口の利き方に魔物達は一斉にそれぞれの武器を抜き牙をむくが、魔王はそれを片手で諫めた。


「お互い志を同じくしているのだ。そんなに邪険にせんでもよかろう」

「どちらにしても私からすれば敵である事に変わりはない」

「敵の敵は味方という訳にはいかぬか」

「その時はその時だ」


 魔王と神託者は二人にしか分からない会話を進めた。訳が分からない側近は口を挟まずにはいられなかった。


「何故人類を裏切ったのだ?」

「奴らが私達を裏切ったからだ」

「不当な扱いを受け続けた、という意味でか?」

「世界が勇者に救われようと、我らは一度たりとも救われていない。我らにとってみれば、勇者と魔王がこの世にいる限り希望はない」

「なるほど」


 皮肉な話だ。人類の希望とされている勇者の存在そのものが、神託者にとっては絶望そのものなのだ。これは裏切るのも必然かと側近は納得した。


「何にしても魔王様。これは今までにない完璧な勝利ではないでしょうか!」


 側近は仰々しく大手を広げた。しかし、側近の意に反して魔王の視線は冷たいものだった。腹立たしいのが、神託者の表情も全く同じものであった事だ。


「……どう、されましたか? 何か、私はおかしな事でも言いましたかな?」


 そこまで言うと、魔王は堪えきれずといった様子で相好を崩した。肩をわなわなと震わせ、やがて地を揺るがすほどに大きく笑い声を上げた。


「何が、おかしいのでしょうか?」


 それでも尚魔王の笑いはしばらく続いたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「勝利とは、何に対してだ?」


 側近は困惑した。何に。決まっている。人類にだ。我々はずっとこの世界を手に入れるという魔王の野望を引き継いでここにいる。


「人類に打ち勝ち、この世を手に入れる事か?」


 まるで魔王は自分の考えを見透かしているようだった。


「この世とは、何を指す?」


 魔王の言葉はまるで謎かけのようだった。魔王が言わんとしている事が、側近には全くもって分からなかった。だが、途轍もなく嫌な予感だけが頭を過り続け、段々と色を濃くしていった。


「終焉は始まりに過ぎない」

「はい?」

「勇者に与えしあの破滅の力は、本当の意味でこの世を統べる為の儀式の一つに過ぎないのだ」


 徐々に魔王の言葉が真実への輪郭を明確にしていく。

 終焉は始まり。側近は頭の中で何度もその言葉を反駁する。


「我々が目的を果たす為に、真に打ち倒すべき相手はここにはいない」


 その言葉を聞いた瞬間、側近の身体に電流が走った。

 魔王の考え、答えが、分かってしまったのだ。


「……まさか、魔王様……」


 側近の様子に魔王はくっと口角を上げた。


「神と、対峙するのですか?」


 魔王は大きく頷いた。


「この世に生きる限り、全ては神のお膝元に過ぎない。いくら強大な力を持とうと、何故か人類には勇者が生まれ、伝説の剣が与えられ、我ら魔王という存在を打ち負かすという仕組みが創られている。今まで倒されてきた魔王達は、単純に敗北しながら魂が完全に消失しているわけではない。いわば輪廻転生の如く、人類を滅ぼしこの世を手に入れるという意思を残し、次の魔王へと受け継がれてきた。これを繰り返す限り、我々に本当の勝利はないのだ」

「その為に、終焉の剣を……」

「何故魔王だけが死を与えられず、復活を繰り返すのか。この理不尽こそ神の仕掛けに他ならない。人類は死しても子孫を残すのに、我らにそれはない。お前も我が復活して、我が自分の手で生み出した存在の一つだ。いや、呼び戻したという方が正しいか? 魔族には完璧な死が与えられていない。この違いは何か? 我はこう考える。我らが死ぬ事を神は恐れているのだ」


 側近はもう言葉が出なかった。


「分かるな。我らが死んだ先にこそ、本当に倒すべき相手がいるのだ」


 終焉は始まり。まさにその言葉通りだ。

 言われてみれば、神の存在を認知しておきながら、理不尽に用意されたルールに疑問を抱きもしなかった。


「そしてそれは、こ奴にとっても同じ事よ」


 言いながら魔王は神託者を指差す。


「最も神に弄ばれているのは、こ奴と言っても過言ではなかろう」


 だからこそか。人類を裏切った理由。果ては呪われた運命を断ち切る為、神託者はこの世界を終わらせる事を決めたのだ。

 

“お互いの志を同じくしているのだ。そんなに邪険にせんでもよかろう”

“どちらにしても私からすれば敵である事に変わりはない”

“敵の敵は味方という訳にはいかぬか”

“その時はその時だ”

 

 この会話は神を共通の敵と位置づけていたからだったのか。

 

「勇者は世界を救う。故に称賛され歓迎される存在。だが神託者は違う」


 神託者が静かに口を開く。小さき声ではあるが、それだけに凝縮され練り込まれた怨念のようなものを強く感じさせた。


「魔王の伝言板。今となっては皮肉な呼び名の一つだ。ただの役立たずの伝言板に滅ぼされるなど、誰も思ってもいないだろう」


 言いながら神託者は少しだけ笑みを浮かべた。魔族に匹敵する程の邪悪な笑みだった。


「予言ではなく預言と言われるのも皮肉だ。神の意志など知らぬ。導きなどそこには一つもないのに、民衆は預言だと言葉を祭り立て私達の存在をないがしろにしてきた。だからこそ、導いてやるのだ」


 人類にとって神託者はこの世の破滅を知らせる者でしかなかった。神託があるからこそ勇者が動き出す。人類にとっては勇者に次ぐ大事な役割であるし、皆それも分かっているはずだが、実際に神託者に対しての扱いは辛辣なものだった。

 

 人類でありながら預言を口にした瞬間、神託者は人ならざる者と同等の扱いを受けてきた。ならば預言を口にしなければいいと言うだろうが、神のお告げを拒否し、口をつぐむ事は叶わない。言霊が神託者に降りた瞬間、主は神託を強制的に吐き出す事になる。これもまた神が用意した理不尽なルールの一つと言えるだろう。


「終焉の剣は人類だけではない。我ら魔族も含め、全てを終わらせる為の剣よ」


 何という事だ。始めは自らの手を汚さず勝利する為の策だと思い込んでいたが、全くもってとんでもない勘違いをしていた。


「我の力を極限まで詰め込んだ剣よ。誰も止められぬ。我でさえもな」


 城の外に途端凄まじい絶命が木霊した。外を覗けば既に阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。


「臆するな。死を越えた先にこそ本当の勝利が待っておる。神が用意した理不尽な世界など、我が完膚なきまでに破壊してくれるわ」


 不敵に笑うのは魔王と神託者のみだった。しかし側近を含めた他の魔族達は、死を受け入れる覚悟などもちろん出来ていない。それにーー。


「魔王様」

「何だ?」

「保証は、あるのですか? 神と対峙出来るという」


 勝利どころか、無駄死にの可能性だってある。そして二度と復活出来ない可能性もある。

 しかし、魔王はまた大きく笑った。


「その時はその時よ。我も結局神のおもちゃに過ぎぬ存在だったと認めるだけよ。もしまた復活出来たなら、次の魔王が神を倒す策をまた考えれば良い」


 これが魔王たる存在か。自分とあまりにも違い過ぎる器の大きさに身震いした。


「人類すべてを生贄に捧げるのだ。必ず倒せ」


 ふてぶてしく言ってのける神託者に、魔王は再び豪快に笑った。


「人類にしておくにはもったいない存在よ」


 途端、玉座の間の扉が轟音と共に崩れ去った。その先に立つのは選ばれし勇者。

 だが、纏う空気は闇と絶望そのものだった。

 勇者が大きく剣を振りかぶった。


「また会おう。神の玩具よ」


 勇者もこの世では所詮神の玩具。だが我々はその玩具に今から殺されるのだ。


「神よ。会えるのが楽しみだ」


 そして、終焉の剣が全てを薙ぎ払った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終焉の剣 見鳥望/greed green @greedgreen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ