第二十八話

「痛ってえ……」

 竜騎士祭が終わり、ユリの作業部屋で診察を受けていた。

 リンドウに蹴られたせいで鳩尾の辺りを軽く打撲して、ちょうど靴の形に黒っぽい痣ができている。拳大の痣を覆うように布を巻きつけ、ユリは額の汗を拭ってため息を吐いた。

「包帯代わりに防魔布を巻いておいたので、明日の朝には痛みが引いているでしょう。それまで多少の痛みは我慢してください」

 蹴られたときは死ぬほど痛かったけど、内臓や骨に異常はなかったみたいでひとまず安心した。ユリの治療のおかげか、患部の熱や痛みも引いてきた気がする。

 包帯代わりの防魔布の上から上着を羽織って小屋を出ると、すでに陽が沈んで月が出始めていた。ふと、橋の向こうの地面が月の光に照らされて光を発し始める。

「なあ、ユリ。ジェシーが変身したときにいた場所、なんか光ってないか」

「確かに。何かが散らばっていますね」

 言うが早いか、小走りで駆け寄っていった。なんというか、知的好奇心が旺盛なところは見た目相応だな。

 ユリが何か拾い上げると、掌の上で幾つかの透明な結晶体が月明かりに照らされて銀色の光を発していた。

「これは……」

「ガラスか? 指を切らないように気をつけろよ」

 ユリは静かに首を横に振る。

「いえ、これは魔力の結晶体です」

「なんでそんなものが?」

「おそらく、これは竜の泪。飛竜が成体になるときに発生する魔力が結晶化したもので、膨大な魔力が秘められていると本で読んだことがあります」

「なるほど、もらっていいのか?」

『ダメ』

「なんでだよ」

 軽い気持ちで近くに佇んでいた持ち主に聞いてみると、思いのほか強く拒否された。散らばったままにしておくくらいだからどうせジェシーには必要ないだろうに。言外にそう言ってジェシーの方を見ると、ジェシーは体を震わせる。

『……まあ、レインならいいよ。本当は軽々しく誰かにあげてはいけないんだけど』

「なるほど、そういうことでしたか。ジェシーさんが成長したのも納得です」

「どういうことだ?」

「なんでもありません」

 ユリはそっぽを向いたままいそいそと竜の泪を集めて立ち上がる。

「それより、竜の泪はネックレスに加工してあげましょう。優勝者のレインさんにはトロフィーが必要です。私が使ってしまっては申し訳ありませんし」

 ボーっとしてると、ユリは俺の顔を覗き込むように背伸びした。普段は他人から距離を取ってる割りに、気になることがあると遠慮がなくなるな。

「どうしました? レインさん」

「そういえば、さっき初めて名前を呼んでくれたなって」

 思えば、当初の目的はユリの心を開いて協力してもらうことだった。あれから数日。最初から遠慮は無かったけど、少しは距離感が近づいたような気がする。

 ユリは片眼鏡の下で嫌そうに顔をしかめた。

「観客がいる手前、仕方がなくですよ。名前で呼ばないことを気にしてたんですか?」

「いや……ただ、少しは認めてくれたのかなって」

 呆れたようにため息を吐いて、表情を緩ませる。

「行きますよ、天空の竜騎士さん。アカネさんが待っています」

 そういって、小走りで橋の向こうへ向かっていった。

§

「……遅い」

 ジェシーと一緒にユリについていくと、相変わらず不機嫌そうなアカネが村長の家の前で待っていた。アカネの家は村長の家なだけあってほかの家よりもずっと大きく、民家というより、大使館だとか、そういう施設に見える。大人数で話すなら確かに都合がよさそうだ。アカネが扉を開く前に、ユリは口を開いた。

「さて、今から作戦会議をします。ジェシーさん。人間の姿になれますか」

 いくら大きい建物とはいえ、入り口や通路なんかは今のジェシーには小さすぎる。

『なれるけど』

 何か特別な状況にならないとあの姿になれないのかと思ってたけど、その心配は杞憂だったらしい。ジェシーが羽ばたくと、その体が白い光に包まれ、次の瞬間には長い白髪に蒼い瞳の少女に姿を変えた。白い肌に、足元まで伸びる無造作な白い髪。まだ子供らしさが残る顔立ち。さっきの羽根に包まれた半人半竜の姿とは違って両手両足の鉤爪や額の角も消えて人間そのものだけど、爬虫類じみた蒼い瞳だけはドラゴンの面影を残していた。

「なんだ、完全に人間の姿になれるのか」

 姿のジェシーはなんだか近くにいると落ち着かないんだよな。こっちの姿も無駄に神秘的な外見だけど、人間に近い分さっきの姿よりは親しみがある。俺が安心している一方で、アカネとユリはジェシーの姿を見つめて固まっていた。

「どうした?」

「何をじろじろ見ている! あっちを向いてろ!」

「な、なんだこれ」

 唐突に頭に布を巻きつけられ、目の前が真っ暗になる。この匂いは……防魔布だろうか。なんて逃避気味に考えていると、険のあるアカネの声が響いた。

「女子の体を不躾に見つめるからだ。貴様は目を閉じておとなしくしていろ」

「完全に不可抗力だろ」

 雄とか雌以前に俺にとってジェシーはドラゴンだ。ドラゴンの性別を気にするドラゴンライダーなんていない。

 防魔布と格闘している俺の事は他所に、アカネはジェシーの姿を神妙な面持ちで眺めていた。

「しかし、先ほどとは姿が違うようだが」

「あの姿は戦う時だけなんだ。それに、魔力の消費が激しいから変身できるのは数分間だけ。人の姿で過ごすときは、こっちの方が負担が少ない。一応、服も出せるけど」

 そう言ってジェシーが体を翻すと、どこからか羽毛が舞い上がり、白い服となってその体を覆う。なんだか見覚えのある服装だな。

「ワンピースか……」

「馴染みのある服なら羽毛で再現できるみたい。動きやすいし、しばらくこのままでいいかな」

「しかし、下着までは再現できていなかろう。これから動き回る機会もあるだろうし、布一枚だけでは……何かと不都合だ」

「?」

 何を言っているのか理解できていなさそうなジェシーの態度に、アカネは頭を押さえた。当然というべきか、ジェシーは今までドラゴンとして生きてきたからな。人がどうして服を着てるかなんて気にしたことないんだろう。

「レインの服は再現できないのか?」

「たぶんできるけど……布が多くて動きづらそうだよ」

 アカネの提案にジェシーが首を横に振ると、足元まで伸びる長い白髪が揺れた。

 いつもの服装は少し厚手の上着に裾の長いパンツだけじゃなく、ゴーグルにスカーフ、ポーチなんかの小物も多い。ジェシーの背中の上でも不便がないような装備だから、ワンピースと比べたら確かに動きづらいかもな。少なくとも、リンドウと戦っていた時みたいに激しく動き回るのには向いていない。

 ユリはワンピースを纏ったジェシーの身体を下から上へと眺めてため息を吐いた。

「どうやら、別の作戦会議が必要ですね。私達だけで」

「ああ。ユリとジェシーは私の部屋に来てくれ」

 アカネたちに続いて部屋に入ろうとすると、アカネに制止された。

「貴様はリビングで待っていろ! もし中に入ったら頭と胴がつながっている保証はないと思え!」

「冗談に聞こえねえよ」

 結局、アカネたちだけで部屋に入っていった。相手は戦闘能力に自信ありの三人。従う以外になさそうだ。

 小一時間ほど手持無沙汰で頬杖をついていると、アカネの部屋の扉が開いた。

「待たせたな、レイン」

 赤い着物に体を包んだジェシーが姿を現した。足元まで伸びる長い白髪を首筋と先端で結んだ髪型はポニーテールというには長い。ポニーというより、竜の尻尾ドラゴンテールってところか。それよりも目を引くのは胸から下に纏った紅い着物だ。赤と白を基調としたおめでたい色合いの着物を高級感のある黒い帯で止めている。物語で見た振袖っていう服に似てるけど、動きやすいように太もも辺りまで丈が詰めてあって、どこか野性的な印象もある。全体的に白っぽい印象のジェシーに紅い着物がよく映えていた。

「なんかむずむずする……」

 どこぞの姫と見間違うようなその姿がジェシーとは思えなかったけど、恥ずかしそうに体を震わせるそのしぐさは不思議と親近感があった。

「いいのか? こんな豪華な服もらって」

 質の良さそうな羊毛の生地をふんだんに使った着物は空の上でも暖かそうだけど、地上で着るには暑そうだ。何より、普通の身分の人間が普段から着るような服装じゃ無い。

「ああ。本来は私の晴れ着なんだが、私には似合わなくてな。ユリに仕立て直してもらった。箪笥で眠っているよりはジェシーに着てもらう方がいいだろう」

「とてもお似合いですよ。やはり私の見立て通りです」

 アカネだけじゃなく、ユリも珍しく得意げだ。アカネたちにとっては妹ができたようなものだろうな。上機嫌な二人に対し、ジェシーはどこか不満げだった。

「ひらひらしてて落ち着かないよ。この姿は性別とか関係ないのに……」

「なら、なおの事似合う服を着るべきだ。そうだろ、レイン」

「お、おう」

 そんな勢いよく同意を求められたら首を横には振れなかった。

「そういえば、なんかいつもと口調が違くないか?」

 頭に響くジェシーの声はどこか幼げながら落ち着いていて流暢だった。少なくとも、こんな舌っ足らずなしゃべり方じゃなかったはずだ。不思議に思ってジェシーの方を見ると、ジェシーは頬を赤くした。

「いつもは魔力で思考を共有してる。人間の姿は慣れなくて、喋るの難しい」

「レインさんと二人ならわざわざ会話する必要はないですが、私たちにも伝わるように話してくれているということですよね」

「……ん」

 ジェシーはそう言ってうつむいた。ユリがフォローしてくれたけど、ただ恥ずかしがってるだけだな。

「とはいえ、ジェシーさんは賢いですからすぐに話すのにも慣れますよ。まずは人間の体に慣れることですね」

「うん。この姿だと、なんだか世界が広い。悪くない」

 くるりとあたりを見回すように長い白髪と振袖を翻すその仕草ははたから見ても、どこか嬉しそうだった。なんにせよ、ようやく落ち着けるな。

「では、四人集まったところで、今後の方針をお話しします。レースを見たところ、ジェシーさんの傷ももう大丈夫でしょう」

「うん。すぐにでも連れていける」

 ジェシーは頷くと、ユリは椅子に座るように促した。全員がテーブルを囲んで腰かけたのを確認して、ユリは口を開く。

「今回の目的は大きく分けて二つ。一つは、命の花を手に入れること。これさえ達成できれば十分です。もとより、レインさんは命の花を手に入れるためにここに来たのですから」

 遠回りにはなったけど、もう立ちふさがる壁は無い。それどころか、信頼できる仲間も手に入れた。あとは、命の花を手に入れて帰るだけ。命の花が故郷の地下にあるなら都合がいい。

「そして、もう一つはこの村に雨を降らせること。命の花を手に入れたところで、私たちにとっては延命にしかなりません。仮に命の花の種子が手に入っても、雨が降らなければ芽吹くことはない。クジラがどうやって雨を降らせるのか解明して、何か雨を降らせることができない理由があるのなら、それを取り除く必要がある」

 二つ目の目標は重要だけど、今のところ不確定要素だらけだ。雨が降らない理由も雨を降らせる方法も現地で調査する必要がある。命の花を手に入れる道のりが困難なのは、右も左もわからないクジラの中で雨が降らない原因を調査しなければいけないからだ。

 言外にユリがそう告げると、アカネが手を挙げた。

「一ついいか」

「何かありますか?」

「それはあくまで私とレインの目的だ。ユリだって、自分の目的があって私たちに手を貸してくれるわけだろう」

 確かに、今回の目的のうち一つは俺のためで、もう一つはアカネのためだ。当然、クジラに行くのは俺とアカネだけど、ユリがいないとクジラを目指すこともできなかった。クジラの上を調べることがユリの夢だってことは分かってる。

 ユリは俺たちの事を順番に見ると、三角帽を深くかぶりなおした。

「私も、アカネさんと同じように平和を願っています。村が再生できればそれでいいですよ」

「ユリがいなければ今まで村はやっていけなかった。何か用があるなら、里長の娘である私にも協力させてほしいんだ」

「俺も協力する」

「お気遣い感謝します。ですが、私は自分の仮説が正しかったと確かめられればいいのです。やりたいことはそれから見つけますよ」

 咳払いして話題を戻した。

「さて、レインさんはご家族を待たせているようですし、出立は早い方がいいでしょう。できれば、明日にでも」

「ああ」

「異議はない」

「ジェシーさんは大丈夫ですか」

 こくりと頷いた。

「では、出発は明日の早朝。なるべく人がいない時間に発ちましょう」

「ああ。できるだけ早い時間に。それでいいな、レイン」

 なんだか、みんなが早く出発しようとしているのが引っかかる。俺が島を出るときも、心が前のめりになって失敗した。ユリがいてそうなることは考えられないけど、どこか心配だ。

「いいのか、ジェシー」

 困ったときはジェシーに相談するのは癖になっていた。いつも通りジェシーに話を振ると、脳内に直接声が響く。

『早く出発するのにはボクも賛成。ボク達はよそ者だ。一部の人間……特に、昼間の竜騎士はボク達のことをよく思っていないはず。無駄な厄介事を避けるためにも、誰かに見られる前に出発するのは合理的』

 みんな、そこまで考えてたのか。

 作戦はユリやアカネ、ジェシーに任せておけば大丈夫そうだ。

「わかった。俺たちもそれで異論はない」

 全員の意思を確認すると、ユリはローブの裾を払って立ち上がる。

「では、明日の早朝に出発ということでいいですね。私はこれから準備する物があるので、皆さんもそれぞれ準備をしておいてください」

 そういって、ユリは扉を開いて出て行った。

 必要なものを準備するためにユリの後について作業部屋に向かおうとすると、アカネに肩をつかまれた。

「どこに行こうとしている」

「いや、俺もいろいろ準備しようと思って。まだ何かあるのか?」

「毎年、竜騎士祭の後は宴が行われるんだ。村も困窮して行事がめっきり減ったが、大会後の宴はある意味で儀式のような物。宴が終わるまでが、竜騎士祭だ」

 レースの後に飲み食いするのはどこも同じってことか。

「またさっきみたいにからまれたりしないよな?」

 冗談交じりに聞くと、アカネは知らん顔で肩をすくめた。

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