第二十一話

 結局、あれから魔物に出会うことはなかった。動物は、自分より強い相手には手を出さない。さっきの襲撃は一種の通行料ってわけだ。とはいえ、見たこともない植物だらけで、目印になる物は何もない。アカネとはぐれたら帰れなさそうだな。

 そんな鬱蒼とした極彩色の獣道を、アカネは勝手知ったると言った感じで歩いていく。

「ついたぞ。ここが森の最奥、瘴気の泉だ」

 ふと、アカネは獣道の終点で足を止める。その先には、まるでおとぎ話に出てくるような虹色の泉が広がっていた。

「なんか、思ったよりきれいだな」

 瘴気の泉って言うくらいだからもっと毒々しく濁った毒沼みたいなのを想像してたけど、実際は底が見えるほどに透き通っている。反面、泉に近ければ近いほど周りの草が赤や黄色の絵の具で塗ったみたいに毒々しく色づいていて、なんだか近寄りがたい雰囲気だ。

「水清ければ魚棲まず。魔力の純度が高いと、生き物が生息することができないらしい。腐敗の原因となる微生物なども生息しないために腐ることもないとか」

 確かに、泉の中には魚どころか虫一匹、水草一本生えてない。まるで、何度も何度も布で濾したみたいに。自然の中において不自然なほどの異彩を放っている。

 ふと、アカネは対岸の方を見て顎に手を当てる。

「妙だな。命の木がない」

「見間違えたんじゃないか?」

 砂漠では見えないものが見えることがある。そう思って尋ねると、アカネは首を横に振る。

「前にも水脈を辿ってこの泉に来たことがあるんだが、すでに魔物の領域でな。調査する前に帰ってきてしまったんだ。だが、確かに命の木の頂上に命の実がなっているのを確認した」

 アカネがそういうなら、信じるしかないか。どちらにせよ、命の実がないとユリが薬を作ってくれないわけだし、探すしかなさそうだな。

「幸い魔物の気配はないから、少し汲んでいこう。薬を作るのに必要だったはずだ」

 アカネが泉の水を瓶に詰めて陽の光にかざすと、瓶の中身が七色の極彩色に光り出す。

「森の植物と同じ色だな」

「ああ。この水を吸い込んで育った植物や動物は、歪な形に進化を遂げる。それが魔物の正体だ。この辺りに魔物が多いのはそのせいだな」

「詳しいな」

「ユリの知識だ。命の木の周囲に生まれる泉の水は人体に影響もなく、それでいて腐らない程度の魔力を含んでいる。だが、魔力の濃度が高すぎると魔物の温床になるということだ。ユリのように魔力に慣れた人間や魔物にとっては薬になるが、私たちが経口摂取すれば防御反応で痙攣を起こすらしい」

 アカネは汚いものでも触ってるみたいな手つきで虹色の液体が入った瓶を雑嚢にしまった。

「まるで経験してきたみたいな言い草だな」

「少し前までユリが過剰摂取で痙攣していたからな。身内の私が言うのも何だが、狂化学者マッドサイエンティストとはああいうのを言うんだろう」

 アカネはどこか遠い眼をしていた。何だろう。その時の光景がありありと想像できる。ユリの知的好奇心はすごいと思うけど、振り回されるアカネは大変そうだな。

「レインも手伝ってくれ。魔物に見つかる前に戻るぞ」

「わかった」

 アカネは空になった水袋をこっちに放る。口に入れると痙攣するとかいう話を聞いたら抵抗あるけど、アカネだって手を入れてるんだから、大丈夫なはずだ。

 水袋を泉にくぐらせると、中の空気が泡となって水面を揺らす。手を突っ込んだ瞬間に痺れたり溶けたりするのを想像してたけど、実際はむしろ逆。砂漠の行脚で火照った身体をなでるように、無自覚の疲労を癒すみたいに。緩やかで、それでいて心地いい感覚が掌に溢れた。

「なんか、水面が波打ってないか?」

 皮の袋いっぱいに水を汲んでからどれだけ経っても、水面の揺れが収まる気配がない。池の底から何かが湧き出てるみたいに。些細な違和感だったけど、あり得ない現象が起きてるのに変わりはなかった。アカネはしばらく池の底を見つめて、何かに気づいたように顔を上げる。

「……いや、揺れているのは地面だ」

「地面が、揺れる……?」

「空で暮らしている君は知らないのか。地震と言って、大地の活動により地面が揺れることがあるらしい。ただ、こんな内陸では縁のない話と聞いた」

「じゃあ、何が起こってるんだよ」

 アカネは目を見開いて抜刀し、泉に向かって剣を掲げる。

「魔物だ。それも、かなり大きい」

揺れはどんどん大きくなり、まるで、この森を誰かが両手で振り回してるみたいだ。

「おわっ」

 上下左右の揺れに体勢を保っていられなくなって尻餅をついた。

 巨大な影が七色の泉を突き破り、陽の光を水しぶきが反射して虹色の雨が体を打つ。

「石の……柱?」

 石でできた円柱が泉の底から天を貫くように聳え立っていた。まるで命の木が二本になったみたいに。砂漠ではありえない物が見えるって言うけど、ほんとにこれは現実に起こってることなのか?

 アカネは剣を構えたまま、石の柱を見上げて口を開いた。

「いや、これは蛇だ。前にも同じ魔物に邪魔された」

 石の柱を下から見上げると、天辺に付いた蛇の頭がガラス玉の瞳でこっちを見下ろしていた。

「あの巨体は私たちでは手に余る! 退くぞ!」

魔物とは言っても、今まで出会った魔物には目を合わせた戦意を喪失吸うほどの殺気があった。だけど、こいつは蛇の形をしてるだけの石塊だ。だったら、怖くなんかない。

「何をするつもりだ! 石の胴体に弾丸は通らんぞ!」

「言っただろ。俺だって……戦える!」

 ありったけの黒色火種をパチンコにつがえて引き絞る。今までは一発ずつだったから魔物には通用しなかったけど、十発や二十発ぶちこめば痛痒にはなるはずだ。その上、黒色火種は本来、土木作業用に栽培されていたものが野生化した天然のダイナマイトだ。たとえ魔物だろうと、石を砕くために生まれた道具で壊せない道理はない。

黒色弾雨ブラックレイン!」

 黒い火種は一直線に石蛇に着弾した。

 雷が落ちたような爆音が響き、雨雲のような黒い煙が空を覆う。アカネは歓声を上げた。

「こんな切札を隠し持っていたとは、流石天空の竜騎士だ! なんだ、戦えるじゃないか」

 初めて魔物に会った時は、戦えなかったせいでジェシーに怪我をさせた。地上に落ちてからも、戦うのはアカネに任せっきりだ。シズクを助けるには、俺も戦わないといけない。シズクは、俺の家族だから。

「……おいおいマジかよ」

 煙が晴れると、表面が削れて顔が凸凹になった石蛇がガラス玉の眼をこっちに向けて威嚇していた。精巧な造形の頭部が削れたその姿は怒りに表情を歪めてるみたいでおぞましい。

「やっぱり、魔物には効かないのか」

「いや、この魔物の体表が異常に硬いだけだ。立てるか」

「あ、ああ」

 アカネの手を取ろうとした直後、手と手の間を引き裂くように、一筋の光が駆け抜けた。

 一瞬遅れて足元が爆発する。咄嗟に手を離したから直撃は防げたけど、少し立ち位置が違えば共倒れだった。

こっちが状況を理解できないでいる間に、二度目の熱線が地面を焼きながら迫る。

「レイン!」

ダメだ、蛇の瞳と目が合った瞬間、金縛りにあったみたいに尻餅をついたまま動けない。熱線は地面を溶かしながら迫る。このままじゃ、死ぬ! 

そう覚悟した瞬間、目の前の光景を赤い影が遮った。

「アカネ!」

 迫り来る熱線を目の前にして、アカネはいつものように凛として立っていた。

「私は戦士だ。逃げるか死ぬかより、生きるか死ぬかを取る。そして、同じ死ぬなら誰かを守って死んで見せよう」

「何言ってんだ! 俺の事は良いから、早く逃げろ!」

 アカネは腰の剣に手を掛け、五十メートルはありそうな石の大蛇の前に立ちふさがる。地面を這いずるのに合わせて地面が揺れ、大地が抉れる。もはや魔物じゃなく災害。どっちにしろ、人間が立ち向かっていい相手じゃない。

 アカネは背中越しに口を開いた。

「君はいつもそういうことを言う。私が狼相手に不覚を取ったとき、君は尻尾を巻いて逃げ出そうとしたか?」

「そんなの当たり前だ。誰かが襲われそうになってるのに、黙ってられるわけないだろ」

「君は自分が狙われることも厭わず、狼に向かって矢を放った。ジェシーが魔物に襲われていた時もそうだ。命を賭けて誰かを守ろうとする君の勇気……戦士の心に感動したんだ。本職の私にも命の一つくらい賭けさせてくれ」

 何で気づかなかったんだ。俺だってジェシーが襲われたとき、ジェシーの言葉を聞かないで守ろうとした。目の前で誰かが死ぬのなんて耐えられない。それはアカネだって同じなんだ。

 この状況を招いたのは俺だ。せめて、自分で何とかしないと。

 石蛇は大きな口を開けて熱線を放とうとしてる。さっき見た感じ、熱線は思い切り走れば逃げられる。だけど、地面から伸びる無数の手に掴まれてるみたいに体が動かない。

 アカネは逃げようともせずに腰の剣に手を掛け、重心を低くして構えている。その間にも、熱線はアカネに向かって一直線に地面を焼ながら迫っていく。

「……死線は潜るのではなく、越える。道は探すのではなく、切り拓く!」

 鬼気迫る表情で目を見開き、抜刀する。直後、背後で二つの爆発音が響いた。

 夢でも見てるみたいだった。アカネは剣を振り上げ、迫り来る熱線を両断した。煙を上げて地面を溶かしながら迫る熱線は二股に両断されて、こっちには一切届かない。

 少し遅れて、何本もの木が倒れたことにより地面が揺れる。辺りの地面は熱線で抉れ、数分前とは似ても似つかない。そんな光景の中で、アカネだけが凛として立っていた。

 その光景に、ただひたすらに胸が震えた。初めて魔物に遭った時、人間なんかが勝てる相手じゃないと思った。実際、アカネも言っていた。魔物に出会ったら、何も考えずに逃げるべきだって。何度も魔物と戦ってきたアカネは身に染みてるはずだ。それでも、自分より強い相手に立ち向かうその姿には途方もない覚悟が見えた。

「くっ! 石のように硬くなって動かない!」

 呆然としてると、切羽詰まった声で夢心地から引きずり出された。アカネに手を引かれても、頭からつま先まで、まるで自分の体じゃないみたいに動かない。

その間にも石蛇は大地を抉りながら迫る。熱線は防がれると学習したのか、大きな口を開けて俺たちの足元全部を丸呑みにするつもりだ。

 アカネが剣を抜いて目の前を睨みつけても、相手は何千トンもありそうな石の塊。押しつぶされたらいくらアカネでもひとたまりもない。ここで、終わりなのか。

 膨大な質量が衝突したことによる轟音が響いた。

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