第二十二話

「一体、何が……?」

 石蛇は、躊躇なく俺たちを丸呑みにする……はずだった。実際、石蛇は真上から覆い被さり、今にも俺たちを丸呑みにしようと大きな口を開けている。だけど、その体勢のまま文字通り石のように動かない。まるで時が止まったみたいだった。アカネも何が起こったのか分からないでいるらしく、剣を掲げたまま呆然と立ち尽くしている。

「……金縛りというやつですね」

 ふと、聞き慣れた声に辺りを見渡すと、石蛇に向かって剣を向けるアカネの前に、見覚えのあるローブを羽織った少女――ユリが右手を掲げて立っていた。

「ユリ! そいつは危険だ! 早く離れろ! 睨みつけられると動けなくなるぞ!」

 慌ててユリに呼びかけても、ユリは涼し気な顔で石の蛇を見つめていた。蛇が蛙に睨まれて動けなくなっているような、そんなちぐはぐな状況。悪い夢でも見ているようだった。

 つまらなそうに石蛇を見つめて、ユリはつぶやいた。

「蛇型の魔物が持つ魔眼には相手の動きを拘束する力がある。目を合わせてはいけない類の魔物です。まあ、魔力の大きい者には効果がありませんが」

 石蛇はガラス玉の眼をぎょろりと動かしてユリの方を睨みつける。その目には、涼し気な表情を浮かべたユリの姿が映り込んでいた。

「どうなってるんだ……?」

「堅牢なる不可視の障壁。魔術によって見えない壁を作り出しました」

「見えない、壁……」

 何が起きてるのかも、何を言ってるのかもわからない。でも、実際に石蛇はユリの掌に阻まれて身動きが取れなくなっている。

「心配せずとも、この石像はこれ以上私たちに近づくことはできません。もちろん、下がることも。命を持たない傀儡には押すことは命令されていても引くことは命令されていませんから」

 ユリの身体が白い光に包まれ始める。光は次第に掲げた両手に集まっていき、双眼鏡で太陽を見ているような直視できないほどの白い光がユリの手を覆う。白い光はユリの手を離れ、拳大の光の球と化す。

「獰猛なる白亜の魔弾」

 ユリがそう呟くと、光の球は石蛇の口の中に吸い込まれていった。次の瞬間、石蛇の身体の隙間から白い光が漏れ出し、石蛇の頭が爆発音を立てて弾け飛ぶ。そのまま爆発は頭から喉を通って泉の中まで連鎖していき、最後に一番大きな爆発音が響くと、湖がひっくり返ったみたいな水しぶきが上がる。

 石の雨が降り注ぎ、その中心で、ユリは掌を天に掲げたまま立ち尽くしていた。

「どうして、ここに?」

 アカネが武器をしまいながら問いかけると、ユリはかざした手を下ろして背中を向けたまま俯いた。

「一時のすれ違いで、アカネさんたちがクジラの上ではないどこか遠くに行ってしまう。そう考えたら、いてもたってもいられなくなってしまったのです。私の両親と師匠は遠くへ行ってしまいました。アカネさんたちまでいなくなったら、私はまた一人になってしまう」

 アカネも俺も、家族の病気を治すためにクジラの中に行こうとしている。大切な人を失う恐怖はまるで雨雲の様に心の中を黒く覆っている。きっと、アカネもそうなんだと思う。そして、ユリはそんなことを何度も経験しているんだ。

「君は、クジラの上に行きたいだけだと思っていたが」

「本当はわかってるんです。クジラは、雲上の楽園はたとえ見えても触れることのできない水面の月だと。手が届かないからこそ、輝いて見える。私の夢は、文字通りの絵空事です」

 ユリの視線の先には、俺とジェシーが降りてきた積乱雲が広がっていた。クジラの姿は、積乱雲に遮られて地上から見えることはない。きっと、ユリの眼には積乱雲の向こう側に広がる楽園が見えているんだ。

 俺と同じだ。広いようで狭い島の中で暮らしていた俺は、積乱雲の下に広がる広大な外の世界に憧れた。地上は、行ったら帰りたくなくなるくらい素晴らしい黄金の世界だと。だけど、地上ってやつは数日で何度も命の危機に出くわすくらいの過酷で危ない場所だ。でも、俺の故郷はそうじゃない。

「仮にクジラの上に行く手段があったとしても、私は村から離れることなんてできない。命の木の幹に縛り付けられた囚人です。いえ、そんなきれいなものではないかもしれない」

 そう言ってユリが振り返ると、黒い髪と瞳が儚げに揺れる。ユリは胸に手を当てて口を開いた。

「お願いです。瘴気の檻に囲まれた砂の牢から私を連れ出してください。私を連れ出して、あなたたちの傍に居させてください。そのためなら、私はなんだって……っ!」

 まっすぐで痛切なその懇願に、首を縦に振ることはできなかった。

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