第二十七話 眠れる竜

「……竜騎士祭の優勝者は、レイン! これより竜騎士を終了する!」

 島の中心にある浮島で、何度も聞いた優勝の合図が響き渡った。

 途中でトラブルこそあったものの、結局は順当に優勝した。村の人間は俺とジェシーの事を遠巻きに見ていたけど、村長の号令を聞いて解散し始めた。

「流石だな、レイン。トラブルがあったときはどうなることかと思ったが」

「それが、なんか妙なんだ。ジェシーが言うには、魔力で干渉されたとか」

「魔力か。今更になってユリが何かするとは考えづらいが……」

「そういえば、ユリはまだ戻らないのか?」

 確か、第二レースの前に用事を思い出したとか言って一人だけ先に戻っていたはずだ。

「もしかしたら、何者かの思惑に気づいて何か確かめに行ったのかもしれないな。どのみち、ユリがいれば大事にはなるまい。私たちも村に戻ろう」

「……ちょっと待った!」

 それぞれの家に帰り始める村人たちを呼び止めたのは、槍と斧を合わせたような武器を持った大柄の男。リンドウだった。やっぱり、何か企んでたのか。

 リンドウが現れた瞬間、村の皆は顔を強張らせた。特に、アカネは朱い瞳でリンドウを睨みつけて、今にも剣を抜いてとびかかりそうだ。一触即発の雰囲気。村一番の嫌われ者だってアカネは言ってたけど、この感じはまるで魔物でも現れたみたいだ。そんな重い空気を払ったのは、村長の一声だった。

「リンドウ。今頃現れて何のつもりだ。竜騎士祭はすでに終了した。お前のいない間にな」

 強面の村長にすごまれても、リンドウは不敵な笑みを崩さなかった。

「そいつはよそ者じゃねえか。村一番の竜騎士を決める神聖な儀式にふさわしくねえ。そうだろ、親父殿」

 今更何を言ってるんだ。それなら俺が参加する前にそう言えばいい。どうしてわざわざ大勢の前で、まるで見せしめみたいに。

 リンドウの言いがかりに声を上げたのはアカネだった。

「村長の血筋でありながら竜騎士祭を無断で欠席しておいて何を言う! この痴れ者め!」

 気づけば、アカネはリンドウの首筋に剣を突きつけていた。剣を抜き、リンドウの懐まで距離を詰めるその一連の動作の一部始終すら目で追えなかった。

 アカネは戦士だ。魔物に剣を向けることはあっても人に剣を向けることはないと思っていた。そんなアカネがそうしないといけないくらい、危ない空気が漂っていることは分かる。実際、リンドウは喉元に剣を突きつけられても眉根一つ動かさないどころか、まるで自分が絶対的に優位であると確信するような狂気的な笑みを浮かべていた。リンドウはこっちに視線を移したかと思えばいやらしく口の端を吊り上げる。

「聞いたところによれば、そいつは戦うこともできねえ軟弱者だって話じゃねえか。そんな奴がドラゴンに乗って戦うだなんて片腹痛いぜ!」

「レインはドラゴンと心を通わせる力に加えて、百発百中の弓の腕を持っている! 伝承に伝わる天空の竜騎士そのものだ! 第一、この村には他に飛竜を操る竜騎士などいない!」

「なら、そのドラゴンを俺のものにすればいい話だ」

「何を言って……っ!」

 その瞬間、リンドウの手が白く光ったかと思えば、体が地面に打ち付けられた。まるで、体が鉄にでもなったかの様に重く地面にめり込んで行く。かろうじて顔を持ち上げると、村人だけじゃなく、あのアカネですら膝をついてリンドウを睨みつけることしかできないでいる。この場で立っているのは、リンドウだけだった。

「さて、もうてめえを守るやつはいねえ。てめえを消せば、何もかも丸く収まるんだよ。あとはこの力で頭のおかしい魔術師を消せば俺の天下だ」

 最初から、それが狙いだったのか。レース中に妨害してきたのも、リンドウの仕業だったんだ。リンドウは上機嫌で周りの光景を見渡すと、こっちを見て口の端を吊り上げる。

「その飛竜を渡すってんなら、命だけは助けてやるよ。ちょうどいいドラゴンを探してたんだ。俺のドラゴンは稽古でくたばっちまってな。全く、使えねえ道具だぜ」

 誰もが地面に這いつくばるしかできないでいる中で、リンドウだけはジェシーの方に向かってゆっくりと歩いていく。気づけば――俺はリンドウの足首を掴んでいた

「なんだその手は。死にてえのか? ドラゴンを守って死ぬとか、馬鹿じゃねえのか?」

 リンドウは面倒そうに眉を顰めた。俺の身体は今、魔術で重くなっている。リンドウ自身に魔術は効かなくても、俺がしがみついてる限りジェシーには近づけないはずだ。

「どうせ、群れからはぐれた飛竜をとっ捕まえたんだろ。そのドラゴンだって、軟弱な男よりも俺のような強い男に使われた方が幸せだろうよ」

「違う!」

「何が違うってんだこの軟弱者め! 俺がてめえより弱えってのか!」

 体が宙に浮いた。胸倉を掴んでにらみつけるリンドウの鋭い眼は、どこか寂しそうに見えた。怒りに震えるリンドウの手。それ以上に、恐怖で震えて仕方ない。相手は二メートルはありそうな大男。そのうえ、謎の力で体が重くなっている。力で勝てるわけがない。だけど、一つだけ訂正しないといけないことがある。リンドウを睨み返すと、こっちを睨みつける赤い眼に昔と変わらない金髪小僧が映っていた。

「……俺とジェシーはそんなんじゃない。俺にとってジェシーはどんな時も一緒に笑い合える親友で、どこまでも一緒に行きたいと思える相棒で、いつまでも一緒にいたい大切な家族なんだ! 道具なんかじゃない!」

「……まったく。軟弱で、おまけに救いようのねえ馬鹿だぜ。ドラゴンを手放せば命は助けてやるって言ってるのによお!」

「うあ……っ」

 体が思い切り地面にめり込んだ。手を離されただけで、高い所から落ちたような衝撃に、全身が軋むような音を立てる。だけど、クジラの上から落ちてきたジェシーの痛みはこんなもんじゃないはずだ。

「大体、そのドラゴンはてめえのせいで怪我したって話じゃねえか。俺だったらてめえが憎くてたまらねえだろうよ。この愚か者が!」

「レイン!」

 アカネの叫び声が響いた。その直後、鳩尾にごついつま先がめり込み、胸に穴が開いたみたいに肺の空気が一気に抜ける。俺は生まれてこの方喧嘩もしたことがない。人を殴ったこともない。だからこそ、どうしてそんなにも簡単に手を上げられるのか分からなかった。一つだけわかることは、絶対に、そんな奴に負けちゃダメだってことだ。俺が首を縦に降ったら、次はジェシーの番だ。もう、あの時みたいにジェシーが苦しむ姿は見たくない。

「……関係、ない」

「なんだって?」

「ジェシーが俺のことをどう思っていたって関係ない! 俺はジェシーがいなきゃダメなんだ! 大切なんだ! お前なんかに、渡さない!」

「別に構わねえ。てめえを殺せば、俺が村一番の竜騎士だ!」

 リンドウは思い切り槍を振り上げる。砂漠の日差しに銀色の穂先がきらめいている。村の人間が持ってる訓練用の槍じゃない。金属製の、本物の槍斧だ。磨き上げられた刃に、鋭利な穂先。その先端が放つ白い光に死を覚悟した直後、鈍い音と共に視界が真っ白に明転した。

§

 広場を包んだ白い光に目を閉じても、不思議と痛みは感じなかった。最後に聞こえたのは、槍が何かにぶつかる音。

 何が起こったのか分からないでいると、少年のような高い声が頭に響く。

「……良かった。間に合った」

 どこか聞き覚えのあるその声に目を開けると、黒い……いや、白い影がリンドウの前に立ちふさがっていた。一見人間のような体つきだけど、足元まで伸びる長い白髪、爬虫類じみた蒼い瞳、華奢で引き締まった身体は薄い羽毛に覆われている。羽毛に覆われていない両手足の先は黒く染まり、まるで鉤爪みたいになっていて明らかに人間のそれじゃない。腰からは白い尻尾が揺らめき、背中には羽毛の生えた純白の翼。そして、額からは水晶の様に透き通った角が天へと伸びている。まるで、人間と竜が混ざったような。まるで天使のような神秘的な姿に、気づけば釘付けになっていた。

 呆然としていると、さっきよりもはっきりとした声が響く。

「レインは、ボクが守る!」

 その声には、痛いほど聞き覚えがあった。十年前、泉で出会った時と全く変わらない、少年のような高い声。あの時と同じ口調。同じ眼差し。目の前の影と思い出の輪郭がぴったりと重なった。

「まさか、ジェシーなのか?」

 小さく、それでいて果てしないほど大きく感じる背中に問いかけると、リンドウは何かを察したように後方に跳躍して距離を取った。

「こいつは都合がいい! 龍の神ともいわれる飛竜の成体を従えれば、俺が天空の竜騎士だ!」

 リンドウは弓を引き絞るように槍を構え、ジェシーに向かって一直線に飛び込んだ。自分の身体を弓に見立て、銀の穂先を鏃として。さっきみたいな痛めつけるための攻撃じゃなく、明らかに殺意の篭った一撃だ。二倍以上の体格差であんな攻撃を喰らったら、いくらドラゴンでもひとたまりもない。

「ジェシー!」

 リンドウは全体重を槍に乗せた突きを棒立ちのジェシーに向かって打ち込んだ。轟音が響き、足元から土煙が上がる。

 視界が晴れると、真正面からの突きをジェシーは鉤爪で握りこむように受け止めていた。リンドウが鬼の形相で槍を動かそうとしても、ジェシーは眉根一つ動かさない。貫くことはできないと悟ったリンドウが槍を引き抜こうとした直後、銀の槍の穂先が粉々に砕け散った。

「な、親父殿から受け継いだ俺の槍が……っ!」

 素手で金属を握りつぶすという人間じゃありえない怪力にリンドウが眼を見開いた次の瞬間、攻撃の反動で前かがみになったリンドウの鳩尾に、ジェシーの黒い剛腕がめり込んだ。発破をかけたみたいに重い音が響き、長身のリンドウが体を折り曲げて吹き飛んでいく。ジェシーとリンドウの力の差は、まるで大人と子供。いや、魔物と人間の差だろうか。表情一つ動かさずにリンドウを追い詰めていくジェシーの事が薄ら怖くもあった。

「てめぇぇぇぇえ!」

 浮島の端から端まで吹き飛ばされたリンドウは体中に擦り傷を負って、怒りで浮き出た血管からは血が噴き出していた。

 リンドウの戦意を確認したか、ジェシーは大地が抉れるほど強く足元を蹴りつけ、レースの時とは比べ物にならないほどの速度でリンドウに迫り、思い切り拳を振りかぶる。さっきまで島の反対側にいたはずのジェシーが目の前に現れると、リンドウの表情からは怒りの色が消え、恐怖に顔をゆがませた。

「そこまでです」

 ジェシーの拳がリンドウの顔面に衝突する直前、聞き覚えのある声が響き、リンドウの鼻先で拳が止まる。寸止めの拳が放つ衝撃波にリンドウは顔を青ざめさせていた。攻撃を中断したジェシーの視線の先には、三角帽にローブを纏った少女――ユリが佇んでいた。

「これは私たちの問題です。村人のいざこざは、村の中で解決します」

 ユリの言葉にジェシーは振り上げた拳を下ろし、こっちへ振り返る。人型でありながら人とは遠く、純白の翼はまるで天使か何かみたいだ。だけど、あどけなさの残る顔立ちに爬虫類じみた蒼い瞳だけは見覚えがある。

 ジェシーは地面に這いつくばった俺を見下ろして、黒い鱗を纏った右手を差し出した。

「レイン、掴まって。あとは魔術師に任せよう」

「掴まるって……っ!」

 その瞬間、ジェシーの身体を包み込むような爆風が巻き起こる。竜巻と共に現れた黒雲が空を覆い、稲光と轟音が発生したかと思えば、一筋の稲妻がジェシーの頭上に落下する。

 黒雲が晴れると、雷を纏った純白の竜――真の飛竜が目の前で翼を広げていた。元の三倍以上の大きさになり、翼が四つ。そして、額に生えた角には電流が迸っている。これが、大人になった飛竜の姿なのか。見た目は変わってしまったけど、純白の翼に、碧い瞳。どこか物憂げなその表情は、昔のままだ。

 アカネも呆然とその光景を見つめていた。

「集落のドラゴンが集まっている……」

 ドラゴンたちが飛んできて、ジェシーに付き従うように平伏し、異様な光景を作り出していた。

『ドラゴンたちが村人を守ってくれるみたいだ』

 陽が差し始めた広場の中心では、あっけにとられたように辺りを見渡すリンドウと、それをつまらなそうに見下ろすユリだけが立っていた。

「この俺に対して舐めた真似しやがって。思い知らせてやる」

 リンドウが懐から黒い球を取り出して掲げると、体がより一層重くなる。

 ジェシーには効いていないらしい。ジェシーに掴まっているだけで精一杯だった。

 ユリはリンドウの方に視線を向けると、納得したように頷いた。

星降りの魔法玉アストラルジェム。見つからないと思っていたら、あなたが持っていましたか。それは師匠の形見です。返していただきますよ」

 やっぱり、あの黒い球が元凶だったのか。リンドウが宝玉を掲げたり手を翳したりしても、ユリは眉根一つ動かさない。魔力が多いと魔力による影響を受けないって言ってたけど、魔術に詳しくない俺でもユリが別格だと一目で分かる。

「なぜお前は立っている! 最大出力だぞ!」

「無駄です。その程度の魔力で、鍛錬を重ねた魔術師に通用するはずがない」

 ユリはリンドウに向かって右手をかざす。

「本物の魔術を見せてあげましょう。罪には罰を、因果には応報を――術式反転リフレクション

 ユリがそう言って指を鳴らすと、ふっと体が軽くなる。周りを見ると、反対にリンドウが地面に打ち付けられている。あんな大男が指一本動かせないでいる。さっきまでよりもずっと強い力で抑えられてるんだ。数秒後には軋むような音を立ててリンドウの身体が地面にめり込み始める。

「あ、頭のイカれた魔術師め……この俺に向かってこんな真似、許されると思うなよ……!」

「そこまでにしておけ、ユリ」

 気づけば、アカネがユリの背後に移動していた。アカネがユリの肩に手を置くと、ユリはつまらなそうにため息を吐いた。

「わかっています。村人同士の殺しはご法度ですからね。ただ、彼が星降りの魔法玉を手放さない限りこの術式は解除されません」

「リンドウ、さっさと手を離せ。貴様に命を賭ける覚悟など無かろう」

 アカネがそう促すと、リンドウの手から黒い球が転がり落ちた。

「さて、これにて一件落着ですね。他に、ジェシーさんとレインさんの優勝で意義のある者はいますか」

「いや、相違ない。レインはレースにて己が力を証明し、先ほどの一件にてその勇気を証明した。彼こそが村一番の竜騎士にふさわしい。そうだな、村長」

 アカネとユリの流れるような誘導に、村長は豪快に頷いた。

「ああ。村人どころか、ドラゴンたちまでも新たな天空の竜騎士の誕生を祝福している。こんなことは、今までではじめてだ!」

 よく見ると、ジェシーの姿に周りの人間やドラゴンが釘付けになっている。ここに来た時は誰もが沈んだ表情をしていたけど、村人の表情も明るくなった気がする。

「改めて、竜騎士祭はこれにて終了とする! 各員、宴の準備をするように!」

 家に帰っていく村人たちをよそに、アカネは俯いて座り込むリンドウの方へ歩いていく。

「あ、アカネ」

「貴様には愛想が尽きた。二度と私たちの前に姿を見せるな」

 背中越しでアカネがどんな顔をしていたかは分からないけど、おびえたようなリンドウの表情からは想像がつく。その後は、生気の抜けたリンドウの身柄を村長のおっちゃんがどこかへ連れて行った。

「改めて、優勝おめでとう。父上にもクジラへ行くことを許可してもらった。レインが勇気を見せてくれたおかげだ」

「いや、全部ジェシーのおかげだよ」

「それにしても、なぜジェシーは急に成体になったんだ?」

 ふと、アカネがつぶやくと、ユリは地面に落ちた黒い球を拾って口を開いた。

「飛竜が成体になる条件は二つ。一つは、一定以上の魔力を持っていること。そして、もう一つは本人の意思です。強くなりたいと思うことで、飛竜は真の姿へと進化を遂げる。ここ数日で、ジェシーさんはたくさんの魔力を摂取しましたからね。大人になる準備はできていたということでしょう」

 ジェシーは頷いた。

『もう、レインがボクのために自分の命を危険に晒すようなことをしてほしくない。そう思ったんだ』

「しかし、思ったより可愛らしい声をしていたのだな」

 アカネがジェシーの背中をさすると、ジェシーは目を細めて体を震わせた。

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